三田渡への道 10

The Royal Scam



 3月17日、李自成軍は北京に到着した。城外に布陣していた官軍は悉く降伏した。

李巌
「兵部尚書の張縉彦との取引が成立したおかげで城内の官軍の抵抗を受ける心配はないで」

紅娘子
「そうやね。あとは現場レベルでの内応工作やけど、こっちも順調やで」

 北京は、宮殿など朝廷の建物が存在する内城と、その外側に広がる都市区画を囲む外城から構成されている。内城は一般に「紫禁城」とよばれ、あの「天安門」はその南正門である。イエズス会の西洋人宣教師の住む住院は、内城の一角、南側西よりの宣武門の近くにあった。
 宣教師の一人である湯若望(アダム・シャール)は、布教活動のほかに、西洋の天文書や暦学書の漢訳を行なったり、ヌルハチを苦しめた紅夷砲の製造と運用管理マニュアルの作成や暦法の改正といった仕事をしていた。

湯若望
「賊軍が外城に迫っているようだな。紅夷砲の砲声が聞こえてくる」

西洋人修道士
「そうですね。明軍はこの都城を守りきれるのでしょうか」

 しかし、彼らの聞いた紅夷砲の砲声は虚しいものであった。

明軍 兵士
「約束どおり空砲を打ったわよ。これでいいのね」

李自成軍 兵士
「はい。約束の報酬です。あとは私たちが門を開けます」

 商人を装い工作員として潜入していた李自成軍の兵士の工作で内通した守備兵が、城門の守備は空っぽであることを教えるために、実弾を抜いて空砲を撃ったのである。
 そして18日の夜、太監の曹化淳の手によって彰義門(現在の広安門)が内側から開かれ、李自成軍は一気に北京の外城内になだれ込んだ。

王承恩
「陛下、外城が落ちました。」

崇禎帝
「そうですか…皇太子と永王、定王を外戚の周奎のもとへ逃がしなさい」

 また、崇禎帝は娘の長平公主を斬り(傷が浅く後に蘇生)、皇后の周氏(周奎の娘)は首を吊って自殺した。尤も、周奎は外孫にあたる皇太子と永王、定王をつれなく追い返し、結局3人は李自成軍に捕縛された。
 19日未明、内城にまで李自成軍が入り込んだことを知った崇禎帝は自ら百官招集の鐘を叩いたが誰も来る者はいなかった。

王承恩
「既にみんな逃げてしまったようです」

崇禎帝
「宦官の巨悪魏忠賢を成敗した私に最後まで従ってくれるのが宦官のあなただけというのも皮肉なものですね…」

 崇禎帝は築山である景山(現在の景山公園)に登り、李自成への書状を書き襟に縫い付けた。その内容は、自らを誤らせたとして百官を弾劾し、民を苦しめてくれるなということであったらしい。

崇禎帝
「ああ、何の面目があって祖先にまみえることができるでしょうか」

 崇禎帝は冠を脱ぎ髪の毛で顔面を覆って首を吊った。先祖に合わせる顔はないという意味である。

王承恩
「陛下、私も最後までお供いたします」

 王承恩は後始末をした後、崇禎帝の隣でやはり首を吊って殉じた。1644年3月19日、ここに明は滅びたのである。

牛金星
「皇帝が自殺しました。さっそく内城に入城しましょう」

李自成
「ついに天下を取ったわね!ららる〜ららる〜♪」

李巌
「明の百官たちがお祝いを申し上げようと続々とやってきてるで…つい昨日までここで崇禎帝の前に跪いていた連中やけど…」

紅娘子
「崇禎帝を悪王呼ばわりして李自成さまを堯舜や商湯王、周武王をも上回る聖王と持ち上げとるけど…どういう神経してんねん…」

李自成
「そうね。こんな連中ばかりだったから明は滅びたんでしょうね。崇禎帝に同情するわ…高官どもを殺せ!」

 あまりにも醜悪な明廷臣の振る舞いを憎んだ李自成は、配下の劉宗敏に高官たちを処刑させたという。
 このような事情は、4月9日に瀋陽を出発したドルゴンのまだ知るところではなかったが、北京へ急行していた呉三桂の下には直ちに知らされた。

呉三桂
「…間に合いませんでしたか…せっかく山海関の内側まで来たのに…さてどうしたものか?」

明軍人
「呉将軍のお父上は李自成の手の者に軟禁されているようですね。降伏勧告も送ってきました」

呉三桂
「ええ。人質にされているわけです。理屈で行けばこのまま降伏、いや帰順するしかないんでしょうけど…私の軍勢は最大にして最精鋭です。簡単に売りつけるのもどうかと思ったりもしますし…今帰順したところで身の安全が保障されているわけでもないですしね」

明軍人
「たしかに、こちらの身の安全の保障として向こうからも人質を送ってきてもよさそうなのですが」

 逡巡していた呉三桂であるが、李自成と何度か交渉したのち、突如翻心して軍を反転させて山海関に向かった。

呉三桂
「……」

明軍人
「将軍、どうしたのですか?李自成に帰順しない理由は何なんですか?」


呉三桂
「…台本に書いていないのです…」

 後世よく言われるのは、愛妾の陳円円を李自成に奪われたのを知って逆上し、清と同盟して李自成を討とうとした、ということなんですが、作者はそれだけが理由なのかなぁと不審に考えているわけでして。
 明を復興するという大義名分を掲げて起ち、清の力を借りて李を討ち、ゆくゆくは新王朝を開くという野望が沸き起こったんじゃないのん?とか、清と李自成のどっちについたほうが利益になるかを量ったとか、単に降伏条件の調整が不調に終わったとか、まぁいろいろ考えるところがありましたのであえて理由は書かないことにしました。

呉三桂
「(台本のページをめくって)では、私は清に同盟打診の使者を出すことにします。ただし、主導権がこちらにないといけませんね。孤軍という弱みは見せないようにしましょう」

北京

李巌
「呉三桂は反転して山海関に帰ったで。帰順する気はなくなったようや」

李自成
「なんと愚かな!よし、憂いを残さないように、私みずから出陣して叩き潰してやるわ!牛金星、あんたはここに残って富豪どもの財産没収や、明を見捨てて私に三跪九叩頭した恥知らずの腐れ廷臣どもの処刑を進めなさい」

 4月13日、李自成はみずから20万の兵を率いて出陣した。15日、呉三桂の使者が清軍に到着し、ドルゴンは初めて異変の全貌を知った。

ドルゴン
「……なになに、北京が陥落して皇帝が自殺しただと…で、忠義のために清の力を借りて逆賊を討伐したい。協力して大義を示してくれるなら財宝贈与も領地割譲もしよう…か」

清の兵士
「上から目線なのは腹が立つなぁ…ほんで、どうしはる?」

ドルゴン
「絶好の機会なのは間違いない。李自成を討ち一気に中原に雪崩れこんで中原を取ろう」

 ここで後世喧しく言われるのが「呉三桂は国家(あるいは民族)を売った」ということなのであるが、作者はそれは的を得ていないと考える。
 というのは、当時の中国に於いては近代的な「国家」「民族」の概念はなく、呉三桂が夷狄であれどのような勢力と連合しようとも非難されるものではないと考えるからである。唐の安史の乱においては回紇(ウイグル)の手を借りて長安を奪回したこともあるし、更に言えば、中華思想においては、中原の文化に浴して「文明化」さえすれば、その出自に関係なく「中国人」となって中華世界の構成員となり得るのであるから、女真族が中華世界の構成員として新たに参入しただけであり、民族という概念を持ち込むのは適当ではあるまいと考えるのである。
 22日、清軍が山海関の外側に到着し、ドルゴンと呉三桂の会見が行なわれた。

ドルゴン
「ほう、すでに辮髪しているのか。殊勝だな」

呉三桂
「…大義のために力をお借りします」

 呉三桂以下首脳部は清の風俗である辮髪をしてこれを迎えた。また、呉は先鋒として李自成にあたることになった。

昭顕世子
「山海関の関上に白旗が一流翻っているわね。関の内側には李自成軍本隊も到着しているようだわ。今日が決戦の日みたいね」

 李自成軍は山海関の内側を南北に流れる石河の西岸に布陣し、李自成自身は、人質にした明の皇太子などの皇族、呉三桂の父呉襄を従えて小高い丘の上から指揮する構えを取った。呉三桂は山海関の明側の扉をあけ、一気に打って出た。

呉三桂
「突撃!」

紅娘子
「あの兵数で突っ込んでくるとは無謀やなぁ。包囲して殲滅してまえ」

呉三桂
「包囲の環を突き破れ!ただひたすら死力を尽すのです!」

李自成
「死兵と化した死に物狂いの相手は厄介だわね。ん?あれは何?」

 日がやや傾きかけたとき、荒れ狂う呉三桂軍の左側から清軍が突撃してきたのである。

ドルゴン
「突っ込め!どてっぱらをえぐるのだ!」

李巌
「あんな予備兵力持ってたんかなぁ?どうもあの兵装は明人やなさそうやね…まさか女真兵?!」

 折からの大風にも乗って清軍は李自成軍を切り裂き、縦横無尽に踏みにじった。

李自成
「どうして女真兵がいるのよ?!退けっ、退けっ!」

 李自成軍は壊滅し、李は逃げ出した。

ドルゴン
「よし、追撃するぞ!」

呉三桂
「は、はい!」

 清・呉三桂軍は40里に渡って追撃し、李自成は休む暇もなく逃走を続けて25日に北京に帰り着いた。その途上で呉三桂の父呉襄を殺している。

牛金星
「陛下お帰りなさいませ。登極の準備ができています。儀式を行なって正式な皇帝の位についてくださいませ」

李自成
「そ、そうね。さっさとやって西京(西安)に帰りましょう。そうだ、没収掠奪した金銀の貨幣、装飾、調度品を鋳潰して、運びやすいように餅(薄い板状)に鋳なおしなさい」

牛金星
「了解しました。それと皇帝として郊天の祭祀を行なわなければなりません」

李自成
「そんなことやってる場合じゃないわよ。あんたが代理でやっといて!」

牛金星
「御意」

 4月29日、李自成は慌しく登極の儀を済ませ、その夕方には配下に命じて宮殿及び九つの門を焼かせた。そして翌日には明の皇太子と永王、定王を伴って北京を出て西安を目指して逃走した。

紫禁城 宣武門のそば

湯若望
「どうやら李自成軍は逃げ出すようだな。配下たちが最後の荒稼ぎとばかりに略奪や放火をしている」

西洋人修道士
「はい。この住院の近所の家々も焼き払われてしまいました。あ!兵士どもが裏門を壊そうとしています!」

兵士
「何だこの家は?とりあえず入ってみようぜ」

紅娘子
「そんなマネはやめ!門を壊してまで他人の家に侵入するんは、立派な兵士やなくて盗賊のすることや!あと、放火もあかんよ」

兵士
「は、はい。しかし皇帝陛下が北京撤収にあたって全ての建物を焼き払えと命令されました」

李巌
「陛下がそんな命令を?!李自成さまは玉座につかれてから少しおかしくなってしもたようや。ともかくこの家に侵入したらあかんよ」

兵士
「わかりました」

湯若望
「狼藉を止めていただき、ありがとうございます。まさか実在しない人に助けられるなんて」

李巌
「…この家を焼き尽くせ!奪い尽くせ!殺し尽くせ!」

紅娘子
「さ、さんちゃん、あかーん!うちらはよ皇帝の本軍に追いついて、いろいろお諌めせなあかん」

李巌
「そ、そうやな。ほな行こ」

 楽屋事情をばらすと、湯若望が侵入しようとした兵士を叱って止めさせたことは湯自身が記録しています。で、そこに実在しない夫婦をからめて話をつくったわけです。

李巌     紅娘子
 「実在しないってゆーな!!」

 この後も、何度か李自成軍の兵士が住院に入ってこようとした。だが、清軍が近づくにつれて彼らは北京を逃げ出し、李自成の逃走から2日後の5月1日、清軍は北京城外に到着した。

ドルゴン
「明日入城するぞ。略奪のたぐいは厳禁する。我らは逆賊を討ち義をおこなった正義の師としてふるまうのだ。ただし、敵対者と味方を区別するためにも帰順したものには辮髪をさせろ」

 5月2日、ついに北京に入城した清軍は官吏民衆に迎えられた。

ドルゴン
「この廷臣連中、1ヶ月前にはさっさと崇禎帝を見捨てて李自成に三跪九叩頭したんだろうなぁ。正直吐き気がする…それはともかく内城だけでは我が軍兵を収容しきれない。内城にいる漢人たちを外城に移動させろ」

 内城に居住していた人々は、移転を逃れるために嘆願書を持って宮中に行き陳情をおこなった。湯若望ら西洋人宣教師の住院も内城であり、湯も嘆願書を持って陳情の列に並んだ。

清人
「んー、お前は却下…お前も却下…ん?湯若望?…お前はこっちに来い」

湯若望
「はい(追い払われずに済んだか)」

范文程
「ふむ…なるほど。湯若望、ユーの嘆願書を読んだけど、『礼拝堂』っていったい何ね?」

湯若望
「万物の創造主を祀るところです」

范文程
「ホワーイ?どうして『廟』って言わないの?」

湯若望
「他の宗派との違いをはっきりさせるためです」

范文程
「イエズス会ねぇ…ユーはただの宣教師じゃなくて暦法の制定にも関係があったみたいだけど、明朝の欽天監(国立天文台)に勤めてたの?そのサラリーで生活していたの?」

湯若望
「いえ、私は欽天監の職員ではなく、教師だったのです」

范文程
「ユーは天文学の教師なの?んー、ザッツライト!いい人を見つけたわ!今ミーたちが使っている明の暦って、天体の実際の運行とあわないことが多くて、とってもとっても困ってるのヨ。
 今日はもういいから明日またいらっしゃい。それと、ユーは自宅に安心して滞留すること、オッケーね」

 当時、明では「大統暦法」という中国伝統の暦法に、元の時代に伝わった「回回暦法」というイスラム暦法を加味した暦を作成していた。だが、天体の実際の運行と一致しないことが多かったため、崇禎帝は湯若望に新しい暦法の作成を命じていた。范文程は中国風の統治制度の導入・制定に参画していたため、暦法についても興味を持って調べており、明の暦の不正確さも知っていたのである。
 范は部下2人を湯若望につけて住院まで送らせ、住院の様子を調べて報告させた。翌日、参内した湯若望に対して木牌と書付がわたされた。

范文程
「ハーイ!アダムちゅわーん!待ってたわよーン!この木牌は北京滞在の許可証ヨ。門にぶらさげておけばオッケーね。この書類は、満洲人があなたにいっさいの迷惑をかけることを禁じる皇帝代理の摂政ドルゴン様のお墨付き。これらを示せばノープロブレム♪安心して滞在しなさい。ユーに会えたことを陛下もドルゴン様も喜んでおられたわ」

湯若望
「はい。ありがとうございます」

 退出した湯若望が住院に戻ると、住院には清兵が充満していた。

西洋人修道士
「神父、たいへんです。この人たちが私たちに退去するよう求めています」

湯若望
「清兵のみなさん、この木牌と書付を見てください」

清兵
「こ、これは滞在許可とドルゴン様のお墨付き!えらい失礼をしました。みんな引き揚げるでー」

 数日後、湯若望は范文程に呼び出された。参内すると、そこには明の欽天監員たちも並んでいた。

范文程
「よく来てくれたわねー!昨日、明に仕えていた欽天監員たちが今年の暦を提出したんだけど『崇禎18年暦』を『順治2年暦』とタイトル変えただけのものだったのよ。
 ミーたちはあんないい加減なものは使いたくないわン。たしか崇禎帝もあの暦に愛想をつかして、ユーに暦の作成を命じていたわね?」

湯若望
「は、はい。よくご存知で」

范文程
「そういうわけで、ユーに暦の作成をリクエストするのよーン。アクセプトしてくれるわね?」

湯若望
「わかりました。6月中に完成させましょう」

欽天監
「ちょ、ちょっと待ってください。我々のつくった暦を使うべきです」

湯若望
「失礼、君たちのつくった暦を見せてもらうぞ……ふむ、ざっとみただけで6、7箇所の間違いがあるな。ここ、ここ、あとここもだ。反論があればどうぞ」

欽天監
「な、なっ?!そ、それは……むむむっ」

范文程
「なにがむむむだっ!反論できないってことは、ユーたちもミステイクを承知したのねん。じゃ、間違いを認めたってことを文書にしてサインしなさい。あとでトラブルが起こると面倒だしー。じゃ、アダムちゃん!暦作成お願いね!」

 暦の編集に従事した欽天監員たちは間違いを認める文書に署名し、湯若望が暦を作り直すことが決定された。しかも、8月1日の日食について欽天監員たちのつくった暦が誤差を生じたのに対し、湯若望の推算は適中したのである。

范文程
「アダムちゅわーん!ユーウィンね!これで勝負あったわねーン!」

 これにより、中国には湯若望のつくった西洋新法に基づく暦が「時憲暦」と命名され施行されることになったのである。
 また、范文程は湯若望のことをかなり気に入ったようであり、これ以後毎年湯の礼拝堂に30両の寄付を行い、贈り物もするようになった。

 さて、西安を目指して逃走した李自成であるが、河北定州で清・呉三桂軍の追撃を受けて敗走していた。

李巌
「このままではあかん。李自成さま、うちは河南を鎮定して逃走の援護と反転攻勢の準備を整えようと思うねん」

李自成
「そ、そうね。李厳と紅娘子は手勢を率いて河南に行って」

牛金星
「…陛下、ひょっとして李厳は河南鎮定を口実にして逃げようとしているのではないでしょうか?」

李自成
「ま、まさか李厳に限ってそんなマネは…」

牛金星
「わかりませんよぉ。ただ逃げるだけならともかく、呉三桂軍に寝返ったり独立勢力になったりすればえらいことになりますよぉ…」

李自成
「……李厳を斬れッ!」

李巌
「り、李自成さまっ!うあっ!」

紅娘子
「な、なんてことを!さんちゃん、うちも後を追うでっ」

牛金星
「フフフ」

 牛金星の讒言によって李厳は処刑され紅娘子は後を追って自殺した。軍師で人望のあった李厳を斬ったことで兵士の心はさらに離れ、李自成軍は急速に解体したという…ま、ぶっちゃけ実在しない人物なんでてきとーでいいか。

李巌     紅娘子
 「実在しないってゆーな!!」

 最終的には、牛金星はいつの間にか脱走して、清に仕えた息子を頼って長生きし、李自成は敗走を重ね、1645年6月、湖北通山県で食糧集めのために農村を襲ったとき、自警団の青年に鍬で後頭部をカチ割られて死んだ。尤も、大順の残党が完全に消滅するのは1664年のことである。

李自成
「皇帝だからいい役だと思ってたら、けっきょくやられ役じゃないのー。がくっ」

 5月23日、朝鮮朝廷は世子からの使者によって北京占領を知った。

仁祖
「なんということだ。天朝がこんなにもろく滅びるとは…」

金瑬
「しかし、これで世子様たちが人質として留められる理由もなくなったでしょう。今漢城に滞在している清使に帰還を要求する訴状を出しましょう」

汴蘭
「いえ、清は北京を得たといっても中原を完全に制覇できたわけでありません。天下を平定した後に大臣を派遣して要求してはどうでしょう。時期尚早である上に、勅使は勝報をもたらすために来たわけであってこのような請願を聞くために来たのではありませんし」

 とりあえず漢城での世子帰還の請願は実行されなかったが、謝恩使として瀋陽に赴いていた金自点は、鄭命寿に接触して世子帰還を打診していた。

鄭命寿
「なるほどねぇ。よし、ちょっとあたってみるわね」

金自点
「ありがとうございます。貴国は既に天下を得て益々富むというのに我が国は世子様への仕送りや軍役で疲弊するばかりでして」

鄭命寿
「北京を得て万事を新しくするために忙しいところだからねぇ。うまくいくかはわかんないけどね」

金自点
「それと、瀋陽に抑留されている崔鳴吉・金尚憲たちですが、みな老いて病気がちですし、いつ抑留を解かれるかわからず、非常に気にしているのですが…」

鄭命寿
「とりあえず北京に移す予定はないみたいよ。それと抑留は無意味だし本国送還してもいいんじゃないか?って意見も出ているのよね。いつ返事できるかわからないけど、ドルゴン様に相談するわ」

 ドルゴンは兵を発して呉三桂軍と共に李自成を追撃させる一方、明・大順の官吏の投降を受け入れて人心を収攬し、また敵味方を区別するために帰順する明人たちに女真人の風俗である辮髪をさせるなど、多忙を極めていた。

ドルゴン
「なかなか落ち着かないが、陛下にご動座いただき北京に遷都しよう。世子殿たちはいったん瀋陽に戻ってくれ」

昭顕世子
「了解したわ。急な旅だったから食料も不足しているしね。瀋陽にいる朝鮮人の俊才たちに新しい知識を受容させるいい機会だわ」

 6月18日、昭顕世子は瀋陽に戻った。そして9月6日には姜氏や鳳林大君、朝鮮人学者たちを連れて瀋陽を出て、15日北京の文淵閣に入った。

鳳林大君
「兄上、まさか新しい知識って西洋の学問のことでは…」

昭顕世子
「ええ、そうよ。先の北京滞在でイエズス会の宣教師たちの学問技術のすごさはわかったしね。これからは四書三経の儒教だけじゃなく、こういった学問も取り入れなくちゃいけないわ」

鳳林大君
「(そんなだいそれたマネを!ウリナラは朱子学を重んじる礼義の国です。女真の蛮人だけでなく西洋の蛮人にまで膝を屈するのですか!)」

 なお、通常中国では「論語」「大学」「中庸」「孟子」を四書、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」を五経とし、「四書五経」と称するが、朝鮮ではなぜか「礼記」「春秋」を省いて「四書三経」と称するのである。
……そのくせ上疏とか書くときには「春秋」を引用するんだよなぁ…韓国統監の伊藤博文も高宗を諌めきれない大韓廷臣を叱責する時に引用してたし…

姜氏
「うちは瀋陽から持ってった貨幣財宝を使ってよそ様とのおつきあいを続けるで」

 昭顕世子は瀋陽から連れてきた朝鮮人学者たちを弟子入りさせるために湯若望のもとを訪れた。

昭顕世子
「あなたが湯若望神父ですか…って、なんであんたなのよ?」

湯若望
「…失礼な。私は一応神父だぞ。私で不足というのならアンデルセン神父を呼ぼうか?」

昭顕世子
「…あんたで妥協するわ。で、神父はキリスト教布教だけではなく、暦法など数多くの西洋の学問技術をもたらしたと聞いております。一度お会いしたいと思っておりました」

湯若望
「うむ。世子にお会いしてた記念に、天主像・天球儀・天文書・洋学書をお贈りしよう」

 このとき昭顕世子が受け取り、朝鮮に持って帰った書物については、その書名すら記録に残っていないのだが、『遥かなる高麗カオリ 十六世紀韓国開教と日本イエスス会(ホアン・ガルシア・ルイズデメディナ 近藤出版社)』によれば、湯若望は以下に列記する書物を著作・翻訳していたため、おそらくこれらの中から選ばれたものであろうとされている。

キリスト教に関する書物:『進呈書像』『主教縁起』『主制群徴』『真福訓詮』
天文・暦学に関する書物:『崇禎暦書』『渾天儀説』『西洋測日暦』『民暦補注釈惑』『大測』『星図』『恒星表』『交食暦指』『測食説』『測天約説』『新法暦引』『暦法西伝』『古今交食考』『学暦小辯』『新暦暁惑』『遠鏡説』『恒星出没』『交食表』
徐光啓らとの共著・共訳:『各図八線表』『奏疏』『新法表異』『赤道南北両動星図』『西洋暦法新書』

 11月1日、順治帝は諸王を率いて天壇を祭って登極し、10日にはドルゴンの北京平定の功績を讃えた。

順治帝
「叔父上、あなたの功績を讃えて金一万両・彩段十万匹・馬百匹・駝十匹を与えます」

ドルゴン
「ありがとうございます…では祝宴をおこなおう。世子殿も大君殿も出席してくれ」

 祝宴の翌日、ドルゴンはあらためて昭顕世子・鳳林大君・英俄爾岱らを招いた。

ドルゴン
「北京を得る前は我が国と貴国の間には疑心がなかったわけでもないが、大事を達成した今、共に信頼できる仲になった。世子殿は貴国の後継者であるからもはや永久に帰国されるがよい。鳳林大君のほうはしばらく留まり麟坪大君と入れかわりで帰国せよ。また、人質になっている諸大臣の身内及び崔鳴吉・金尚憲らは世子の帰還に合わせて帰国させるが、本国から人夫と馬が来るのを待って出発せよ」

昭顕世子
「ありがたき幸せに存じます」

鳳林大君
「(ぼくはまだ帰れないんですか…)」

英俄爾岱
「では、漢城に連絡させて手配を進めます」

 昭顕世子が北京を出発するまでの約70日間、昭顕世子と湯若望は互いの住居に往き来し交友を深めたという。

昭顕世子
「ありがとう…(本を読んで)このような学問がこの世にあったとは知らなかったわ!
 私たちの国にも天文書・暦学書はあるけど、実際の天体運行と合わなくて困っていたのよ。国に帰ったら早速この暦を採用して、これらの本を出版頒布するわ」

湯若望
「それはよかった。帰国を許されたのだな」

昭顕世子
「ええ。近いうちに帰国できるのよ。明が滅びたから人質としての重要性もなくなったしね。
 それでね、天主像はお返しするわ。うちの国ではまだキリスト教を知る人がいないから、ひょっとすると異端邪教扱いされてこの像にも危害が及ぶかもしれないのよ。
 だから、まずはキリスト教とはどういうものかを周知し西洋学を教授してもらうためにも、イエズス会の宣教師をつれてゆきたいの」

湯若望
「宣教師か?…マカオの管区長の承認が必要だから短期間では準備ができない。無理だ。しかし、明に仕えていた宦官の中には洗礼を授けるための教義課程を修得したものがいる。彼らを連れて行ってはどうだ?」

昭顕世子
「オッケー、それでいいわ。手配をよろしくね」

湯若望
「わかった。ドルゴン様に相談して手配しよう。お礼は麻婆豆腐でいいぞ」

昭顕世子
「…この時代、麻婆豆腐はまだ存在してないわよ。あれは19世紀以降の成都でつくられたものだから」

ドルゴン
「ふむ。よい話ではないか。陛下、世子殿の帰国の際に宦官宮女を連れていけるよう許可をお願いします」

順治帝
「わかりました」

 ドルゴンとの協議の結果、昭顕世子の帰国の際キリスト教徒を含む宦官5人(李邦詔・張三畏・劉仲林・谷豊登・竇文芳)と明の宮女を連れてゆくことが順治帝の勅命として下されることになった。
 11月26日、昭顕世子夫妻は北京を発った。いったん瀋陽に寄ってから漢城に向かうのである。こうして7年半の人質生活は終わりを告げたのである。

 2月18日、昭顕世子夫妻は清使とともに漢城に到着した。

昭顕世子
「父上、ようやく帰ることができました。北京でふれた新しい学問技術を持って帰ってきましたので、我が国の発展に寄与できます」

仁祖
「…そうか」

 慣例に背いて出迎えの廷臣を送らないなど、仁祖の態度はすっかり冷たくなっていた。かつてふれたように返還された朝鮮人捕虜を使役しての耕作と、その収穫を利用しておこなった商業という行為をよくおもわなかったうえに、天朝とする明朝の公式学問である朱子学をないがしろにして西洋の学問を導入しようとする行為を憎んだからであろう。また、仁祖の寵愛していた趙昭容(昭容は位の名前)が世子夫妻を嫌っており、折に触れて讒言していたともいう。

仁祖
「世子が天朝をないがしろにするばかりか、夫婦そろって卑しいことをするとは!」

金自点
「そうです。これはけしからんことです……我が国の次期国王としては不適格です。今のうちに排除を…」

 なお、このときの清使は、三田渡盟約で定められた歳幣のうち、苧布四百匹・蘇木二百斤・茶一千包を免除、各色綿紬二千匹を一千匹、各色木綿一万匹を五千匹、布一千四百匹を七百匹、粗布七千匹を二千匹、順刀二十口を十口に軽減するという勅書を持ってきている。これは恩赦と同じく、北京獲得という国家の慶事に際しての祝賀、皇帝の徳を施す行為であり、また、山海関以北での連年の対明戦争も終わったばかりか北京をも得て軍需物資等の支出が減るため、朝鮮への負担も軽減することになったということであろう。

 一方、瀋陽に抑留されていた崔鳴吉・金尚憲らは23日に漢城に到着した。

崔鳴吉
「殿下、ようやく帰国を許されました。私のいたらぬせいでご心労をおかけしました」

金尚憲
「節をまっとうすることができました」

 仁祖と昭顕世子の間は冷え切っていったが、帰国2ヵ月後の4月23日、世子は急に発病した。

昭顕世子
「な、なにか体の様子がおかしいわ…」

 なんと昭顕世子は3日後の26日に死亡してしまった。

姜氏
「あなたーっ!」

 あまりにも不自然な急病死であるうえに、治療にあたった医者が通例に背いて何の責任も問われなかったことから、これを仁祖と金自点による毒殺とする見解が説得力を持っている。
 仁祖実録の仁祖23(1645)年6月23日条には「世子東還未幾得疾数日而薨挙体尽黒七竅皆出鮮血以玄幎覆其半面傍人不能弁其色有類中毒之人而外人莫有知者上亦不之知也」とあるが、体が黒ずむとか、七竅しちきょう(両目・両耳・両鼻・口の7つの穴)から出血するというのは、中国の小説によく見られる典型的な毒殺もしくは尋常ならざる死の描写である。余談ではあるが、三国演義でも呂蒙が関羽に祟り殺されたさいの描写に用いられている。
 昭顕世子が北京から持ち帰った西洋の文物もことごとく破棄されたか行方不明になり、連れてきた宦官宮女たちも北京へ追い返された。

洪瑞鳳
「世子が亡くなられましたか…では、嫡流を重視してその子を世子に立てるべきです」

仁祖
「いや、弟の鳳林大君を世子に直す。亡くなった世子には昭顕世子と諡をする」

 昭顕世子の男子3人は無視され、5月14日に帰ってきた鳳林大君が世子になった。さらに翌年、金自点の告発によって昭顕世子夫人の姜氏は死を賜った。

金自点
「殿下、昭顕世子夫人の姜氏が殿下暗殺を企み呪詛を行っておりましたぞ」

姜氏
「わたしなんにもしてへんでー(涙)」

 姜氏の兄弟たちも追放され、昭顕世子の男子3人(石鐵・石麟・石堅)は済州島に配流された。こうして昭顕世子の血筋・姻戚は朝廷から排除されてしまった。

 最後に、逃亡したあと行方不明になっている林慶業に話を変えると、北京の陥落によってそれまで知られなかった明の内部情報があらわになるにつれて林の足どりが判明してきた。
 脱走した林慶業は沈器遠から資金提供を受け、贈られた僧衣を着て髪を剃って僧に化け、泰安にある部下の家に匿われ、5月には船に乗って山東半島に逃げ、海衛都督黄飛の部下である軍門以芝脇高の指揮下に入り、平虜将軍を拝命した。
 北京が陥落したあと、黄飛は明の皇族が即位した南京に去り、林と馬は石城島に留まったが、そこに清からの書状がきた。

林慶業
「…『お前の才能を惜しむ。こっちは罪を許すから島にいる朝鮮人を連れて帰国したまえ』か。太っ腹ねぇ」

 林は帰国を決意したが、海が凍って船が出せないうちに、北京から逃げてきた明の軍人が沈器遠が謀反を企んで処刑されたことを知らせた。

林慶業
「えーっ。それじゃぁ今帰ったら関係者扱いされてえらいことになるじゃない。南京に行きましょう」

 2月13日、南京に向かって船出し薪を補給するため旅順口に停泊したとき、脱走者が呼んだ清軍によって逮捕された。清としてはすでに罪人ではないが、朝鮮にとっては罪人であることにかわりはないため、6月13日、清は帰国する謝恩使李景奭の一行に林を同行させて帰国させた。ちなみにこのとき湯若望のつくった時憲暦がもたらされている。

仁祖
「わたしじきじきに取り調べよう」

 17日、仁祖はみずから林の取調べにあたったが、その日のうちに林は死んでしまった。

金自点
「(こいつは生かしておくと不都合だからね)」

 これについて、金自点によって拷問を受けて殺されたという話があるが、鄭命寿や英俄爾岱の威勢を借りて朝廷内で絶大な権力を握ろうとする金にとっては、反清派の林がジャマだったという解釈であろう。

 1649年、仁祖が崩じ世子鳳林大君が即位して孝宗となった。彼もまた反清の「北伐」を企図し続けたが、それはかなうことはなく、訓練した鳥銃隊も清の命令によってロシアとの国境紛争に動員されるはめになった(羅禅征伐)。そして、向明反清という大義も党争のネタとしてグデグデになってゆく。

宋時烈
「支那大陸は蛮人の手に落ち、中国は蛮人の国となり、中華文明の灯火を受け継ぐ者もいなくなった。そうである以上、この朝鮮こそが中華の灯火を受け継ぐ唯一の存在、すなわち『小中華』である!」

 世子時代の孝宗(鳳林大君)の弐師(教師)であった宋時烈は反清運動の提唱者であったが、朝鮮だけが正当な中華文明を継承する文明国であると唱えるようになった。これ以降、この朝鮮独自の華夷観すなわち「小中華思想」に基いた清や日本に対する蔑視感情が深化していき、康熙・雍正・乾隆帝といった最盛期の清の文物を学ぶことを拒否し、江戸時代の日本に何も学べなかったことにつながっていく。
 こうして朝鮮は1895年の下関条約によって独立を承認されるまで、内心では清を蔑視しながら現実には清の属国としてあり続けたのである。

<<登場人物

<<第9回

>>トップ



よみ:水原暦「ようやく完結しましたね」

ベッキー:レベッカ宮本「ああ、1年かかった。2007年の春からはSCAPINとか外交史料とかのほうに興味と労力を割いたせいで進捗がかなり遅くなったんだ」

美浜ちよ「読者の方々には根気よくお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます…あれ?くるみさんどうしたんですか?」

桃瀬くるみ「…ううう、いい役だと思ってたらとんだピエロよ…ららる〜ららる〜(涙)」

ベッキー:レベッカ宮本「しかし、劇形式の難しさをあらためて知ることになったな」

芹沢茜「どういうこと?」

ベッキー:レベッカ宮本「APRIL FOOLさんの白き衣を羽織る隠者の記録の朝鮮近代史コンテンツを一次史料とつき合わせて読めば痛感するんだが、きちんと一次史料を読んで史料批判をおこない妥当性のある解釈を導き出さないとシナリオが作れないんだ」

よみ:水原暦「ネタ脚色はやっても、全くのウソは書くわけにいきませんからね」

芹沢茜「誤読や理解不足による間違いは仕方ないけどさ」

美浜ちよ「ストーリーのネタ元史料原文を併記しない以上、読者はコンテンツの解釈・展開に妥当性があるかどうかを確認しにくいわけですから、作者の恣意でウソを書いてもばれにくいんですよ。学問的良心に従えばそんなことはできませんけど」

ベッキー:レベッカ宮本「そういうわけで、けっこうびくびくしながら作ったらしいんだが…最後に参考にしたり取上げたりした資料を記しておくぞ」

よみ:水原暦「研究書の類いは鵜呑みにせず、一次史料や他の研究書ともつきあわせたうえで参考にしたそうですね」

美浜ちよ「『韓国 堕落の2000年史』や陳舜臣『中国の歴史』は第5回の解説で取上げたので記載しただけであって、参考にしたわけではありませんよ。あと、小説類も脚色の参考にしただけで直接典拠にはしていません」

一次史料類
 朝鮮王朝実録(宣祖実録・光海君日記・仁祖実録)
 明史
 清史稿
 瀋陽日記
 丙子録
 続雑録

研究書・通俗歴史本類
 物語 韓国人 田中明 文春新書
 中国の大盗賊・完全版 高島俊男 講談社現代新書
 朝鮮民族を読み解く 北と南に共通するもの 古田博司 ちくま学芸文庫
 朝鮮西教史 山口正之 雄山閣
 西洋人の見た中国皇帝 矢沢利彦 東方書店
 西洋人の見た十六〜十八世紀の中国官僚 矢沢利彦 東方書店
 万里の長城攻防三千年史 来村 多加史 講談社現代新書
 遥かなる高麗カオリ 十六世紀韓国開教と日本イエスス会 ホアン・ガルシア・ルイズデメディナ 近藤出版社
 西洋と朝鮮 その異文化格闘の歴史 姜在彦 文藝春秋
 紫禁城史話 寺田隆信 中公新書
 真説 鉄砲伝来 宇田川武久 平凡社新書
 ソウル城下に漢江は流れる 朝鮮風俗史夜話 林鐘国 朴海錫・姜徳相訳 平凡社
 朝鮮紀行 イザベラ・バード 時岡敬子訳 講談社学術文庫
 韓国 堕落の2000年史 崔基鎬 祥伝社
 韓国の歴史〔第二版〕 国定韓国高等学校歴史教科書 大槻建 君島和彦 申奎燮 訳 明石書店
 武器と防具 中国編 篠田耕一 新紀元社

小説類
 韃靼疾風録 司馬遼太郎 中公文庫
 中華帝国史 安能務 講談社
 中国の歴史 陳舜臣 講談社

 お世話になったサイト
 大河の釣り人
 枕流亭 中国史人物事典
 猛牛の角

桃瀬くるみ「ららる〜ららる〜(涙)」


<<登場人物

<<第9回

>>トップ