斜め上の雲 5

浦項




 八月中旬になって、盈徳で防戦をつづけていた第三師団についに総司令部から撤退命令がとどいたとき、金錫源師団長は血相をかえた。
「これほどの恥辱があるかァ」
 と、幕営にあって、怒声をあげ、参謀長以下をてこずらせた。
 元来、金錫源というのは、そういう男であった。異常に気が強くもある。この気の強さがかれのわかいころ、日本軍をひきいて支那大陸を転戦し、中国軍をときに潰滅させ、ときに苦戦させ、さんざんの目にあわせたところでもあったであろう。
 かつて情報局長の白善が、
「なにしろ、司令官連中は日本軍生き残りの英雄たちですから」
 その統制がやっかいだ、という旨のことをもらしたことがある。金錫源は、白善のいう「連中」の部類でも最もたる人物といっていい。
 撤退が、恥辱であるという。
 安東撤退のときもそうであり、およそ戦略的立場からいえば敵を疲労させ進撃を遅滞させるという目標が達成されたため、盈徳からの撤退は当然なのだが、それを恥辱であると気色ばむような人間でなければ、援軍をあてにせず敵軍をひたすら防ぎつづけるという異常な行動を運営する軍隊統率者にはむかないのであろう。
 そのくせ、北朝鮮軍の包囲下にある金錫源の師団は、刻々おされつつあった。
 総司令部からは再三撤退命令を伝える伝令がとんだ。
「これはたんなる撤退ではない。海上で戦力を再編してすぐに上陸作戦に移るためのものだ」
 そこまでいわせてようやく金錫源は首をたてに振った。

「命令受領者をあつめろ」
 と、金錫源はいった。
「命令受領者」
 というのは、この場合、大隊以上の団隊の者をあつめさせた。
 それらの諸部隊は、顔もあげられないほどの砲火のなかで戦っていたが、ともあれ、師団司令部が命令受領者をさし出せというため、連隊本部、大隊本部から、曹長以上の者が、砲火をくぐり、ときに地に伏し、ときに匍匐しながらあつまってきた。

 やがて、各団隊の命令受領者があつまってきた。
 参謀長の崔慶禄は、かれらを司令部前にあつめ、必要な命令および注意を書きとらせた。
 そのあいだも砲声が地をふるわせ、風が野を走って、参謀長の声がよくききとれない。鉛筆をもって書きとっている受領者たちがしばしば声をあげて、
「もう一度ねがいます」
 と、繰りかえしを望んだほどであった。
 参謀長の話がおわると、師団長金錫源は、ひっくり返したキムチ壷の上に乗り、
「わが師団は、開戦以来、つねに前線に立ち、苦しい条件のなか水原、大田、安東と転戦してきた。そして敵軍の攻勢を食いとめるという戦略目標は達せられた。自分の次なる任務は、諸君を無傷で撤退させ反攻にそなえることである」
 といったとき、金は跳ねあがって地団駄踏み、ついに壇にしているキムチ壷の底を踏みやぶってしまった。よほど撤退がいやであったのであろう。

 第三師団は撤退の準備にとりかかった。
 収容のため、米海軍の揚陸艦が四隻派遣されることになっている。駆逐艦も援護にくるという。
「かんたんには撤退できまい。追撃を断念させ、反攻への地ならしをする」
 金錫源はそういって策をねった。うちあわせのため崔参謀長が米海軍との間を往復した。

 八月十五日深夜、金錫源は火力を敵右翼に集中し、一時間砲撃をおこなったあと、にわかに進撃を命じた。
 守勢一方だった韓国軍の進撃に虚をつかれた北朝鮮軍はわずかにしりぞき戦線に間隙ができた。それを埋めるため中央・左翼はあわててしりぞいた。
「追撃はせぬ。すみやかに全軍退却」
 金錫源は冷静に撤退を命じ、第三師団は当初の防御線から南へ後退した。
「一気に退却しないのですか」
 錫元は首をかしげた。せっかく敵との距離をあけることができたのにもったいないではないか。
「元、それは危険すぎる。やつらは戦線整理のため一時的にしりぞいただけであり、いま後ろをみせれば、やはり退却か、待ってましたとばかりにつけこんでくる。それと」
 金錫源は錫元を元とよぶ。
「もうすこしえさを食わせてやる必要がある」
 そういって南東への退却を命じた。

 盈徳を攻めたてる北朝鮮軍にしてみれば、おもわぬ攻勢をくらって戦線整理のため一時的にしりぞいただけであり、とくに痛痒はかんじなかった。
 むしろ、その攻勢は退却まえの擬態であるとふんだ。
「海上へ逃げる気か。そうだとすれば深追いはできぬ」
 と、司令官である李徳山第五師団長はいい、参謀のほうに顔を向けた。当然の懸念である。海上へ逃げるなら輸送船に援護艦艇も同行しているはずであり、その艦砲射撃の餌食になる。
「しかし、海岸方向ではなく南の山地にむかって退却しております」
 参謀は即答した。退却速度は遅く、しかもめだって兵数が減っているという。
「陸路を南下し、あたらしい抵抗戦線を構築する可能性はないのですか」
 口をはさんだのは政治委員である。
 南にゆけば飛鶴山がある。ここに立てこもることもじゅうぶん考えられる。
「その可能性もあります。海上への撤退をにおわせておいて、われわれの追撃を遅らせようということもありえます」
 参謀はとくにさからわない。たしかにそれも考えられる。
 兵の逃亡がはじまっているのならまともな退却はむずかしい。なんらかの詐術であるという可能性も捨てきれない。
「慎重にやるべきだな」
 李徳山はそう判断をくだして、韓国軍に呼応するようにわずかに前進を命じた。

 すでにふれたように、盈徳の南には飛鶴山がある。またその東には興海というまちもある。
 海上に逃げるのであれば東に進路をとりつつ海岸線にでる。南下して飛鶴山か興海まで退くのであれば南に転進して街道に入る。
 北朝鮮軍第五師団長である李徳山は、慎重な姿勢をくずさず、金錫源のねらいをみきわめようとしている。そのため、送り狼のように慎重に韓国軍の後を追って前進している。
 が、南東にすすんでいた韓国軍は、長沙洞というまちの手前でふいに進路を南にかえた。日付はすでに八月十六日になっている。
「南へ退却か」
 政治委員がつぶやいた。
「これは絶好の機会です。街道を直進すれば、最短距離であの隊列の頭をおさえることができます」
 そういった参謀を李は制した。むしろそれはわなヽヽであるとみた。
「街道をすすむのは危険だ」
 李は二個中隊を割いて街道をすすませた。予想どおり、韓国軍はその隊列の右側面で半包囲するかたちをとるべく隊列を変化させた。
「みろ。南への退却にはまちがいないが、やはりわなヽヽだ」
 李はそういった。
「ということは、海上に撤退するのではないのですね」
 かれは、政治委員のことばに満足そうにうなずいた。
「つまり、米軍艦艇はいないのだ」

 李はあらたな命令をくだした。
 まず全軍の進路を東に転じ、時計回りに韓国軍の東側を南に向かって長駆させ、兵力の半ばをもって韓国軍の縦隊の頭部をち、他の半ばをもって後背をつこうとした。街道上で攻撃を受けている二個中隊をおとりとして利用しようとしたといっていい。このあたりの戦術眼は非凡である。
 これが成功すれば、韓国軍の背後をぎゃくに半包囲して全滅させることができるであろう。

 これがわなヽヽであった。

 北朝鮮軍が進路を東に転じて海岸線にでたところに、米艦艇があらわれて艦砲射撃をあびせたのである。
 天地がくつがえったかとおもわれる轟音がひびき、無数の砲弾が北朝鮮軍第五師団のうえにふりそそいだ。それを待っていた第三師団は隊列を変化させ、北朝鮮軍を包囲して砲撃を開始した。大地にむかって射てばかならず命中するといった状況で、艦砲、迫撃砲、榴弾砲などあらゆる種類の砲弾が敵の砲車をくだき、兵を空中に飛ばし、このため北朝鮮軍は潰走した。
 金錫源のたくみさはそれだけにおわらなかった。

 遮蔽物のない海岸で、米軍艦艇と韓国軍第三師団の集中砲火をあびた北朝鮮軍第五師団は潰乱し、すすんできた道をぎゃくにたどって逃げだした。
 ところが、北西へ逃げる北朝鮮軍の左右にはかならず伏兵があらわれ、その後背から猛射をあびせたのである。
「草木皆ナ兵ト化ス」
 ということばがあるが、まさにそのとおりであった。
 金錫源は小きざみに退却を繰りかえしつつ、麾下の諸部隊を逃亡したとみせかけて切りはなし、予想される退路の両脇にうずめておいたのである。つまり一種の縦深陣地を形成して敵を引きずりこんでいたといっていい。
 このため恐慌状態におちいった北朝鮮軍は、軍隊組織として統制のとれた行動をすることが不可能となった。
「元よ。今度こそほんとうに撤退だ」
 そういってわずかに笑った金錫源は、全軍を海岸に集結させ揚陸艦への収容を命じた。
 金自身は、みずから一隊をひきいてしんがりをつとめ、師団の将兵が全員収容されるまで揚陸艦に乗りこもうとはしなかった。
(これが作戦というものなのか)
 その巧緻さは、あれほど撤退をいやがって再三命令をこばみ、ついにはキムチ壷の底を踏みやぶった将軍が考案したものとはおもえなかった。
 そのくせ、金錫源は揚陸艦のなかでも、軍刀を手ばなさず仏頂面をしている。気をつかって話しかけてくる崔参謀長にも無愛想なままであるところをみると、よほど撤退というものがいやで仕方がなかったのであろう。
 錫元が戦術というものに興味を持ったのは、このときのことである。

 北朝鮮軍は予想外の損害をうけ、いったん盈徳を放棄して西北にさがり、休息と再編を余儀なくされた。
 そのため、浦項とその西に位置する杞渓でたたかっている友軍との連携がとれなくなり、それぞれの部隊の攻勢は大はばに遅滞することとなった。
 金錫源の苦心はむくわれたといっていい。

 優勢にあった北朝鮮軍の連携がとれなくなったことで、浦項の奪回、再占領などの一進一退はあるものの、東部戦線はいちおうの落ち着きをみせた。
 金錫源が盈徳からの撤退に成功したのが八月十六日の夜から十七日の朝にかけてであり、仁川上陸がおこなわれたのは九月十五日である。
 しかし、倭館・多富洞といった中部戦線のところどころでは、むしろ韓米軍はおされぎみであった。戦線崩壊の危機をもはらんでいたといっていい。
 この一ヵ月のあいだが、韓米軍にとってもっとも苦しいときであっただろう。

 八月二十二日、多富洞をまもる第一師団の左翼、遊鶴山のふもとを守っていた一個大隊が、敵軍の攻撃に耐えかねて後退を開始した。
 そのままでは米軍第二十七連隊の側面を敵にさらすことになる。戦線の崩壊もまぬかれない。知らせを受けた白善師団長は現場に駆けつけ、散らばっていた兵を集合させて座らせた。かれはこの時期マラリアをわずらっている。
「二日間,補給もないのによくがんばってくれた。感謝の言葉もない」
 高熱でもうろうとしているため、その口吻はたどたどしい。
「だが、ここが破れればわれわれには死が待っている。それに」
 いったん言葉をきると、顔をあげて前方をにらんだ。
「見ろ。アメリカ人がわれわれを信じて戦っているのだ。かれらを見捨てることができるか」
 ここまでいって、白は激した。
「あの四八八高地を奪回する。おれに続け。もし、おれが臆病風にふかれたら後ろから撃て」
 そうさけぶと、先頭にたって吶喊突撃を敢行した。兵たちもその鬼気がのりうつったかのように咆え、駆けだした。
 一時間の戦いののち四八八高地を奪回した韓国軍は、そこから谷底の北朝鮮軍にむかって砲火をあびせたため、北朝鮮軍は潰走し、前線崩壊の危機はまぬかれた。

 だが、先頭を駆けていた白は、四八八高地には立てなかった。
 発熱のため体力が続かず、他の将兵に追いぬかれていつしか隊列の最後尾にまで落ち、ついには幕僚によってなかば無理やり後送されたからである。
 結局、米韓軍は十五日の仁川上陸につづいて二十八日にはソウル奪回をはたした。
 十月一日には北進命令が出て、わずか三週間足らずの十九日に平壌は陥落した。一番乗りを果たしたのは白善であった。

 この白善も日本軍の関係者であるといっていい。
 平壌出身のかれは、一九三九年平壌師範学校を卒業したのち、奉天の満州軍官学校に入学、四一年に卒業して満州国軍に任官し、四三年には間島特設隊に配属された。
 間島特設隊は、満鮮国境の間島地域を担当し、治安維持作戦や潜入・破壊工作といった活動を任務とする朝鮮人特殊部隊であった。とくに抗日ゲリラをなのる匪賊の討伐作戦が主であった。この部隊には白以外にも金白一などのちの韓国軍の中核となる人材が多く所属していた。
 ここで功績をあげたかれは、光復後平壌に帰ったものの、その経歴のため、身の危険を感じ金白一らとともに北を脱出して韓国軍に投じた。中尉として釜山の第五連隊長を二年間つとめたのち情報局長に転出し、麗水、順天の反乱を討ち、粛軍を担当した。
 その経歴をみればわかるように、不正規軍との戦闘や情報工作といった分野において有能な将官である。
 でありながら、多富洞でみせたように猛将といえる側面も持ちあわせている。そのため米軍の信頼もあつく、平壌攻略では真っ先に突入する機会をゆずられ、幼少のころ遊んだ大同江の浅瀬をわたって一番乗りをはたした。
  

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ちよ「仁川上陸作戦、スレッジハンマーについては『朝鮮戦争』(児島襄)が元ネタです」

ベッキー「マッカーサーが派手好きなのは有名だ。今で言えばボビー・バレンタイン監督をイメージすれば近いかもしれん。イメージを気にしてカメラの前では老眼鏡をかけなかったという。ワシントンでは、次期大統領選出馬のための売名も兼ねているのではないか、という勘繰りもあったそうだ」

ちよ「F・ルーズベルト大統領は、39才のときに罹ったポリオの後遺症で下半身麻痺だったため、移動にも人手を借りたり車イスを多用していましたが、その姿を報道させなかったといいますし、ヒトラーも、宣伝大臣ゲッペルスじきじきの検閲によって、パーキンソン病の発作で震えている左手が見えない映像しか放映させなかったといいます。あ、金日成も首後ろのコブが写らないようにしていました」

ベッキー「で、脳内火葬戦記とやらだが、まず元ネタの原文だ。じいさん先生、たのむぞ」

じじぃ「六巻「黒溝台」、立見師団が元ネタじゃ。以下原文じゃ」


 木越安綱は一月二十六日夜半、十里河の宿営地を出発し、夜行軍をもって翌午前八時半、狼洞溝に達するのだが、立見尚文がこの広島師団の救援をきいたとき、
「これほどの恥辱があるかァ」
 と、雪にうずもれた古城子の民家にあって、怒声をあげ、参謀長以下をてこずらせた。
 元来、立見尚文というのは、そういう男であった。異常に気が強くもある。この気の強さがかれのわかいころ、旧幕歩兵数百をひきいて転戦し、山県狂介(有朋)のひきいる官軍をときに潰滅させ、ときに苦戦させ、さんざんの目にあわせたところでもあったであろう。
 かつて大山巌が、
「なにしろ、軍司令官連中は維新生き残りの英雄どもでごわすから」
 その統制がやっかいだ、という旨のこと山本権兵衛にいったが、立見尚文は軍司令官ではないとはいえ、大山のいう「連中」の部類でも最もたる人物といっていい。
 救援が、恥辱であるという。
 およそ戦略的立場からいえば救援軍の派遣は当然なのだが、それを恥辱であると気色ばむような人間でなければ、戦争という異常な行動を運営する軍隊統率者にはむかないのであろう。
 そのくせ、シベリア第一軍団の包囲下にある立見尚文の師団は、刻々全滅へ近づきつつあった。
「命令受領者をあつめろ」
 と、立見尚文はいった。

(中略)

「命令受領者」
 というのは、この場合、大隊以上の団隊の者をあつめさせた。
 それらの諸部隊は、顔もあげられないほどの砲火のなかで戦っていたが、ともあれ、師団司令部が命令受領者をさし出せというため、旅団本部、連隊本部、大隊本部から、曹長以上の者が、砲火をくぐり、ときに地に伏し。ときに匍匐しながらあつまってきた。

 やがて、各団隊の命令受領者があつまってきた。
 立見の参謀長は、かれらを司令部前にあつめ、必要な命令および注意を書きとらせた。
 そのあいだも砲声が地をふるわせ、飛雪が野を走って、参謀長の声がよくききとれない。鉛筆をもって書きとっている受領者たちがしばしば声をあげて、
「もう一度ねがいます」
 と、繰りかえしを望んだほどであった。

(中略)

 参謀長の話がおわると、師団長立見尚文は、シナ長持の上に乗り、
「わが師団は、開戦以来、日本内地に控置され(中略)わが弘前師団はすでに日本一の精強をうたわれながら、これしきの戦いで苦戦をするとは何事であるか。奥州の健児たる者、他師団にひけをとるまいと思えば、他師団が、五、六度の会戦で受けた損害を一度に負うべし。その覚悟で戦うべし」
 といったとき、立見は跳ねあがって地団駄踏み、ついに壇にしているシナ長持のフタを踏みやぶってしまった。



くるみ「最後に「よほど撤退がいやであったのであろう」と付け加えた以外は原文そのままね」

ちよ「立見中将はシナ長持のふたを踏み破ったのですが、朝鮮半島ということで金錫源にはキムチ壷を踏み破っていただきました」

芹沢「って、そう簡単に踏み破れるもんじゃないだろ」

一条さん「バランスです」

ベッキー「撤退を嫌がったのは事実だがな。
 それと、撤退戦の描写については
完全に作者の妄想だからな。どんな資料をみても書いてないはずだぞ」

くるみ「とは言っても、どうせ何か元ネタがあるんでしょ」

ちよ「はい。『坂の上の雲』ではなく『銀河英雄伝説』からヒントをもらいました。なお、李徳山は本当にこの時期、北の第五師団長でした」

芹沢「おい!『銀英伝』かよ」

ベッキー「ああ、三巻、ヤン不在のイゼルローン要塞に襲いかかったケンプとミュラー、ミュラーがメルカッツの罠に引っかかって損害を受けるところだ。あとは、二巻、ガイエスブルグ要塞付近でミッターマイヤーが偽りの敗走で貴族連合を引っ掛けたところだ。どこがどう似ているんだ!と言われても困る」

ちよ「それと、『三国演義』の官渡大戦で程┐袁紹軍に仕掛けた十面埋伏の計が元ネタです」

くるみ「って、他所のものばかりじゃない」

ちよ「いえいえ、十面埋伏の計は司馬遼でもちゃんとありますよ。『新史 太閤記』で竹中半兵衛がこの計を使って美濃に攻め入った織田軍を潰滅させています。「草木皆ナ兵ト化ス」と一種の縦深陣地、という言い方はそこから拝借しました。
 なお、その場面と原文流用のナレは、大河ドラマ『功名が辻』で使われていました。竹中半兵衛役は筒井道隆でしたね」

芹沢「おい、少しくらいは史実があるんだろうな」

ベッキー「金錫源みずからがしんがりをつとめて、師団将兵が全員収容されるまで舟艇に乗りこもうとはしなかったというのは史実だぞ」

ちよ「艦艇に収容されたあと、それまで片時も離さなかった日本刀を副官南少尉に手渡した、という記述を見たことがありますが、例によって副官ごと無視しています。のちの話のためにも、日本刀はずっと離さず持っていてもらいます」

芹沢「で、この金錫源はそこからどうなったんだ?」

ベッキー「じつは、この撤退以降に師団長を交代している。開戦以来前線に立ち続け、疲労困憊、高齢の身が激務に耐えられなくなったからだとかいうらしい。それと今回で朝鮮戦争の描写はおしまいだ」

くるみ「どうして?」

ちよ「主要な戦闘は開戦一年ちょっとで終わっていまして、あとは持久戦でみみっちい陣取り合戦のような感じだというのと、金錫源が早い段階で前線を退いているので、錫元をからませての展開がやりにくいというのが理由です。
 参謀長の崔慶禄に従わせて「国民防衛隊事件」を書く手も考えたのですが、これは稿をあらためてやることにします」

ベッキー「で、その埋め合わせのようなかたちで、白善将軍について、多富洞の戦いを書いたわけだ。といっても白善の回顧録『若き将軍の朝鮮戦争 白善回顧録』(白善 草思社)丸写しに近いんだがな」

※2012年5月24日 追加

ベッキー「実はちょっと気になることを見つけたので追加するぞ」

くるみ「数年ぶりの更新が新作じゃなくてこっちなの?」

よみ:水原暦「何か事情がありそうだな…」

ベッキー「ああ。詳しくは『朝鮮進駐軍』動画テキストの検証(2)を見てくれ」

ちよ「あ、ねずきちという人の剽窃と対応の話ですね」

芹沢「剽窃?なんだか穏やかじゃねーな」

ちよ「しかも、指摘のコメントを消すということまでやっているのですよ。これはいけませんねー」

ベッキー「ここでも言ったように、この『斜め上の雲』で描かれている金錫源の戦闘描写は架空のものだ。それなのにここからコピペして史実であるかのように思わせているわけだ。自分の創作を史実と勘違いされるというのは小説家としては一種の名誉みたいなものだが、この場合は違う」

よみ:水原暦「史実と思われるほど作り込まれているっていうのは褒め言葉になりますからね」

ちよ「はい。はっきり架空と書いているわけですし、しかも娯楽の範囲ではなく何らかの目的のために史実であるかのように思わせているのですよ」

くるみ「何らかの目的?剽窃野郎のブログから見ると、日本ageでウヨク傾向の人におもねって商売にしてるってところかな?」

ベッキー「おそらくはな。そこで、作者がそれは史実じゃなく創作だとコメントを送ったら承認待ちの間に消されていたわけだ」

芹沢「きったねー手だな。戦車巫女のJSFさんも同じ手をやられていたんだよな」

ベッキー「ああ。ま、せっかくだから史実での金錫源の足取りを簡単に紹介しておくぞ。根拠資料は韓国国防軍史研究所編集の『韓国戦争』だ」

  1. 7月7日:申性模国防長官の要請を受け現役復帰、李准植准将と交代で首都師団長に着任。指揮下には首都師団、第2師団第16連隊・第20連隊、第17連隊、第18連隊、独立機甲連隊、第1砲兵団の1個中隊(M-2榴弾砲4門)。
  2. 同日、鎮川で北朝鮮軍第2師団と陣頭指揮を行なって交戦するも、南のチャ峠、文案山〜烽火山のラインへ後退し鎮川は陥落。
  3. 9日朝、清州進出の要衝となる文案山・烽火山に第2師団来襲、抗戦するも主抵抗線を突破され文案山〜烽火山を奪われる。
  4. 同日、陣頭指揮を行ない正面攻撃をかけ弾幕地帯を突破、文案山・烽火山を奪還するも、10日午前0時の逆襲で文案山陥落、ただちに第17連隊と首都師団第1連隊が夜襲によって再奪還。
  5. 鎮川奪還も計画するが、戦線均衡のために清州へ後退せよとの命令を受け、10日夕方に清州の美湖川南側へ後退。
  6. 11日朝、北朝鮮郡第2師団が美湖川北方へ進出、航空支援を要請して集中砲火を浴びせ、12日には砲兵支援を要請して更に集中砲火を加えて撃退する。
  7. 作戦会議の結果、清州を放棄してその南側で防御することになり、13日、清州の南側へ撤退。
  8. 清州南側、安東で防御。7月31日、洛東江防御線編成計画に基づき撤退が決定するも、作戦会議の延長により行動が遅れ、8月1日午前4時に撤退開始。
  9. 命令の届かない部隊も多く混乱。北朝鮮軍の接近によって予定より早く橋梁が爆破されたため、川岸にたどりついた第21連隊は北朝鮮軍の追撃を受け壊乱、死傷者と溺死者続出。首都師団第1連隊も巻き添えを食って混乱し陣地を突破される。友軍の撤退を見て離脱する兵も多く、分散後退となった。同日なんとか撤退完了。
  10. 8月5日、吉安に防御線を引いた首都師団に、北朝鮮軍の攻撃開始。後方からの奇襲を受け、戦闘指揮所が襲われて数時間で防御線が瓦解し、各隊は分散後退して翌日までに義城に撤退した。
  11. 8月7日、金錫源は部隊の指揮責任によって首都師団長を解任された。後任は白仁大佐(白善の弟)。
  12. 同日、江口の第3師団も同じように戦闘指揮所を襲われ指揮系統が混乱し、師団長李俊植准将が更迭された。金錫源が後任として着任。
  13. 8日夜、盈徳の防御線が崩壊し南の長沙洞へ撤退。引き続き北朝鮮軍の南進を阻止するため抗戦を継続する。
  14. 11日、南方の浦項陥落。後方を遮断されるかたちになったが抗戦を継続。しかし、南側の興海にも北朝鮮軍が出現し、南北から挟攻される虞が出てきた。
  15. 15日、陸軍本部は米第8軍と調整して、第3師団に海上撤退を命令。金錫源は海上撤退に備えて防御編成をとり、ヘリコプターによる負傷者後送、薬品補給が行われた。
  16. 17日午前6時、長沙洞海岸からLST4隻による海上撤退開始。第3師団将兵9,000余名、警察官1,200余名、労務者1,000余名が午前10時30分までに乗船し撤退は成功。撤退を知った北朝鮮軍は迫撃砲と機関銃射撃を行なったが、航空爆撃によって阻止された。
  17. 九竜浦に到着した第3師団は新兵補充を受け部隊再編し、19日、前日に奪回された浦項に布陣。北朝鮮軍は浦項の再奪還を企図して夜襲を繰り返すが、全て撃退した。
  18. 陸軍本部は9月1日付で第3師団長を金錫源から李鍾賛大佐に交代させた。
芹沢「勝ち続けたわけじゃないんだなー」

ベッキー「当然だ。というか、この時期は遅滞戦闘の時期だから時間を稼ぎ、また敵に出血を強いるのが目的だ。局地的戦闘の勝利が目的じゃない」

よみ:水原暦「勝負に勝って試合に負けた、じゃ戦略の意味がないしなぁ」

ちよ「作者がいかに金錫源の景気のいい場面だけを切り取って創作したかを楽しんでいただけるとありがたいと思います」

ベッキー「まぁ、ちゃんと朝鮮戦争の戦史を調べていれば、第3師団が長沙洞じゃなくて盈徳から海上撤退と書いてある時点で創作だと気づくと思うんだがなw」


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