斜め上の雲 10

朴正煕




 朴正煕少将によるクーデターが起こったとき、錫元は軍にいない。
 母親の葬儀をおこなうため金村に帰郷していたのである。
 錫元をふくめ三人の男子と一人の女子をうんだ母の孟瓔玉は朝鮮戦争中の苦労がたたって病床に臥せる日が多くなっていたが、六一年五月十五日に永眠した。
 危篤の知らせを受けた錫元は休暇をとり金村の自宅に戻って最期を看取っていたのだが、クーデターの発生は十六日未明であったため、情勢がわからず身動きが取れなかった。しかたなく、葬儀一式をとりおこなったうえで、尹潽善大統領の戒厳令承認と軍事革命委員会への支持声明をきいてからようやく復帰した。

 尹大統領の支持をとりつけた朴は、反共体制の強化、アメリカなど自由主義諸国との連携強化、腐敗と旧悪の一掃、飢餓の解消と自立経済の確立、統一のための実力を培養することを公約にあげ、それらを成就したのちにはすみやかに民政に移管するとし、立法、行政、司法の三権を掌握する国家再建最高会議を設置、みずから議長に就任して国政改革に着手した。また、金鐘泌を部長として韓国中央情報部(KCIA)を新設した。
 朴は軍人らしく戦略目標をしぼり、そこに全力を集中した。経済開発による国家再建、発展がそれである。
 李承晩はアメリカから膨大な援助物資を導入することに成功しながら、無能と腐敗のためにいたずらに浪費したにとどまった。朴はその轍をふまないよう、経済企画院を新設し、計画的な経済開発をめざした。
 手本としたのは、かつて岸信介ら日本の革新官僚がすすめた満洲国の経済開発計画であった。

 朴は、大統領選挙を実施し民政に移管するという公約どおり、六三年十月に大統領選挙を実施すると発表した。
 そして、腹心の金鐘泌情報部長に、民政に対応できる政党の育成を命じて民主共和党をつくらせた。その過程で政権内部に内紛が生じたが、それに関与した造反者を片っぱしから軍法会議にかけ、死刑など重罪判決をくだしたものの、ほどなくアメリカに出国させた。アメリカの介入があったというが、対立者をことごとく死刑にした金日成とは対照的である。
 朴は八月に軍を退役し、民主共和党代表の文民として大統領選に立候補した。選挙は尹潽善との一騎打ちとなり、軍事政権を嫌うケネディ政権の干渉があったものの、朴は四百七十万票を獲得、十五万六千票の僅差であったが当選した。
 これにより朴正煕大統領による開発独裁の時代がはじまる。

 朴正煕はのちにその施政を「維新体制」と称した。空虚な論議を排し実務に徹底したその富国強兵策はまさに明治維新の再現であろう。
 それまで韓国社会は伝統どおり武や軍隊を軽視していた。六五年に訪韓した日本人の新聞記者にたいし、ある韓国人記者は、
「われわれはクーデターという事態がおこってはじめて、軍隊という強力な武装集団が存在することに気づいた。政府に対抗するものといえば学生か労働者しかいないと思いこんでいた」
 といったほどである。

 国策の要諦は、文化や儀容をほこることではない。韓国人の古来の好みとして、じぶんたちだけが文化国であるという小中華思想をもって武をさげすみ、強大な国家に事大するといったところに礼秩序と治国のみちがあるとしてきた。清朝皇帝への三跪九叩頭や貢進などが事大の典型であるだろう。
 ところが、金春秋や光海君がそうであるように、現実の冷静な分析と忍耐づよく努力することが国策の大原則であり、政治というのは山積する問題について、優先順位を定め、かぎられた資金や人力を集中することをいうのである。あとは効率よい事務行政を運営してゆきさえすればいい。
 李朝の儒学者や両班が事大や文治を好んだために、その伝統がずっとつづき、現代の指導者までが政治家のくせに上の前近代的思想に憑かれ、朝鮮特有のふしぎな軍隊蔑視思想を継承して、ついには盧武鉉が出現したが、朴政権のころの思想はその後のそれとはまったくちがっている。経済計画遂行のための資金不足になやみ悪戦苦闘をかさねたが、それでも現実を見すえ、日韓基本条約の締結やベトナム派兵などをおこなって資金を獲得し、実務的に社会建設をすすめた。

 朴正煕の功績である経済成長は、上のような理由で、きわめて正統的な経済政策のうえに立っており、きわめて当然な結果として健全な成長をまねいた。
「あの韓国が、とてつもない成長をしている」
 という報道は世界をかけめぐり、韓国政府が期待していた国際的地位の向上での好結果が露骨に出た。
「北よりも南のほうがずっといい」
 という観測が、この圧倒的な「漢江の奇跡」によって、出てきた。
「努力だけではない。運も憑いている」
 といったのは、錫元である。
「北がこれから伸びようかというときに、中ソ対立や文化大革命がおこり、北への援助もむちゃくちゃになってしまった。中ソのどちらかが既定の方針どおり援助を続行していれば、情勢はわからなかったかもしれない」
 もっとも、これは錫元の慎重すぎるみかたであったかもしれない。
 北朝鮮の発表する経済統計の多くは、当時から実数なしの倍数やパーセンテージであらわされており、どうやら内幕を隠匿する必要がある、つまり実勢を知られたくないほどの欠陥があるからではないか、ということがすでにささやかれていた。
 援助の有無にかかわらず、北朝鮮の経済政策はみかけほどうまくいっていなかったといっていい。


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くるみ「ようやく朴正煕時代ね」

ベッキー「ああ、高麗末の崔忠献以来七百年ぶりの武人政権だな」

芹沢「おいおい、えらく大げさだな」

ちよ「朴正煕は満州国軍人でした。満洲国を手本とした経済政策には実感があったのでしょうね」

ベッキー「朝鮮人が武を軽んじていたのは有名だな。本文中にある日本人記者と韓国人記者の話は『物語 韓国人』(田中明 文春新書)が元ネタだ。日本人記者は当時朝日新聞記者として訪韓した田中明氏だ」

くるみ「たしかに、文を崇拝して武を軽んじたというのはよく聞くけど、その武の実情についての例は?」

ベッキー「一六三六年、清と戦うときの対応なんてかなりグデグデだぞ。領議政(総理大臣)兼体察使(王代理として軍を率いる)の金瑬 というやつは主戦論だったが、

金瑬 [流の下に玉]
「もし、敵が深く攻め入ってきたら、都元帥・副元帥はもちろん黄海・平安道の観察使は妻子もろとも厳罰に処すべきです」
仁祖
「そのときは体察使も重罪を免れないぞ」
金瑬 [流の下に玉]
「!やっぱ講和しましょう!」

と、びびって和平論に鞍替えした男だ」

ちよ「さらに金は、王らとともに籠城したソウル南の南漢山城で、城外の木の柵を『柵を焼き払えば兵の進撃に便利です』という進言を真に受けて焼き払ってしまい、敵の進撃をやすやすと許しました」

ベッキー「柵に張り巡らした綱に金属板を鳴子として結び付けてあって、敵兵が接近すれば音で知らせる仕掛けもあったんだが、これでパァだ」

芹沢「イタいやつだな」

ちよ「首脳陣たちも仲が悪く、会議でも反対のための反対などを繰り返し、国防体制は全然整いませんでした。もとからある軍の駐屯地をわざわざ変えたり、遠くの慶尚道から援軍を徴兵しようとか、意味のないことばかりが決定されました」

ベッキー「清のほうはそういう内情を知っていたんだろうな。『抗戦を唱えているのは儒臣連中だろうが、筆先で我が軍を退けられるとでも思っているのか』と喝破している」

ちよ「都元帥(最高司令官)の金自点も、鞭をふるって兵士を脅してこき使うだけで、冬の間は清の侵攻はないと思い込んで、それに反対すると怒り狂ったり、清軍接近という斥候報告を聞いても、それを妄言だと決め付けて斥候を斬ろうとした男です。ゆかり先生よりひどいです」

くるみ「自分の願望以外の事実は事実でないとして怒るのは昔からそうなんだ」

ベッキー「一般化はできまいが、願望を事実と思い込む典型的な例だな。で、結局は清に秒殺されて降伏するんだが、そのときに送る文書で、朝鮮王を「臣」と称するか、清のホンタイジに「陛下」の尊称をつけるかでウダウダもめていたんだ。結局両方とも使うことになったが、そうなると反対派は文書を起草した崔鳴吉を斬れと上奏する始末だ」

ちよ「党争でも『だれそれはけしからんから斬るべし』という上奏合戦はもはや日常茶飯事です。口だけは勇ましいんですね」

ベッキー「その送った文書の中では、『我が国はひたすら詩書を学ぶことに重きを置いて、軍事には興味ないんです(惟ダ詩書ヲ事トシ兵革ヲ事トセズ)』という言い訳のような泣き言のような一節があるんだ。半年前にも清に関係悪化釈明の文書を送っているんだが、そこでも『兵甲戦闘ハ本ト習フ所ニ非ズ』という一節がある」

芹沢「ここまで来ると、武を軽んじるというより、武をなめていると言ったほうがいいかもな」

ちよ「現代の徴兵逃れなら、こういうのがあります」


 徴兵逃れ――現代の武蔑視

 こうした“伝統”は根強く現代にまでつづいている。徴兵逃れがいつも話題になっているのは、その表れである。一九六〇年代の末、たまたま韓国に行っているとき、有力者の子弟の徴兵逃れに業を煮やした政府が、当人だけでなく親の名前まで一緒につけた名簿を新聞に発表したのにぶつかったことがある。五段の広告欄三面にわたり小活字でびっしり詰まった名簿を見て、私は「こんなことまでしなくてはならないのか」と思ったものだ。それで気をつけていると、この兵役に関する不正(マスコミは「兵務非理」といっている)は、韓国では年中行事のように大きく取り上げられている。
 徴兵逃れは、軍人の側からも手引きする者がいるらしい。一九九六年六月、国防省検察部は現役将校八十八人を含む四百余名を捜査し、軍人五名を拘束したが、当時の新聞は「カネで兵役を免除されたり、よい配置に就くことができるということは、韓国社会の公々然たる噂だ」と報じていた。このとき起訴された兵務庁の募兵連絡官だった元准尉など、富裕層の百五十四名から総額五億四千万ウォン受け取っていたというからすさまじい。親たちは子供に兵役を逃れさせようと、工作に懸命なのである。ソウルの漢江南岸の高級住宅地では、現役入隊をすることになった若者に対して「お前のお袋さんは継母じゃないのか」という冗談が交わされるという(『朝鮮日報』九十九年六月十三日付)。実母だったら、工作して現役にならないようにするはずだというわけで、闇の運動の激しさを物語っている。
 徴兵検査の判定には、現役合格者と不合格(徴兵免除)者との間に、防衛兵という区分がある。一家を扶養する大黒柱的存在の者や、体力、学力がいちじるしく不足している者、入隊せずに役所に通い、公務員の補助をすることで、兵役に代えるというものである。服務期間は半年から一年というから、あらゆる面で現役入隊(二年以上服務)より楽である。九三年の国防省特命検閲団(兵務非理の監査のため、金泳三政府が特別に設けたもの)が行なった兵役義務の実態調査によると、徴兵検査を受けた者のうち、仝縮鮃膤兵圈↓∨姫卻爾糧縦蠅鮗けた者、J写鯡判者の割合は、全国平均で五五%、二七%、一八%になっているが、江南の高級住宅地ではそれぞれ三四%、五六%、一〇%で、防衛兵の割合が倍以上になっており、これが大いに利用されていることが分かる。

エリートに多い兵役未経験者

 そういう空気の中で成長したエリートたちだからだろうか、社会の指導層のなかに、兵役未経験者が三分の一もいる――という数字にも出くわした。『月刊朝鮮』九五年十一月号が、行政府の長・次官、道知事(日本の県知事に当たる)、市長、大統領府の首席秘書官、与野党の重鎮国会議員百三十九名を調べた結果、軍務に就いたことのないものが三 三・六%に上った、というのである。

(中略)

 そこで二〇〇〇年の国会議員選挙からは、立候補者は兵役履行の有無を申告することが法的に義務づけられ、選挙管理委員会がそれを公表することになった。それによると、候補者の二三・二%が軍隊に行っていないとのことである。国民全体の数字は四・三%だから(『朝鮮日報』二〇〇〇年三月二十九日付)、極めて高い数字である。年の初めに市民団体が、兵役非理の疑いがある指導層人士二百余名の名簿を検察に提出していたが、こうしたキャンペーンがどれだけ効果を上げるかは疑問である。軍隊嫌いの底には武蔑視の伝統がでんと居座っているからだ。
 こうしたキャンペーンが、富裕層の子弟の抜け駆けを告発するというレベルにとどまって、この伝統を問題にしない限り、告発者が権力者あるいは富者になったとき、同じことが繰り返されるであろう。それはこれまでの経過が示している。

『物語 韓国人』田中明 文春新書

芹沢「誰だって兵役が好きというわけじゃないだろうけどよ、ちょっとこいつは……」

ベッキー「朴正煕政権下でも根絶できなかったというからかなり根深いもんなんだな。
 ま、大東亜戦争後の日本人の軍事に対する毛嫌い&無理解も相当なもんだが。作者の実体験で言えば、湾岸戦争のころに軍事の話を友達としていて、他人から白眼視された記憶がある」

くるみ「軍事だって社会教養の一つよね」

ベッキー「ああ。軍事は病原菌じゃないんだから、ひたすら軍事を拒絶して憲法9条を念仏のように唱えてありがたがったところで平和が来るわけじゃないんだがな」

ちよ「憲法第9条に対する信仰を皮肉って『九条念仏』といい、そのうち第9条を写経して配るんじゃないかというギャグを飛ばしたのは井沢元彦でした」

ベッキー「そのとおりだ。『言霊』で書いていたんだが、実はネタで終わっていないんだ」


九条「写憲」し意義考えよう

無職 市川 敏雄(愛知県岡崎市 77歳)

 戦争中は勝つことばかりを考えていたが、敗戦によって平和の尊さを知るようになった。
 戦争中を生き延びて、戦争の恐怖と悲惨さを体験した者こそ、平和の真の理解者といえる。

 私もその一人だ。

 今を生きる人々は、本当の平和の素晴らしさを知らないと思う。
 日本は六十一年間、平和であった。

 これからも平和を願うのなら、憲法九条を守っていくことが大切だ。
 私は日本が戦争に巻き込まれなかったのは、この平和憲法のおかげだと思っている。

 そこで私は写経ならぬ、九条の「写憲」を提案したい。
 一人一人が心を静かにして、百三十字ほどの条文を書写することで、平和への願いを新たにすることを勧めたい。

 最近は憲法改正を求める声も強くなった。
 多くの人がこの「写憲」をして、この憲法の意義を考えてほしい。

(中日新聞 二〇〇六年八月二日)


ちよ くるみ 芹沢「……」

ベッキー「みんなが固まるのも無理はないな。作者も正直目を疑った。井沢のネタを基にした釣りちゃうんけ?ってな。
 さ、少し遅れたが元ネタの原文だ」

じじぃ「3巻「陸軍」、黒木軍の鴨緑江の戦いが元ネタじゃ。黒木の戦勝によって外債の募集状況が好転してきたことを、経済成長「漢江の奇跡」にあててみたんじゃと。以下原文じゃ」


 戦術の要諦は、手練手管ではない。日本人の古来の好みとして、小部隊をもって奇策縦横、大軍を翻弄撃破するといったところに戦術があるとし、そのような奇功のぬしを名将としてきた。源義経の鵯越の奇襲や楠木正成の千早城の籠城戦などが日本人好みの典型であるだろう。
 ところが、織田信長やナポレオンがそうであるように、敵に倍する兵力と火力を予定戦場にあつめて敵を圧倒するということが戦術の大原則であり、名将というのはかぎられた兵力や火力をそのように主決戦場にあつめるという困難な課題について、内や外に対しあらゆる駈けひきをやり、いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者をいうのである。あとは「大軍に兵法なし」といわれているように、戦いを運営してゆきさえすればいい。
 日本の江戸時代の史学者や庶民が楠木正成や義経を好んだために、その伝統がずっとつづき、昭和時代の軍事指導者までが専門家のくせに右の素人の好みに憑かれ、日本特有のふしぎな軍事思想をつくりあげ、当人たちもそれを信奉し、ついには対米戦をやってのけたが、日露戦争のころの軍事思想はその後のそれとはまったくちがっている。戦いの期間を通じてつねに兵力不足と砲弾不足になやみ悪戦苦闘をかさねたが、それでも概念としては敵と同数もしくはそれ以上であろうとした。

(中略)

 日露戦争の第一戦である鴨緑江渡河戦は、右のような理由で、きわめて正統的な戦術思想のうえに立っており、黒木軍はきわめて量においてゆたかで、とくにその優秀な火砲はつねにロシア軍を圧倒した。

(中略)

「一日で鴨緑江を突破し、さらに九連城をもくだいた」
という報道は世界をかけめぐり、日本政府が期待していた外債募集面での好結果が露骨に出た。
「日本の債券を買っておけば損はない」
 という人気が、この第一戦の圧倒的な勝利によって、出てきた。
「兵力だけではない。運も憑いている」
 といったのは、黒木軍の参謀長の少将藤井茂太である。
「鴨緑江の渡河戦のとき、いまにも雨がふりそうであった。雨がふって河が増水し流れが早くなればあの頼りない軍橋はいっぺんに押しながされてしまい、すべての作戦がむちゃくちゃになってしまう。ところが運よく渡河中にふらず、それが完了してから雨がふってきて大雨になった」



ベッキー「次回は日韓基本条約についてやる予定だ」

以下9月19日追加修正

ベッキー「実はこんなネタが入ってきたので緊急追加だ」


心で書いて憲法9条理解 立場超え「写九」人気

 憲法九条を書き写す「写九」の取り組みがじわりと広がっている。昨年、熊本市の主婦が発案し、長野県の大学講師がインターネットで紹介したところ、全国から百件近い反響があった。神戸にも今年夏に、「平和写九をすすめる会」が発足。呼びかけ人の団体職員、宮本加光さん(59)=神戸市北区=は「九条はたった百三十一文字。心をこめて書き写せば理解が深まるはず」と話している。(木村信行)

 熊本市の主婦、円藤純子さん(61)が一昨年、お寺で写経を体験。正座をして背筋を伸ばし、深呼吸をした後、毛筆でゆっくりお経をなぞると、聞いているだけでは難しい経文が心に染みた。

 「これを九条でやれば」。改憲の動きに危機感を抱いていた円藤さん。友人の印刷屋に頼み、上質の和紙にうっすらと九条を書いた「写九用紙」を作った。

 これを知った清泉女学院短大(長野市)の元非常勤講師、加瀬清志さん(53)が、護憲、改憲の立場を超えて条文を知ってもらおうと授業に導入。学生から「書くと、ものすごく頭に残る」と感想が寄せられた。自分のホームページで紹介すると「やってみたい」などの反響が百件近くあった。

 神戸では宮本さんが賛同。円藤さんから写九用紙を取り寄せ、「余白にメッセージを添えて首相官邸に送ったり、平和の学習会で利用したり、いろいろ活用法を考えて」と呼びかけている。

 写九用紙二枚、手引一枚のセットで百五十円(郵送は二百九十円)。宮本さんTEL0××・××××・××××

2006年9月19日 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000116483.shtml


くるみ「……これなんて宗教?」

芹沢「いや、もうなんつーか、痛々しさを通り越してかなりあっちの世界にイッているよな。『I'll see you on the dark side of the moon』とでも言うか……」

ちよ「作者の好きなPink Floydですね。B面の『Brain Damage』の一節です」

「古代アナパスタ文明の儀式なのカナ?
 カニさえあれば平和にちがいない!!
 ちがわないのカナ!!」

くるみ「なんつー姫子のからませ方だ。作者もひどすぎ」


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