斜め上の雲 14

白善




 余談ながら、私は大韓民国の歩みというものをこの物語で書こうとしている。
 小さな。
 といえば、朝鮮戦争直後の韓国ほど小さな国はなかったであろう。日本の残したインフラもほぼ灰燼に帰し、日本の教育を受けた人材がいたとはいえ、指導層は自称革命家あがり――ややもすればごろつきとかわりない――で政治ばかりか経済もわからないものたちで占められていた。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめて自分たちが主役となって近代国家を建設するため、朝鮮の旧習と血みどろの対決をしたのが、漢江の奇跡である。
 その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫をいまの韓国人は食いちらしていることになるのだが、とにかくこの当時の韓国人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして労苦をおしまない努力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。現実をみる目をうしなって民族至上主義の陥穽にはまって堕落したいまからおもえば、とうてい考えられないほどの奇蹟といっていい。
 その奇蹟と堕落の演出者たちは、数え方によっては半万人もおり、しぼれば三十六人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。

 その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
 一組の兄弟にえらんだ。
 すでに登場したように、坡州金村のひと、金錫元キム・ソクウォン金華秉キム・ファビョンである。この兄弟は、奇跡と堕落を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
 たとえば、こうである。韓国が近代化するにあたって、どうにも克服しがたいものがかれら自身のなかに二つあった。一つは現実を鑑みることなく理想のみを唱える観念主義である。
 いまひとつは精神面におけるウリナラマンセーであった。

 運命が、この兄弟にそれらとの対決を強いた。兄の錫元は、軍人として世界一脾弱ひよわな朝鮮民族のリアリズムを鍛えざるをえなかった。軍事における観念主義はかれによって破壊された。かれは心魂をかたむけて軍事史の研究をし、ついに現実に即した作戦をみちびきだす工夫を完成し、ベトナム戦争には大佐として出征し、メコンデルタの密林において苦心惨憺たる殲滅戦を連闘しつつ敵をやぶった。
 弟の華秉は中途で軍を退役し政治の世界に入った。
「詭弁息をするがごとし」といわれたこの人物は、政策シンクタンクの研究者として盧武鉉政権をささえた。
 それ以前からかれは韓国を世界一とみる妄想をかさね、ウリナラマンセーを克服するのではなく、ぎゃくに発展させ、国家民族をそのなかにほうりこんだ。それによって韓民族至上主義の信念を得たとき、盧武鉉大統領はかれの思想と思考を信頼し、外交政策に参画させた。
 この兄弟がいなければ韓国はどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにもそれぞれの時代の韓国的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。

 七一年春、大佐になった錫元は第十四連隊長に補任され、ベトナムへの出征を命じられた。
 出征にあたって、錫元は隠棲中の金錫源をたずねた。
「ベトナムか」
 金錫源は複雑な笑いをうかべた。
「われわれもそうだが、中華帝国の周辺国はなにかと苦労がたえぬものだ」
 支那が共産主義であってもなかってもその点はさほどかわるまい、という。
「このあいだに北韓が攻めこんでくる心配はないのでしょうか」
 錫元の気がかりはそこにある。最近は武装ゲリラの侵攻がたびたびあり、民間にも被害が出ている。
 在韓米軍もすくなからず転出してベトナムに派兵されている。韓国軍もかつて金錫源がひきいた首都師団(猛虎師団)や白馬師団といった精鋭を派兵している。
 もし、北朝鮮軍が三十八度線に攻勢をかける一方で、同時に特殊部隊を沿岸部に上陸させて後方攪乱をすればどうなるであろう。
「まず大丈夫だろう」
 後ろ盾の中ソがアメリカと同じくベトナムにかかりきりであるから攻勢にはでてこまいという。中ソ自体も対立しているし、中国国内は文化大革命で混乱している。
「アメリカが惨敗すればどうなるかはわからないが」
 そうなれば、ベトナムだけではなく、導火線に火がつくように東南アジア諸国に共産主義革命運動がつぎつぎとおこるであろう。しぜん、国際関係の均衡が東側に大きくかたむき、北朝鮮も武力統一について成算をもつようになる。そのためにもベトナムでは負けてはならない。

 金錫源のもとを辞するさいに、金は表までみおくってくれたばかりか、
「元、これをもってゆけ」
 といって錫元に軍刀を手渡した。朝鮮戦争でふるったあの日本刀であり、日本軍時代からこれまでいちども離さなかったものである。
将軍しょうぐん、それは」
 ――錫元は金錫源を日本語発音の『しょうぐん』とよぶ――分にすぎます、と困惑する錫元をさえぎっていう。
「軍人のたましいはつねに戦場にあるべきだ。だからこれをわしだとおもって戦場に出してくれ」
 錫元は息をととのえ背筋をのばした。
「わかりました。将軍のたましいをおあずかりします」

 次にたずねたのは白善のもとである。
 白は整軍による退役後、すぐに駐中華民国大使に任じられ、その後駐フランス大使、駐カナダ大使をつとめたのち交通部長官となり、ソウルの地下鉄導入に功績があった。
 この当時は交通部長官の職を辞したばかりで、いわば浪人であった。
「敵はゲリラが主力とききましたので、ぜひ閣下のお知恵を拝借したいです」
 錫元の言葉に白はほほえんだ。
「わしがもう少しがんばっておれば金日成は地上にいなかった。惜しいことをしたものだ」
 かれのいうのは朝鮮戦争のことではなく、満州軍時代の匪賊討伐をさす。
 満州軍時代、かれが間島特設隊として匪賊を討伐していたことは前にふれた。抗日ゲリラ時代の金日成もこの軍に追いまわされてかろうじてソ連に脱出したという。
 これもすでにふれたが、経歴をみればわかるように、不正規軍との交戦や情報戦などにたけていた。そのかれに教えを乞いたいというのである。

 白善は、
「民弊」
 ということばをしきりにつかった。
 民に負担をかけてついえさせることをさすが、たんに他者に迷惑をかけることもいう。どうやら朝鮮語ではよくつかわれることばであるらしい。
 かれによれば、軍隊が民間人から物資を購入するときや民家を宿舎として借りあげるときに、正当な代価をはらわないことも当然民弊にあたるという。
「水一杯でもただで飲むな」
 とまでいった。
 民衆は、軍服を着て兵器を持った将兵が往来するのをみるだけでも重圧を感じる。その重圧もまた民弊であるという。そのため民衆の前ではできるだけ笑顔でおだやかにふるまうべきだといった。
 ゲリラは硬軟とり混ぜた戦術で民衆をおどし、すかし、おだてて、かれらを支持せざるをえない状況に追いこむ。その状況を察せず単に匪賊への協力者として断罪すれば、ますます信をうしなうことになる。
 けっして民衆をゲリラのがわに追いやってはならない。白はそう断言した。
「民衆とゲリラを切りはなすことができれば六割方は成功だ」
 この点については、白は確信をもっている。

 錫元は出征をひかえて一度帰郷した。実家では末弟金華秉が一歳になっている。
 華秉がうまれたとき家計が貧窮をきわめ(いまもそうだが)、父の信五が、このあかん坊は海外養子にでもやらにゃどもならん、といったのを、陸軍中佐に昇進していた錫元が「外国にやってはいけませぬ。わたしの給料で、ハモニカ・カルビほどお金をおつくりいたします」といったのだが、むろん華秉はそんなことを理解できる年齢ではない。ただものめずらしそうに錫元を見上げている。

「父上さま、約束どおりお金をこしらえることができました」
 大佐になり、今回の出征で連隊長にもなったため、いくばくかの手当もつくようになったのである。また、他の弟たちも就職が決定したので学資負担も減った。これで、かつて約束したように華秉の養育のためのお金ができた。
「まだまだ金を送りますので、華秉をうえの学校にやってくださいませ」
 錫元は、「父上さま、これはお願い申しあげます」と真顔でいった。華秉を助けてやってくださいといった中佐のときの言葉を、錫元は大まじめでまもろうとしていた。

「ベトナムとはどんなところだ」
 父信五はたずねた。多くの韓国人にとっては縁のない土地であろう。錫元にしても、暑いところだというくらいしか知識はない。
「暑いのか。それではキムチが保たんだろうなぁ」
 残念そうに信五は首をふった。


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くるみ「ベトナム出征をひかえての小ネタ集ね」

ベッキー「まずは、物語の概観記述だ。じいさん先生原文をよろしく」

じじぃ「うむ。元ネタは1巻『真之』、章の冒頭じゃ。以下原文じゃ」


 余談ながら、私は日露戦争というものをこの物語のある時期から書こうとしている。
 小さな。
 といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。
 その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食いちらしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。
 その奇蹟の演出者たちは、数え方によっては数百万もおり、しぼれば数万人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。
 その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
 一組の兄弟にえらんだ。
 すでに登場しつつあるように、伊予松山のひと、秋山好古と秋山真之である。この兄弟は、奇跡を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
 たとえば、こうである。ロシアと戦うにあたって、どうにも日本が敵しがたい者がロシア側に二つあった。一つはロシア陸軍において世界最強の騎兵といわれるコサック騎兵集団である。
 いまひとつはロシア海軍における主力艦隊であった。
 運命が、この兄弟にその責任を負わせた。兄の好古は、世界一脾弱ひよわな日本騎兵を率いざるをえなかった。騎兵はかれによって養成された。かれは心魂をかたむけてコサックの研究をし、ついにそれを破る工夫を完成し、少将として出征し、満州の野において悽惨きわまりない騎兵戦を連闘しつつかろうじて敵をやぶった。
 弟の真之は海軍に入った。
「智謀湧くがごとし」といわれたこの人物は、少佐で日露戦争をむかえた。
 それ以前からかれはロシアの主力艦隊をやぶる工夫をかさね、その成案を得たとき、日本海軍はかれの思想を信頼し、東郷平八郎がひきいる連合艦隊の参謀にし、三笠に乗り組ませた。東郷の作戦はことごとくかれがてた。作戦だけでなく日本海海戦の序幕の名口上ともいうべき、
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハただちニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日晴朗ナレドモ浪高シ」
 という電文の起草者でもあった。
 この兄弟がいなければ日本はどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにも明治初年の日本的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。



ベッキー「錫元が連隊長として補任された第十四連隊、および第四連隊は実在しないぞ」

くるみ「どういうこと?」

ちよ「大韓民国の建国直後にはあったのですが、第四連隊には南労党の工作員が多数入り込んでほぼ赤化してしまい、さらに第四連隊から供出した人員を基幹として編成した第十四連隊もそうなりました。
 一九四八年十月、彼らは麗水、順天で反乱を起こし白善らに鎮圧されます。それ以降、日本語と同じく「四」は「死」に通じ縁起が悪い、ということもあって、この2つの不名誉な連隊は欠番となりました」

芹沢「読売ジャイアンツの背番号4みたいなもんだな」

ベッキー「適切なたとえだ。1948年、ジャイアンツの主力打者だった黒沢俊夫が現役中に腸チフスで死亡し、それ以来ジャイアンツでは彼の背番号だった4をつける選手がいない、というのは事実だからな。正式に公表されたわけではないが、ある意味永久欠番だ」

ちよ「その間隙を利用して、番場蛮が背番号4をつけたんです。なお、今は廃部となった社会人野球の住友金属でも、現役中に事故死した選手の番号を永久欠番としていました。そのユニフォームは和歌山にある野球部の建物内の展示品になっていました」

芹沢「そういや、かつての日本人選手は4番を嫌がっていたなぁ。阪神ならバッキーやキーオといった外国人がつけていた印象が強いぜ。南海ならジョーンズ、ロリッチ、ネトルス、ビュフォード、ピアーズ、トーラン、李来発、ダットサン、ライトル、ナイマン、ハモンドだな。他にはマニエル(近鉄)、マルカーノ(阪急)、モッカ(中日)とか。
 日本人がつける場合は、窮地に立たされて死に物狂いでやるという意味でつけることが多かったかな。川藤とか藪とか」

ちよ「4番に抵抗がなくなってきたのは70年代後半からじゃないでしょうか。大石大二郎(近鉄)、片平晋作(西武)、正田耕三(広島)、岩本好広(阪急・中日)、森脇浩司(ダイエー)、横谷彰将(大洋・阪神)らが代表でしょう」

くるみ「阪神と南海を押し出すあたりが、作者の趣味全開だわ」

ベッキー「金錫源から日本刀をもらうところだが、当然フィクションだぞ」

ちよ「金錫源は、朝鮮戦争の休戦後にすぐ退役して、教育者の道を歩んでいました。この時期は城南中高校の理事長です」

芹沢「で、つぎは白善を訪れて、対ゲリラ戦術を講義してもらうんだな」

ベッキー「これも当然フィクションだが、白善の戦歴と対ゲリラ戦術自体は本当だ。白の回顧録『若き将軍の朝鮮戦争』に述べられているものを下敷きにしている。
 白善は、満洲軍の間島特設隊として匪賊掃蕩にあたったほか、朝鮮戦争末期には山野に潜伏してゲリラ化した北朝鮮軍の掃蕩にもあたっている。能力と実績は申し分ない」

ちよ「白善は39歳で退役後、本文で書いたようにすぐ外交官畑を歩んだのですが、当時の韓国は各国に大使館を置けるほど豊かではなく、複数の大使を兼任させていたため、フランス大使のときはスペインをはじめ17カ国の大使を兼任したそうです。
 また、中華民国大使のときは、日本公使ばかりか、白団とも多少のつきあいがあったそうです」

くるみ「また華秉が出てきたわね。といっても一歳の幼児だけど」

じじぃ「ここはのぅ、先ほどと同じく1巻「真之」、士官学校時代の好古が帰郷したときの話が元ネタじゃ。以下原文じゃ」


「逃がさんぞな。あにさんにあいさつお申し。あの兄さんは兄さんであるだけでなしにお前にとっちゃ命の恩人ぞな」
(それがいやなんじゃ)
 と、真之はおもった。真之がうまれたとき家計が貧窮をきわめ(いまもそうだが)、父の久敬が、このあかん坊は寺ィでもやらにゃ育てられん、といったのを、十歳になった好古が「寺ィやっちゃいやぞな。おっつけうちが勉強してお豆腐ほどお金をこしらえてあげるけん」といったということを真之は両親からさんざんきかされてきた。(中略)
「二年経ってあしが少尉になると、淳は小学校を出る。金を送るけん、淳を中学に入れてやってくだされ」
 好古は、「父さんこれは約束ぞな」と真顔でいった。真之を助けてやってくれといった十歳のときの言葉を、好古は大まじめでまもろうとしていた。



くるみ「さ、次回はいよいよベトナム出征ね」

ベッキー「ああ、ベトナム史の概観とベトナム戦争について触れつつ脳内火葬戦記の幕開けだ」

ベホイミ「地獄のヒーロー、チャック・ノリスの出番っス」

メディア「Aチームを忘れてはいけませんわ」

ベッキー「わかったわかった、次回は軍事物だし、お前らに任せて私は休暇をとる」

一条さん「!さては、黄色いバカンスですね」

くるみ「ま、まさか私はクビ?!」

芹沢「消去法的には妥当なとこだな」

ベッキー「あの作者のことだから先はわからん。くるみの出番まで保障できんと思うぞ。とりあえずバランスを取りたいので、ちよちゃん、そっちからも人を都合してくれないか?」

ちよ「は、はい。声をかけてみます」

くるみ「……やっぱ私をクビにする気だ。ららる〜(涙)」


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