斜め上の雲 15

密林




 十九世紀にベトナム全土を統一したグェン氏王朝は、清の嘉慶帝から印綬をさずけられ、越南という国名も承認してもらっていたが、統一にフランスの力を借りたことからその干渉をまねくようになった。そして、一八八四年のフエ条約によってついにフランスの保護国となったため、宗主国を自認する清とフランスの間に戦争がおこった。この戦争の結果結ばれた天津条約において、ベトナムは完全にフランスの植民地となった。
 爾来、フランスの支配は一九五四年五月、越南独立同盟(ベトナムドックラップドンミン)通称ベトミンの攻勢によりフランス軍がディエン・ビエン・フーで降伏するまで七十年にもおよんだ。

 五四年七月にジュネーブで結ばれたインドシナ停戦協定により、ベトナムは北緯十七度線を境として南北に分割され、五六年までに南北統一のための総選挙をおこなうとされた。この点、朝鮮半島と同様である。
 また、北では共産党、南では反共勢力が権力を掌握して結局総選挙がおこなわれず、南北分断をまねいたのも同様である。
 南では、圧政の打倒と革命をもとめる南ベトナム解放民族戦線が蜂起を繰りかえした。六四年八月、南ベトナムの同盟国であるアメリカは、解放戦線の実態は北ベトナム軍であり同盟国への明白な戦争行為だとしてついに参戦した。

 先にふれたように、韓国軍はベトナムに派兵されたのだが、かれらは火器とヘリに依存する米軍とちがい、洞窟の奥までもくまなく分けいってゲリラを捜しもとめ、銃が使えない環境ならナイフでゲリラを討つ、という徹底した掃討作戦を展開していた。
 民間人であってもゲリラの疑いがあれば殺された。ゲリラの多くは民間人に偽装し、物かげから狙撃してきたり村の中にトラップを仕掛けたりするなど正規軍にとってなやましい戦術を使いつづけたせいである。
 それを考えれば民間人でもうたがってかからざるをえない。動く人影をみさかいなく虐殺しているだけにしかみえないが、米軍の戦術を忠実になぞり、はるかに徹底的におこなったものであるともいえる。むろん、その戦術の当否について免責することもできないのだが。

 ついには、村に入るとゲリラと民間人を峻別することなく殺害するようになった。そういった疑念の昂じた強迫神経症の果てが、有名な米軍の「ソンミ虐殺」であったともいえる。
 赤ん坊の股を裂いてもてあそんだ、といううわさもあった。さすがにこれは誤聞であったようだが、かれらに対するひとびとの感情がそのような物語をつくりだしたということは否定できない。

 兵士たちの酸鼻きわまりない所業も問題ではあったが、それに加えて問題であったのは強姦の横行であった。進駐した農村では年齢にかかわらず女性を襲った。
 また後方では、避妊処置をしないまま売春婦に接したため、のぞまぬ妊娠と性病がはやり、多数の混血児がうまれた。
「これがわが韓国軍なのか」
 暗澹たるおもいで錫元はつぶやいた。かれは軍紀には厳しかった。朝鮮戦争で北朝鮮軍のふるまいをみてきたせいである。
 ところが目の前の光景はどうであろう。太極旗のもとに信じがたい行為がまかりとおっている。
「わたしたちはベトナム人を守るためにきたのであって、陵辱するためにきたのではない」
 錫元は軍規にそむいたものを容赦なく処罰した。死刑を執行するさいはかならず公開処刑とした。
「あまりにも非情すぎる」
 という声もあったが、無視した。処刑したといってこっそり韓国に送還したのではないか、という疑いをふせぐためである。
 他の部隊からはかれを批判する声があがった。
 とくに先任にあたる他の連隊長はうるさく、
「シッパル、お前、無駄に厳しすぎるではないか。身内をやさしくかばうのが韓民族の美徳ぞ」
 と、机をたたいて怒号する者もあったが、錫元は屈しなかった。腰の軍刀を左手でぐっとおさえ、鯉口を切って相手をにらみつけ、
「法秩序なくして軍をたもてるとお思いか」
 とだけいった。

 米韓軍はゲリラの前に苦戦している。
(やりかたがまちがっている)
 錫元はそうおもわざるをえない。
 ゲリラ討伐はゲリラと住民を切りはなすのが要諦である。これは満州軍時代に匪賊討伐で大功をたてた白善から教えられた大原則であった。
 イギリスはマレーシアで華人ゲリラを討伐するさいに「戦略村」をつくった。これはゲリラの浸透できない農村を育成し、ゲリラの活動範囲を狭めてしめあげていくものであり、大きな効果があった。
 むろん、アメリカもそれを踏襲はした。
 しかし、イギリスが共産党勢力の手のとどかない地域から積み木をすこしずつ積みあげるようにゆっくり農村を建設していったのにたいし、アメリカはいきなり前線近くに建設し、農民の強制移住をともなうなど性急にすぎた。
 さらには、農民に支給されるべき物資や資金が、南ベトナム政府の腐敗役人によって着服されたため農民の反感をかい、じゅうぶんな効果をあげることはできなかった。

 ベトコンは、米軍が得意とする索敵撃滅(サーチ&デストロイ)作戦にもなれてきた。最初はヘリによる移動と攻撃にはおどろいたようであったが、武器を隠し農民に擬装し、さらに密林内にはりめぐらした地下道にもぐるようになってからは、たんなるイタチごっこになって通じなくなった。
 米軍と南ベトナム政府軍は無辜の民衆に犠牲者が出ようとも砲弾を盲射するしかなかった。民間人は巻き添えをくらい米軍と南ベトナム政府を憎むようになった。しぜんゲリラへの共感がおこりその工作も浸透していった。
「弾を撃つごとに敵が増える」
 と、かれらは自嘲しながらも、効果的な戦術を見いだせずにいた。
(日本軍ならもっとうまくやる)
 錫元はそうおもった。
 もっとも、大東亜戦争における日本軍もゲリラ討伐を得意としていたというわけではない。しかし密林での戦い方は米軍よりまさっていた。
 ここで日本軍の戦史をまなんだ経験がいきてくる。

 錫元は、ヘリや車両にたよらず歩兵でじみちに戦線をつくり、確実におしてゆくという方法をとった。
「戦線をつくる?密林に塹壕でも掘るというのか」
 と嘲笑する声もあったが、錫元は意に介さなかった。
 たしかに、密林には塹壕で形成される古来の意味での戦線はつくれないであろうが、部隊の制圧地域にすきまができないようにし、完全に制圧したと判断できない場合は、そこに部隊を張りつければよい。
(海軍の対潜戦闘とおなじじゃないか)
 潜水艦のひそんでいる海域をしらみつぶしに駆逐してゆくように、敵兵を完全に掃討したという確信が持てないかぎりは、そこで戦いつづけるべきである。
 他の軍人にはなぜその程度のことがわからないのか。そうおもったとき、錫元の脳裏に苦さとおかしさがうかんだ。
(ウリナラには、海軍を知るものはいなかったな)

「歩兵の本領とはなにか、それを思い出すことだ」
 錫元は、将兵にそう説明した。ほんらい歩兵とは二本の足ですすみ土地をかせいでゆくものである。ヘリボーンによって出撃と引き上げを繰り返すのは、その最大にして唯一の利点をみずから捨て去る愚行であり、それはむしろ騎兵の任務である。
 ヘリボーンによる部隊の急速展開が、瞬時に要衝を制圧することができる有用な戦術であることには疑いをいれない。ただ、
(使い方がまちがっているのだ)
 と、錫元はおもった。現状を鑑みれば、いまベトナムで必要とされているのは電撃戦ではなく徹底した殲滅戦である。
 革命を標榜し民間人を巻きこんで盾とすることで、民間人の被害の増加と厭戦気分の醸成をはかって国家の基盤から掘り崩してゆくベトコンゲリラ――実体はどうみても北ベトナム軍の擬装もしくは傀儡なのだが――を撃破するのではなく、ゲリラと民衆を分離して、前者を徹底的に駆除することこそが戦略目的であるはずであった。

 錫元はみずから先頭に立って、金錫源からもらった日本刀をふるって指揮し銃弾が飛んできてもひかなかった。士気も軍紀も緩みがちな友軍に引きずられないようにするには、そうするしかなかった。


>>トップ

>>次回

<<前回




 抗日戦で鳴らしたウリ達光復軍は、戦勝国と認められず連合軍に無視されたが、左派を煽動し青瓦台に登った。
 しかし、半島で惰眠をむさぼっているようなウリ達じゃあない。
 反日さえできりゃ採算無視で何でもやってのける恥知らず。
 親北を可能にし、韓米同盟を粉砕する、ウリ達 特攻野郎Kチーム!


芹沢「ウリはリーダー、金正日将軍。通称偉大なる指導者。奇襲戦法と現地指導の名人。ウリのような天才戦略家でなけりゃ、嘘八百のテロ国家のリーダーはつとまらん」

メディア「ウリは盧武鉉。通称バランサー。自慢の二重瞼に国民はみんなイチコロさ。反日反米かまして、F15Kから韓国軍指揮権返還まで、なんでも揃えてみせるぜ」

ベホイミ「おまちどう! 俺様こそ潘基文、通称国連事務総長。ウソツキとしての腕は天下一品! 空気を読めない? 北朝鮮核問題をどうする? だからナニ?!」

一条さん「朝日新聞。通称良心的日本人、マッチポンプの天才だ。虚構記事でもでっちあげてみせらあ。でも、KYだけはカンベンな」

芹沢「ウリ達は、アジア的優しさの通らぬ世の中にあえて挑戦する、頼りになる厚顔無恥の!」

芹沢 メディア ベホイミ 一条さん「特攻野郎Kチーム!」

芹沢「法則を発動させたい時は、いつでも言ってくれ!」

ちよ「……なんですか、この寸劇は?」

芹沢「今回はベトナムだからね、やっぱAチームはやっておかないと。作者が大好きだし。ハルク・ホーガンがゲストで出る劇場版もあったし」

ベホイミ「やり遂げたぁ。いやぁ気持ちいいっス」

メディア「ベホイミちゃん、こんな時こそ、新感覚癒し系魔法少女の出番です。ステッキを持って、さ、変身しましょ、へんしーん」

ベホイミ「なんでお前がステッキ持ってんだよぉ。やーめーろーよー」

メディア「ベホイミちゃん(眼鏡を取る)」

ベホイミ「なんだよー、かーえーせーよー」

ちよ「地味なコントまで始めてしまいました」

メディア「今回は軍事物なので私たちが講師役なのでーす。ベホイミちゃん、バケツマンをやりましょう」

ベホイミ「やーめーろーよー。で、ちよちゃん、誰か連れてきたんスか?」

ちよ「はい。入ってください」

よみ「水原暦だ。な、なんかえらいところに来てしまったな」

一条さん「やはりメガネが来ましたね」

メディア「じゃ、ちゃっちゃっと始めましょう。阮朝の成立と展開については本文どおりですが、ここでは清仏戦争に参加した支那人劉永福について紹介します。
 劉は、十七歳で孤児になり、二十一歳で秘密結社「天地会」に入会しました。そして天地会ごと太平天国に参加しました」

芹沢「天地会ってなんだ?吉田義男元タイガース監督のつくったやつか?」

よみ「85年の日本一と87年の最下位を経験した吉田監督以下コーチングスタッフの親睦会だな。天国と地獄を味わったというのが命名理由だが……って、最近のトラキチでもそんなもの知らんぞ!」

メディア「さっそく難解なノリツッコミですね」

ベホイミ「阪神の話なのに南海(難解)をかぶせたっスか。お前本当やらしい奴だ!!」

メディア「ちがいます。(汗) 天地会とは、清代、広州の反体制的な秘密結社とされています。暴力団のようでもありますが人々の互助組織という側面もありました。同系統とされるものでは、他にも三合会、三刀会というのもあります。
 彼らは旅人や旅商人の用心棒もしていまして、天地会系の盗賊は彼らが雇われているのを見れば襲いません。護衛者というよりも、その地域を仕切る勢力に通行料金を支払ったという証明のために随行するんです。いわばかれら自身が通行証なんですね」

ちよ「ヤクザが『みかじめ金』を払ってくれた店屋に『魔除け』として名前入りの鏡や扁額を進呈するのと似ていますね。平安時代の瀬戸内海の海賊にもそういう習慣はありましたよ。
 なお、今でも中国内陸部はそれに近い状態ですよ。長距離トラックなどは、私設関所を設けて因縁をつけて通行料をふんだくろうとする貪欲な地方官吏や山賊などの害から身を守るため、コンボイを組むことがあるんです」

ベホイミ「あー聞いたことがあるっス。村長や警察署長がボスで、関所を設けた道路以外の道に穴を掘って通交不可能にして関所を通らざるを得なくしたり、通行料金として輸送している物資を巻き上げたりするって」

ちよ「はい。そのあたりは『汚職大国・中国 腐敗の構図』という本にも書かれていますし、作者も中国でビジネスをやっておられた方から聞いたこともあります。で、そのコンボイが常態化すれば、天地会と同じく一種の徒党、互助団体になるわけです」

よみ「それって、まるで支那史伝統の『幇会パンフェ』そのまんまじゃないか」

ちよ「はい。その通りです。悠久の大地には今も変わることなく伝統が繰りかえされているのです。
 その幇会が、お上の仕切る社会秩序がまったく当てにならない乱世に立ち上がれば、流民やら不平分子やらが流れ込んで、易姓革命の母体となるんです。そういうわけで中国政府は法輪功のような宗教団体にいたるまで、『徒党を組む』こと自体を禁止弾圧するんですね」

芹沢「その用心棒は保鏢 パオピャオ鏢 客ピャオコーってやつだよな。数年前、高島礼子主演の連ドラ『傷だらけの女』のサブタイトルが『傷心的女保鏢 』だったよ」

メディア「太平天国というのは言うまでもなくキリスト教を標榜する団体です。反清という目的のために天地会と合作したのですが、序盤の激戦で天地会系の幹部が多く戦死したこともあって、組織内での地位が次第に落ちてゆき、ついに脱落しました。劉永福と仲間たちもその流れの中で脱落後ベトナムに逃げこんだのです。
 ベトナムの嗣徳帝は彼らを傭兵団として起用し、黎王朝の残党や土匪を討伐させました。ソンコイ河の航行権を手に入れた劉はそのあがりで兵を養い、黒地に朱で『義』と書いた旗を用いたため『黒旗軍』とよばれました」

よみ「なんだか『水滸後伝』を地で行く話だなぁ。いやむしろ山田長政か」

メディア「清仏戦争が勃発すると、劉は黒旗軍を率いて、清の唐景鵑侶議によって派遣された馮子材と協力して、フランスと激戦を繰り広げました。フランス軍は司令官リヴェールが戦死し、有名な外人部隊も一説によれば9割が戦死という壊滅的打撃を蒙りました。
 講和後、劉は広東省南澳総兵に任命され、日清戦争後は『台湾民主国』総統に推戴された台湾巡撫唐景鵑両傑曚砲茲辰涜耋僂覇本軍と戦います」

ちよ「常に負けるほうに属しているんですね。なんだか御宿勘兵衛みたいです」

メディア「台湾では、適当に抗戦してさっさと支那大陸に退却したとも、最後までしぶとく戦いつつ退却したともいいます。後者は、台南の延平郡王(鄭成功)祠に併設されている博物館のパンフに書かれています。
 劉はのち、1917年の大隈内閣の対中二十一ヶ条に反対する運動を準備中に八十歳で死去したといいます。
 田中芳樹がえらく評価していますが、作者は痛快無比な『冒険野郎』『喧嘩屋』としておもしろくながめているだけです」

ベホイミ「田中芳樹は『創龍伝』9巻や『中国武将列伝』でさんざん劉を持ち上げていたっスね。彼本来の考え方でいけば、いくら戦場で勝ち続けても結局は戦術級の現場指揮官でしかないのに」

メディア「『創龍伝』では、日本の文部科学大臣の発言というかたちで、東郷平八郎は戦術級の指揮官に過ぎないのに、教科書に載せようなんて時代錯誤だ、って述べていましたのにね」

芹沢「作者にとっちゃそれこそ、リアルAチームやマクガイバーって感じでじゅうぶんなんだな」

ちよ「次に、第二世界大戦後の独立闘争時、ベトミンには日本軍人が参加していましたことは、ネットのおかげで最近ようやく広く知られるようになってきたようですね」

よみ「へー。第二次大戦後の東南アジアの独立闘争にはけっこう日本軍人が関わっているというのは、聞いたことがあるけど」

メディア「第三十四独立混成旅団の井川省少佐は、ベトミンの参謀としてベトナムにとどまり、陸軍士官学校を創設しました。フランス軍の伏兵にあって戦死した彼のベトナム名は『レ・チ・ゴ』です。ほかにも多くの日本軍人がベトナム独立のために戦っています。元記事が消えているようなので、孫引きになってしまいますが、」


ベトナムで敗戦を迎えた元日本兵が、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)に参加、独立を目指した抗仏戦争(第1次インドシナ戦争、1946―54年)を共に戦ったことを公に認知する動きがベトナム国内で出ている。

元日本兵の存在はベトナムでは「封印された歴史」だったが、ハノイ大で昨年、研究会が2度開かれたほか、複数のベトナム紙も元日本兵の貢献を大きく報じた。

8月7日付のベトナム紙ティエンフォンは「ホーおじさん(ホー・チ・ミン)の兵士になった日本兵」の見出しで日本兵が教官を務めたベトナム初の陸軍士官学校元幹部の手記を大きく掲載。「近代的な軍に変わろうとしていたベトミン軍には日本兵の支援が必要だった」などと指摘し、ベトミンに大量の武器を供与した井川省(いがわ・せい)少佐や陸軍士官学校教官の中原光信(なかはら・みつのぶ)少尉ら功績のあった元日本兵数人を実名で報じた。

抗仏戦争で多くの元日本兵が死亡し、「革命烈士」の称号を贈られた人がいることも紹介した。

40年にベトナムに進駐した旧日本軍をめぐっては、これまでは「侵略軍」として断罪されることが多かった。

近年、両国の経済関係が緊密化する中で、大阪経済法科大の井川一久(いがわ・かずひさ)客員教授らが、残留日本兵の功績を認めるようベトナム政府に強く働き掛けてきたことなどが元日本兵認知の背景にある。

井川教授によると、ベトミンに参加した元日本兵は約600人。
(1)敗戦で日本の将来を悲観した
(2)現地に恋人がいた
(3)抗仏戦を決意したベトナム人への共感―などが理由という。

元日本兵は「新ベトナム人」と呼ばれ、ベトミン軍に軍事訓練などを指導して共に戦い、約半数が戦病死したとみられている。54年のジュネーブ協定締結により抗仏戦争が終結した後、150人以上が日本に帰国した。

井川教授は「抗仏戦を有利に展開する決定的な役割を日本兵が果たしたことを歴史として残さなければならない」 と述べ、ベトナムに資料館をつくる活動を進めている。

似たような戦後を生きた日本兵としては、対オランダ独立戦争に参加したインドネシア残留日本兵の存在が知られている。

http://toron.pepper.jp/jp/epi/vietj.html


メディア「記事に出てくる井川一久氏という人は、ベトナム戦争当時、南ベトナムの解放勢力の正体がコミュニストであり、日本ではそのことがじゅうぶんに報道されてこなかったことをある程度看破しながら、統一後、彼らが行なう『粛清』について甘い見通しを持っており(『朝日ジャーナル』一九七五年六月六日号「革命とは何か その人間模様」)、対談相手の開高健に否定されていました」

芹沢「そんな人間が30年経てばここまで変わるのか・・・大阪経法大ってのがかなりアレだが」

ベホイミ「ようやくベトナム戦争出征ですが、軍規違反者の公開処刑ってのは『銀河英雄伝説』4巻、フェザーンを電撃占領したミッターマイヤーの行動が元ネタっス。以下原文」


 激怒したミッターマイヤーの命令で、ただちに犯人は捜しだされた。「疾風ウォルフ」は被害者に謝罪し、指環を返すとともに、三名の犯人に対しては、軍司令官としての権限をもって死刑を宣告した。
 サンテレーゼ広場において公開処刑がおこなわれた。これは残酷なようでもこうせねばならないのである。処刑を実行しなければ、軍規に対する占領地住民の不信を買うし、処刑を秘密におこなえば、じつはひそかに逃亡させたのではないか、との疑惑をいだかれる。


よみ「また『銀英伝』か。『坂の上の雲』ネタはないのか?」

ベホイミ「あるっスよ。先任の連隊長連中に抗議される場面は、3巻「権兵衛のこと」、山本権兵衛が日清戦争に先立って海軍のリストラをおこなう場面が元ネタです。以下原文っス」


 とくに薩摩出身の先輩はうるさく、
小僧にせ、おはん、僭上越権ではないか。一大佐の身で中将少将の首を切ってよいのか。国家の秩序もなにもあったものではない」
 と、卓をたたいて怒号する者もあったが、権兵衛は屈しなかった。懐中に短刀をしのばせ、たださえ凄味のある目つきを、豹のように光らせて容赦なく宣告した。「薩の海軍」は、薩人山本権兵衛の手で事実上ほうむられたといっていいであろう。


メディア「さ、脳内火葬戦記の始まりですよ♪」

ベホイミ「戦車などにたよらず歩兵で戦線を形成して虱潰しに掃蕩駆逐してゆくというのは、『征途』(佐藤大輔)で、ベトナム戦争に派遣された自衛隊一等陸佐の福田定一がとった戦術が元ネタです」


(そして)
 と、福田は思った。密林に戦線が張れないというのも誤解だ。確かにそこでは、塹壕で形成される古臭い戦線は造れないかもしれない。だが、足で敵を追う普通科部隊で制圧してゆくことは可能だ。要は、それらの部隊の制圧地域に隙間ができないようにしておけばよい。完全に制圧したと判断できない場合、そこに部隊を貼り付ければよい。
 密林の制圧作戦は、駆逐艦による対潜戦闘(ASW)と同じだ。敵を叩き潰したと確信が持てない限り、そこで戦い続けさせるべきなのだ。


 福田は、ヘリボーンによる部隊の急速展開――このヴェトナムの戦いで発展した戦術について疑問を抱いていた。空中機動そのものが間違っているというのではない。使い方が間違っていると考えている。


芹沢「作者、佐藤大輔好きだもんな」

メディア「作者は、世にあまた横行する 火葬 仮想戦記作家の中では、佐藤大輔だけはほぼ唯一まともな作家だと考えております。ベトナム戦争では絶対このネタを書こうと最初から決めていたそうです」

ちよ「作者は『征途』を10年ほど前に立ち読みしたときの記憶だけが残っていたので、この部分を描くとき、正確を期すために古本を購入したんです」

ベホイミ「檜山良昭の『逆転』シリーズにうなっていたころが懐かしいとか言いつつ、ネタ収集のために霧○那○とかも読んでるんスよ」

よみ「『戦国長嶋巨人軍』とか『孔明の艦隊』ネタをどこかで使いたいと考えているそうだが、まず無理だろうな。
 で、私は次回も出ていいのか?」

メディア「はい。次回も宮本先生はお休みと聞いておりますので、ぜひお願いします」

芹沢「そういや、誰か足りないような気がするんだけど」

地味「ららる〜♪ららる〜♪(涙)」


>>トップ

>>次回

<<前回