斜め上の雲 16

密林(承前)




 前回もふれたが、第十四連隊を率いる錫元は、密林に適した歩兵主導の戦術をとるよう主張し韓米軍の指揮官にあうごとにそれを説いた。
 さらにかれは、アメリカ軍がジャングル内でのゲリラ戦に正規軍はむかないとして、グリーベレーのような特殊部隊を投入しているのはまちがいであるとまで断言した。これには、当然のことながら韓国軍だけでなく米軍の指揮官からも批判があびせられた。
「大東亜戦争をみてください。南方の密林で戦った日本軍は完全な正規軍だったではないですか。かれらが密林に適していなかったといえるのですか」
 軍事に関しては、相手がだれであれ錫元の発言は容赦ないものであった。生死がかかっている以上当然のことであろう。
「じぶんの足だけをたよりにして戦っていたにもかかわらず、通信と補給が途切れないかぎりは、統制のとれた行動を維持しえたではありませんか」
 大東亜戦争で日本軍と戦っていたのは他ならぬアメリカ軍である。また、今は第一線を退いているものの韓国軍の将官クラスには当時日本軍として戦っていたものも多い。敵味方双方の立場で密林戦を経験しているというのに、なぜその歴史を振り返ってまなぼうとしないのか。

 錫元の提言に対して、韓米軍の将官たちはおおむね無反応であった。
(瘴気にでもあたって脳をやられてしまったのではないか)
 ベトナムは亜熱帯に属し、とくに南ベトナムは五月から十月の雨季の間に感染症が多発する。それとも、
(あまり戦闘の苛烈さがつづいているせいで、帽子の下がぼけてしまったのか)
 錫元はにがい表情をつづけていたが、ふとおもいあたった。
(経験することと、経験からなにかをまなぶこととはまったくの別物であるらしい)
 ついに錫元は、かれらに対して怒るよりも、むしろその思考回路の働きをおもしろがるようになった。

 もっとも、ただおもしろがっているわけにはゆかない。
 錫元は、歩兵主導の戦線形成による戦闘にくわえ、白善から教わったように、民衆とゲリラがむすびつかないよう、部隊の軍紀をきびしくし民衆の不安をやわらげる工夫に心をくだいた。
 たとえば、畑のスイカ一つを徴発するのにもかならず代価をはらい、村内での小休止であっても村人の許可を取りつけることで、規律の良さと整った秩序を示し好感度を高めようとした。
 こうして民衆とゲリラを切りはなし、ときには密林のなかで、ときには平地に追い出して、ときには海岸線にまで追いつめて、敵を包囲し集中砲火をあびせて殲滅していった。これによって錫元のひきいる部隊は、すこしずつではあるものの戦果を積みかさねていった。

 韓国軍の士気があがらないのには、ひとつ理由があった。
 食事にキムチがないのである。
 韓国兵はどんな粗食であってもキムチさえあれば激戦に耐えぬいた。だが、ベトナムの地にキムチはない。
「砲弾よりキムチを」
 という将兵たちの悲鳴に朴正煕はあわてた。
 六七年三月、朴大統領は、訪米する丁一権首相に携行食料のキムチ缶詰の調達をジョンソン大統領に依頼する親書をたくした。
 その結果、キムチ、豆腐の煮込み、サンマの煮込みなど多様な韓国食の缶詰携行食が調達されることになった。

 将兵たちもただそれを待つだけではなかった。
 陣中でキムチを漬けはじめたのである。このあたりの執着はすさまじい。第二次大戦中、砲撃の照準よりパスタのゆで加減に集中力をさいたイタリア兵がややそれに似ているかもしれない。
 錫元が白馬師団に属する第二十九連隊の司令部をたずねたとき、ちょうど兵士たちがキムチを漬けていた。
 白菜にトウガラシをもみこむ兵士たちのなかに、なつかしい顔がいた。
「哲福ではないか」
 その声に兵士は顔をあげ、
「義兄上さま、いや金大佐」
 といって、あわててトウガラシで真っ赤な手のまま敬礼をした。かれは錫元夫人である文春香の弟であった。
「キムチを漬けているのか」
「はい」
 当初はキムチを韓国から取り寄せていたという。だが南ベトナム政府と米軍によって輸入が禁じられてしまったという。
「なぜだ?」
「キムチに麻薬が入っているうたがいがあるからとのことです」
 哲福の答えに、錫元はおもわずはらをかかえて笑ってしまった。

 もっとも、南ベトナム政府と米軍にとっては真剣であった。
 なにしろ、韓国兵はキムチをかじるだけで、三日三晩の昼夜兼行の行軍にもじゅうぶん耐え、迅速に行動するのである。
「なにかクスリが入っているにちがいない」
 米軍顧問はそううたがった。ベトナムの米軍兵士のあいだでは麻薬が蔓延して問題となっていたため、これはあながち杞憂とはいえなかった。
「そういえば、禁断症状らしきものもあります」
 べつの米軍顧問が相槌をうった。韓国兵が、戦況が悪くなったり計算どおりにゆかないと、いきなり隣の兵士に頭突きをしたり、弾帯に火をつけたり、手榴弾をところかまわず投げまくるという例が報告されていた。

 米軍の指示により、韓国から運ばれたキムチは税関で止められ、成分分析のため、ベトナムだけでなくアメリカや日本、イギリスなど各国の研究所におくられた。
 しばらくして、それらの研究所からの報告が届いた。それは、
「キムチには異常に大量のカプサイシンが含まれるが、麻薬および麻薬類似成分はいっさい含まれない」
 というものであった。
 ようやくキムチへの疑惑は晴れた。
 しかし、米軍顧問は首をかしげた。
(あの韓国兵たちの狂態はなんだったのだろう?)

 三十年後、そのなぞは解けた。
 麻薬による禁断症状ではなく、「火病」という精神的疾患の一種であったのである。

 錫元のはたらきにもかかわらず戦況は好転しなかった。一連隊長であるかれの操作できる範囲をこえたところで戦争はすすんでゆく。
 アメリカは報道管制をひかなかったため、軍事情報をふくめあらゆる情報が全世界に筒抜けになっていた。ぎゃくに北ベトナムは自勢力の情報をかくし、米・南ベトナム軍の「蛮行」をおおいに喧伝するなど徹底的に報道を利用した。
 戦場では負けていても戦略的な勝利をおさめていたといっていい。たとえば西側諸国における反戦運動の激化がその成果のひとつである。
 また、北ベトナム軍が擬装する「南ベトナム解放民族戦線」が、かれらの宣伝どおり南ベトナム人民の組織であると報道されたのもそうであった。

 くわえて南ベトナム政府の腐敗と無能もむごいものであった。アメリカの参戦以前すでに政権内部では三回ものクーデターが勃発しており、末端の兵士には、民間人をゲリラとして殺害して戦功としさらには銃器弾薬を敵に横流しするものまでいた。
 錫元の連隊が掃討したある根拠地では、ソ連のAK47銃や中国製の五七ミリ無反動砲にくわえて、アメリカ軍のM16銃の薬莢を発見したこともあった。錫元はまるで世界中と戦争しているかのような錯覚をふとおぼえた。
 この時期の錫元は、そのきわだった戦功にくらべてきわめて陰鬱であった。

 すこし余談に触れさせてもらいたい。
 古来、兵士の血をもって国益をあがないもとめることはけっして悪ではなかった。軽工業が発達する以前のスイスでは、州政庁によって多くの若者が傭兵としてヨーロッパ各地に派遣されていた。フランス革命にさいして、ブルボン王朝にやとわれていたスイス傭兵団が最後の一兵までルイ十六世の住むテュイルリー宮殿を守りぬいたことはとくに有名である。
 もっとも、利益に執着する州政庁によって、敵味方双方に売りつけられたスイス兵どうしが戦場であいまみえるという悲劇も多発したのだが。

 筆者は国家発展のために必要な資金を得るべくベトナム戦争への参戦に踏み切った朴正煕大統領の構想と判断はとくに非難する気はないが、その韓国軍がなにをなしたかについてはいささかでもゆるす気になれない。後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、韓国軍の態度には、弁護すべきところがまったくない。

 それにしても、ベトナムでの韓国軍のむごさは、たとえば相手がベトナム人でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとしても、その嗜虐的サディスティックなにおいだけはかわらなかったにちがいない。かつての中華帝国や大日本帝国、あるいは戦勝国アメリカといった強国を後ろ楯とたのんだときの朝鮮人の傲慢さと暴虐さは定評がある。
 韓国における他国家への民族問題的優越感は、平時からつねに露出している。そのうえ、じぶんたちの宗主国が強国であれば、その威をかさにきて、なにをやってもゆるされるにちがいないという、不安定な優越感と劣等感のないまぜになった心情が顔を出すせいでもあろう。


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芹沢「あれ?タイトルが前回と同じじゃん?」

ベホイミ「前回に続いてベトナム戦ですから、タイトルを考えるのがめんどくさかったみたいっス。で、『坂の上の雲』6巻の冒頭章の『黒溝台(承前)』にならったわけです」

メディア「元ネタも引き続き『征途』からです。以下原文です」

 福田は頷いた。内心で、なぜ誰も歴史を研究しないのだろう、と思う。歴史を――例えば、太平洋戦争で南方に展開した日本帝国陸軍がどんな戦術を用いたか調べれば、俺が何を考えているか、判る筈なのに。島田陸将(作者註:島田豊作。ヴェトナム派遣軍の総司令官)が俺をかばってくれているのは、その点に気付いているからだ。

(中略)

 彼に言わせるなら、ジャングル内のゲリラ戦に正規軍は不適であるという一般常識は明らかな間違いだった。太平洋戦争中、密林内で行動した日本帝国陸軍は完全な正規軍だったが、彼らが密林に適していなかったと言う者はいない。通信が途切れない限り、その行動は統一がとれていたし、ゲリラと比べてジャングルの戦いに弱いということはなかった。


よみ「そういや、圧倒的な火力の米軍VSベトコン(実質は北ベトナム軍)という図式は、南方戦線の日米戦と似ているなぁ」

ベホイミ「ですから、日本軍とベトコンの戦術も似たものが多いんスよ。たとえば、捨て身の覚悟で近接戦闘にもちこんで、両軍の前線が画然としない乱戦状態をつくりだせば、米軍は誤射、同士討ちを恐れて援護射撃を中止するというのがあるんです。そうすれば火力の優位は消えますからね」

芹沢「そのへんは『騙し合いの戦争史』(吉田一彦 PHP新書)に拠っているみたいだけど、その本でも、第二次大戦の欧州戦線の援護爆撃には誤爆は多かったとあったよ。米軍歩兵って接近戦・白兵戦はあまり得意じゃなかったようなイメージがあるなぁ」

ベホイミ「そうっスね。米軍自身もそれを認識していたからこそ、過剰なほどの火力を用意して、進撃前に徹底的に敵をたたくという手を使ったんスよ。硫黄島や沖縄での艦砲射撃が代表的です。あと、朝鮮戦争で『バンフリート弾薬量』と議会で揶揄されたほど多量の弾薬を使用した第八軍司令官ジェームズ・バンフリート将軍がいるっス」

ちよ「対抗する日本軍、ベトコンは火力の質、量ともに張り合っても勝てないという現状を認識して、火力を無効化する戦術を編み出したのですね」

よみ「ふーん。別に火力無効化戦術の日本軍起源説を唱えるわけじゃないけど、ベトナム独立闘争に参加していた日本軍人がそういった戦術を教えたという可能性はないのか?」

メディア「そのへんはよくわかりません。ありえない話ではないと思いますが、同じような状況に立った両者が、期せずして同じ結論に至ったこともじゅうぶん考えられます。ベトナム独立闘争を題材として小説を描くなら、日本軍の影響があったとしたほうがおもしろいですけどね。
 そこのところで『坂の上の雲』から少し元ネタをいただきました。5巻「二〇三高地」、旅順攻略戦で、二〇三高地越えに旅順港内を砲撃するよう言った児玉源太郎に対して、攻城砲兵司令官の豊島陽蔵が反論したときの児玉の独白です。以下原文です」

(あまり戦闘の苛烈さがつづいたせいか、豊島の帽子の下がぼけてしまったらしい)
 児玉は、にがい表情をつづけている。該当箇所


ベホイミ「なお、日本では、ベトコンの健闘と米軍の苦戦を大東亜戦争の日米戦に重ねて、カタルシスというか心理的代償を得ていたような人もいたっス。
 65年8月、べ平連などが主催した『徹夜ティーチ・イン』では、『黙れの佐藤』といわれた元陸軍中将の佐藤賢了がベトナム戦争の原因は全てアメリカにある、と決め付けた演説を行なってます」

よみ「誰だ?そいつは」

メディア「昭和13年3月3日、国家総動員法が衆議院に提出されたときに、陸軍省軍務課政策班長だった佐藤中佐が法案の説明をしたのですが、説明が長すぎ、ついに宮脇長吉議員らが、どこまで発言させるのかと言ったとき、

佐藤賢了中佐
「黙れ!!」

 って怒鳴ったんです」

よみ「ゆかり先生よく似合うなぁ。で、どうなったんだ?」

メディア「本当は『黙れ長吉!!』と言おうとしたそうですが。この宮脇議員は陸士十五期の元大佐でして、佐藤が士官学校時代の教官だったんです。
 結局杉山陸相の謝罪だけですんで、処罰はされなかったのですが、それ以来『黙れの佐藤』という異名をとるようになりました」

よみ「そいつは、宗旨替えしたというより、反米という一点でベトコンにシンパシーを感じたのかな」

メディア「おそらく、その程度のことでしょう。彼の戦後の言動を見ても、特に左傾・赤化したような形跡はみられませんし」

芹沢「おい、『べ平連』っていっても今の読者がわかるのか?」

ちよ「『ベトナムに平和を!市民・文化団体連合』ですね。小田実らが65年4月に結成した団体です。ウィキの記述がけっこう正確でしたので、詳細はそちらに丸投げします。なおそこには触れられていませんが、メンバーには無着成恭もいたようですよ」

よみ「ああー、『全国こども電話相談室』の人だな」

ベホイミ「ベトナム統一後、多くの人々がベトナムを脱出して難民になったんですが、無着はタイのベトナム難民キャンプで子どもたちに読み書きを教えたらしいっス」

メディア「べ平連のメンバーでは、事務局長の吉川勇一が日本政府に難民援助の増大要求声明を出したり、『難民にはいろいろある。すべてがすべて善良でひたすらにかわいそうな難民ではない。また、政治の動きがそこにからまっていないとは言えない(『「ベトナム以後」を歩く』)』と言った小田実のように無責任な連中ばかりが目立つ中、ベトナム反戦運動の結果発生したものである難民に対して、なんらかの行動を起こしたことは異色の存在でしょうね」

芹沢「それなりに誠実ではあったんだな。ま、べ平連じたいがけっこう無責任、いい加減な緩ーい運動形態を取っていたせいで多くの人々が気軽に参加できたんだろうけど。で、次はキムチネタだな」

ちよ「これは有名になりましたね。こんな記事まであります」

朴大統領「ベトナム派兵韓国兵にキムチを」 米に親書

「他はともかく、韓国人なら誰でも毎日毎食欠かせない韓国料理ならではの伝統的なおかず、キムチだけでも、ベトナムにいる韓国軍兵士が1日も早く食べられるようにすれば、それだけで、はるかに士気が高揚するものと信じる」

 朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が1967年3月8日、丁一権(チョン・イルクォン)首相が訪米した際、リンドン・ジョンソン米大統領にベトナムに駐屯中の韓国軍がキムチを食べられるように支援してほしいという内容の親書を伝えていたことが分かった。

 朴大統領は親書で、「韓国政府は、ベトナムにいる韓国軍兵士たちの韓国食を食べたいという訴えを解決するべく、缶詰にした野戦食糧(韓国食の缶詰携行食/C-ration)の研究・生産に既に9か月前から着手しており、非常に満足のいく成果を得ている。その製品の一部は、米国防省の食品研究所に送り試験中であるが、中間検査結果は非常に良好と聞いている」とした。

 さらに「もし、ベトナムにいる韓国軍に韓国食の野戦食糧を供給することができたら、士気や戦闘力が想像できない位高まるものと確信する」とキムチの供給を要請していた。

 さらに丁首相は、ラスク国務長官、マクナラマ国防長官、ハンフリー副大統領と同席した場で缶詰携行食の供給問題を取り上げ、この後、ついに朴大統領に「キムチ問題は遠からず解決するものとみられる」という朗報を伝えることができた。

 以後、ベトナム戦に参戦していた韓国軍は、キムチ、豆腐の煮込み、サンマの煮込みなど多様な韓国食の缶詰携行食を口にすることができるようになった。

朝鮮日報

朝鮮日報 2005年8月28日

よみ「腹が減っては戦ができぬ、というけどすさまじいもんだな」

ベホイミ「太平天国の乱のときに、山西のような北方や西方から動員された兵士は、小麦などの粉食が常食だったため、南方の米主体の食事が口にあわず戦意を失ったと言いますからね」

芹沢「それはまるでダメじゃないか」

ちよ「なお、韓国軍が本当に陣中でキムチを作ったかどうかは知りません。単に半島つながりネタだそうです」

芹沢「『組むと負け半島』か」

メディア「次はイタ公抜きでやろうぜ、ですね。もっとも、イタリア軍のパスタネタもジョーク・都市伝説の類いなのですけど。
 ここに出てくる第二十九連隊の連隊長は全斗煥大佐です。また、文哲福というのは猛虎師団に属してベトナムに出征した作者の義弟の叔父の一人がモデルです」

よみ「キムチと麻薬のネタは何なんだ?シュークリームにシュークリーム分が含まれているように、キムチにはキムチ分が含まれているんじゃないのか?」

ベホイミ「これは『韓国を食べる』(黒田勝弘 文春文庫)に出てくる70年代の中東出稼ぎ韓国人労働者のエピソードが元ネタっス」

 中東で韓国人労働者が歓迎されたのは、その働きぶりがよかったからだ。あの苛酷な自然環境の中で、軍隊式の組織的な行動と、時間外や昼夜を問わない猛烈な仕事ぶりは、アラブの人々には驚異だった。
 これはサウジアラビアで本当にあった実話だが、こうした韓国人の「驚異の働きぶり」が逆にサウジ当局の疑問を招いた。あんな環境であんなに働くのだから、何か裏があるに違いない。そういえば韓国人たちは「キムチを食わないと力が出ない」といっている。
 サウジ当局は、韓国人たちが本国から持ち込んで常食にしているキムチに疑い(?)の目を向けたのだ。あの真っ赤な色、強烈なにおい、しかも時間が経てば生き物のように味もにおいも変化していく、あの奇妙な食べ物はいったい何なんだ!
「あれにはひょっとして麻薬が含まれているのではないか?」「いや、あれ自体が麻薬ではないか?」と疑ったのだ。
 サウジアラビアは、ビールを含め酒は一切ダメというイスラムの戒律が厳しいところだ。だから韓国人労働者は一滴の酒も飲まずに砂漠での苛酷な労働に耐えていたのだが、サウジ当局は韓国企業に本国から届くキムチ(の輸入)を一時ストップさせ、検査・分析にあたった。
 もちろん結果は何も出なかった。「キムチ=麻薬」説の疑いは晴れ、正式の食品としてあらためて持ち込みOKになった。サウジ当局の誤解は解けたが、しかし韓国人自身が「キムチがないと元気が出ない!」というのだから、韓国人にとってキムチが麻薬的な効果を持った食品であることは間違いない。

『韓国を食べる』黒田勝弘 文春文庫

芹沢「最後の火病ネタはただのネタだろ?」

ちよ「はい。作者がつくっただけです。ほんとうにこんな報告があったかどうかなんて知りません」

ベホイミ「なお、北ベトナムは68年1月30日のテト攻勢で大敗しながら、世界のマスコミが米軍・南ベトナム軍の戦況をそのまま写したために、まるで米・南軍が苦戦し劣勢にあるかのような印象が流されたっス」

メディア「また、マスコミは米・南軍の『蛮行』は大きく報道したのに対し、北の民間人虐殺やテロについてはまったく報道しませんでした。
 日本の共同通信は、UPIやAPからの外信記事で『ノース・ベトナム・フォース』『コミュニスト・フォース』という語句があると『解放勢力』と訳し続けました」

よみ「それはもはや『超訳』ですらないぞ」

メディア「他にも、日本の進歩的マスコミでは、岡村昭彦の『南ヴェトナム戦争従軍記』や、本多勝一の『戦場の村』『北爆の下』が、北の宣伝をそのまま垂れ流していました」

ベホイミ「検証もなく、相手の言ったことをそのまま伝えただけというこの手法は、本多勝一『中国の旅』と共通してます。『中国の旅』の内容に抗議されたとき、中国の言ったことをそのまま書いただけなので、文句があるなら中国に言ってくれという開き直りもあったっスね」

芹沢「マジかよ!」

よみ「まぁ、戦争の当事者たちがプロパガンダ合戦をやるのは戦術として正当なんだろうけど、第三者が正直にそれにおつきあいする必要はまったくないよな」

ちよ「そうですね」

ベホイミ「脱線になりますが、大東亜戦争中の米軍の謀略戦について触れるっス。
 情報収集や特殊作戦に従事した戦略情報局(Offices of Strategic Services 略称OSS)では、東南アジアにアイフラー大佐指揮下の第一〇一分遣隊を送りこみました。
 彼らは現地人のふりをして日本軍に対する破壊工作をやったり、逆に現地人集落を襲って日本軍の装備を遺棄するなどの手段で、日本軍と現地人の間に不信と憎悪を生じさせ、日本軍の報復、現地人の反抗を煽動したっス」

芹沢「違う意味での『アイムザパニージュ』だな」

ベホイミ「彼らはかなりの成果をあげましたが、そのダーティーさに嫌気が差した他の連合軍部隊が、協力を忌避するようになったっス。
 前掲の『騙し合いの戦争史』では、第一〇一分遣隊員ですらも疑問を持ち吐き気を催すような作戦だったと述懐する者までいたとあるんスけど、よほどのことをしていたんじゃないか、また、現在日本軍の残虐行為とされているものの中には、この手の謀略が原因となってるものがかなりあるんじゃないか、と書いてたっス」

よみ「なるほどねぇ」

メディア「次は、3巻「開戦へ」、ロシアとの交渉で、とんでもなく傲慢な回答を受け取り開戦へと進む場面が元ネタです。以下原文です」


 後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。

(中略)

 筆者は太平洋戦争の開戦へいたる日本の政治的指導層の愚劣さをいささかでもゆるす気になれないのだが、それにしても、東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締めあげ、窮地においこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうといった言葉は、歴史に対するふかい英智と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交政略はたとえおなじでも、嗜虐的サディスティックなにおいだけはなかったにちがいない。(中略)
 一九四五年八月六日、広島に原爆が投下された。(中略)
 国家間における人種問題的課題は、平時ではさほどに露出しない。しかし戦時というぎりぎりの政治心理の場になると、アジアに対してならやってもいいのではないかという、そういう自制力がゆるむということにおいて顔を出している。



ちよ「ここにあらわれているように、作者は韓国軍のベトナム派兵については批判はしていませんが、韓国軍が何をやったかについては批判的です」

よみ「『従軍慰安婦』がどうとか言いながら、自分たちはもっとひどいことをしているわけだからな」

芹沢「ベトナムで戦ったこと自体は別に謝罪する必要もないだろうけど、ベトナム人に何をしたかについてはきっちり謝罪したほうがいいと思うんだけどな」

ベホイミ「さて、今回でベトナム編はおしまいっス」

メディア「次回からは韓国に戻りますので、私たちもお別れです」

よみ「じゃ、私はどうすればいいんだ?」

ちよ「そのあたりを作者はまだ決めていないそうですので、わかりませんね。とりあえずいてください」

「メガネは欠かせません」

ベホイミ「最後にひとつ、これから役立つアドバイスをするっス。
 戦場では、故郷の家族や恋人の話は絶対にしたらダメっスよ。たちまち死亡フラグが立ちますから。だいたい死亡確率90%っス」

メディア「はい。戦争後に結婚するんだ、なんて言って恋人の写真を出せば、100%死です。
 あと、踏みとどまって敵を食い止める際に『俺もすぐ追いつくから心配するな』と言うのも、かなり高確率で死亡フラグが立ちます」

芹沢 よみ「そんなもん、どこで役立つんだ?」

ちよ「と、とりあえずお開きです。あれ?なんか一人忘れていませんか?」

sound only 「右へとららる〜、左へららる〜(涙)」


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