斜め上の雲 21

朴の遺産




 全斗煥の大統領就任直後に帰国した錫元は、自主国防の不可を説いた報告書を提出すると、偕行社の総会にまねかれた金錫源に同行して日本にむかった。
 偕行社は、明治十年に創立された日本陸軍将校の親睦団体であり、大東亜戦争後いったん解散したが、昭和二十七年にふたたび設立された。
「将軍、日本はお久しぶりですか」
 金錫源は朝鮮戦争休戦直後に退役し、ながく中学校の校長をつとめていた。
「そうだな。今回の総会はわれわれだけでなく韓国人将校も多いそうだ。崔君も来るらしい」
 崔君とは、朝鮮戦争時金錫源のひきいた第三師団の参謀長をつとめた崔慶禄である。士官学校長、参謀総長を歴任して退役後は政治家に転じ、この時期はちょうど駐日大使に就任したばかりであった。

 会場についた二人を出迎えたのは崔であった。
「閣下がご壮健であることはうれしいかぎりです」
「佐官も尉官もいいやつが多かったなぁ」
 金錫源は往時をふり返るようにいった。崔はこたえる。
「はい。私は幸運にもよい上官たちに恵まれました」
「たしか、井原潤次郎君だったな」
 井原は陸士二十八期卒であり、金錫源の一年後輩にあたる。
「はい。井原少将は朝鮮軍司令部の最後の参謀長でして、視野も広く日韓関係を深く理解しておられました。私もこういう指揮官になりたいとあこがれていました。小野武雄大佐も恩人の一人です」
 小野大佐ははやくから崔の才能を認めており、じつの親子のように接していた。かれは、
「君のような人間は朝鮮のためにも絶対に死んではならぬ。前線にはゆくな」
 と厳命し、参謀長として赴任したニューギニアの前線で崔をみつけたときに、再会をよろこぶより、
「なぜ、言いつけをまもらなかった」
 と激怒した人間である。やがて崔が斬りこみ突撃隊をひきいて重傷をおい、生きのこった出田上等兵がその生命と引きかえに後送してくると、小野はじぶんの着ていた参謀肩章つきの上着を崔にきせ、はるか後方のマニラの病院におくらせた。その後、戦線が崩壊しかれは戦死したのだが、文字どおり一命を賭して崔の未来をまもりきったといっていい。

 やがて、総会がはじまった。金錫源は挨拶のなかで、
「わたしの長男は戦争に参加して戦死した。それは軍人として本望である。本人も満足しているであろう」
 といった。
 かれの長男である金泳秀大尉は陸士五十七期卒であり、昭和二○年フィリピン戦線で戦死し、靖国神社にまつられている。

 余談ではあるが、このほかにも日本軍人として靖国神社にまつられている他国籍者――現在からみればの話だが――は数多い。そのなかで朝鮮人将兵は二万一千名を数えるという。著名な洪思翊中将だけでなく、特攻隊として散華した学徒兵、B29を搭乗機ごと体当たりして撃墜した飛行兵たちもまつられている。
 また、二万七千人の台湾人もまつられている。そのなかのひとりである岩里武則という日本名をもった海軍機関兵は、金泳秀とおなじく昭和二〇年フィリピンで戦死している。かれの台湾名は李登欽といい、その弟岩里政男は李登輝という。

 全斗煥が大統領に就任したことで韓国内の動揺はおさまった。かれは経済面において朴正煕の路線を踏襲しつつ、外交では対日、対米協調路線をとった。

 実質十八年半にもおよんだ朴政権は、さまざまなものをのこした。「漢江の奇跡」とよばれた経済発展が代表的であろう。
 韓国人は、大げさにいえば飲まず食わずではたらき続けた。
 この経済発展そのものが奇蹟であるが、それをなし遂げた国民のほうがむしろ奇蹟であった。
 ひとつは、韓国人は貧困になれていた。この当時、家庭には都会地の一部をのぞいては冷蔵庫もなく食物の保存がきかなかった。しぜん食生活もゆたかなものではなかった。そのせいか、キムチだけは質量ともにふんだんにつくられ食膳に供された。
 その上、日本の教育によってつちかわれた律儀さがまだつづいており、ひとびとは自分の欲望の主張を――後世に比べればのことであるが――かなりひかえめにすることを美徳としており、自我だけの欲望の肯定というような思想は、わずかに旧両班の一部が保持している程度である。
 他にもいろいろ要素があるが、韓国人を勤勉努力の国民のようにしてしまったという点で、これほどめずらしい歴史時代はなかった。

 一つの時代がすぎ去るというのは、その時代を構築していた諸条件が消えるということであろう。消えてしまえば、過ぎさった時代への理解というのは、後の世の者にとっては同時代の特アに対する理解よりもむずかしい。
 たとえば豊かとはいえない食生活において、キムチだけはふんだんにあったことは先にもふれた。韓国人はそのキムチだけをかてとしてエネルギーを補給し、勤勉さを持続した。
 この当時の韓国人が、どれほどキムチにたよっていたかは、この当時にもどって生きねばわからないところがある。キムチはただの食品ではなく、すでに勤労苦闘の象徴にまでなっていた。
 しかし、経済はそれだけでは発展しない。たねとなる資金が必要であった。
 そのため、ベトナム派兵や西ドイツ、中東への労働者派遣、ついには妓生キーセン観光によって外貨をかせごうとしたことはひろく知られているが、その多くが日本からの経済援助、融資によっていたことは、のちの世におい てもじゅうぶん理解されているとはいいがたい。

 朴政権の産業振興政策は、軍人らしく徹底した戦力集中であった。三星や現代など競争力の強い大企業に重点をおいて育成することで国家競争力の成長をもくろんだ。そのため、いくつかの巨大財閥と脆弱な中小企業という二極構造をまねき、のちに韓国経済の弱点となったということは否定できない。
 朴は金銭には淡白であり、朝鮮人としてはきわめてめずらしいことに一族を重用しなかったため、縁故主義(ネポティズム)の弊をまぬかれたが、全ら後継者たちは財閥と癒着し、さかんに私腹を肥やした。

 朴政権の功罪は、教育面においても大きいものがあった。
 朴は、ナショナリズムをそだてるため民族主義の色彩がひじょうに濃い教育政策をとった。その中心は徹底した反共教育であった。
 また、漢字を支那、日本の属国である象徴として廃止し、朝鮮民族独自の文字であるハングルを称揚することで属国根性を払拭しようともした。ハングル重視政策は李承晩時代からとられていたが、それをさらに推しすすめ、六七年には漢字廃止五ヵ年計画を策定し、七〇年からは漢字教育を全面廃止し、使用を停止するようになった。
 それらの教育を受けた国民は、飛躍的な経済発展による自信に裏打ちされたこともあって、朝鮮民族の優秀性をうたがわないようになっていった。

 だが、副作用もあった。
 自民族の優秀性を鼓舞することで、反日感情――嫉妬、蔑視、劣等感、憧憬といったものが渾然一体となった――が台頭するはめになった。日本を低くみることで相対的におのれを高みにおき、優位性を強調するようになったのである。
 朴自身は反日教育がすなわち愛国心教育であると考えたわけではなかったかもしれないが、内輪もめという悪弊のある韓国人は「反日」という共通理念の前ではみごとに団結した。これ以降、内政の矛盾や内部対立などの問題をかかえこんださいには反日を鼓吹して国論の統一をはかり、国民の目を日本にそらさせることで問題をなし崩し的にうやむやにしてしまう、という手法が愛用されるようになった。そのゆき着いた先が二十一世紀の糜爛しきった韓国の政治風土であるといっていい。

 ハングルについても同様である。
 ハングルは世界一の文字である、とむじゃきに信じこんだ韓国人は、やがて朝鮮語をもひっくるめてその優秀性を誇示し他の文化を見くだすようになっていった。
「ハングルで表記できないものはない」
「韓国語は優美であり、東洋のフランス語である」
 といった思いこみがその代表的なものである。
 十四世紀に世宗大王の命によってつくられたこの文字は「訓民正音」とよばれ、民族の固有文字としては後発であり、他民族の文字を研究し朝鮮民族の言語形態にあうようにつくられたためきわめて合理的であった。しかし依然として公式文章は漢文であり、士大夫階級は「諺文オンモン」とよばれたハングルを公式にはつかわなかった。
 このハングルをひろめることにかかわったのは皮肉なことに日本人であった。福沢諭吉の弟子井上角五郎が漢字とハングルを併用した新聞『漢城週報』を発行したのが一八八六年のことである。
 また、併合後も学校の初等教育では「国語」である日本語の読方・書方・綴方とならんで「朝鮮語」の読方・書方が教えられた。一九二〇年には、朝鮮総督府が最初のハングル辞典を編集発行した。
 朝鮮ことばで「偉大な文字」という意をあらわす「ハングル」と正式に称するようになったのは光復後であった。

 ついでながらいうと、日本どころか解放後の中国においても漢字廃止論があった。
「漢字は複雑であるため知識階級の独占物となっていた。民衆を無知のままにとどめおいた元凶である」
 として、ローマ字表記による発音記号であるピンインを採用し、簡体字をつくり、また「機」を「机」としたように、煩瑣な漢字は同音の簡便な漢字で代用しようとした。一説には将来的には漢字の全廃をめざしていたという。


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ベッキー「今回は、金錫源と錫元の訪日と、朴正煕時代のまとめだ」

ちよ「この年、金錫源が偕行社の総会に招かれて来日したのも、崔慶禄が駐日大使として着任したのも事実です。『日韓共鳴二千年史(名越二荒之助)』には、訪日時の金錫源と崔慶禄大使が写った写真が載っていましたので、崔も総会に出席したものとして話をつくりました」

よみ「金錫源の発言は事実なんですか?」

ベッキー「その発言も『日韓共鳴二千年史(名越二荒之助)』にからいただいた。長男の戦死じたいも事実だ。楽屋事情を言えば、このエピソードを核にして、崔慶禄ネタを取り込んで話をふくらませていったわけだな」

芹沢「ふうん。そういう手法があるんだ」

ベッキー「ただ、ネタ元に使ったとはいえ、作者は『日韓共鳴二千年史(名越二荒之助)』という本自体をあまり評価していないんだ。最初読んだときに、なにか妙な違和感をおぼえたんだと」

くるみ「どうして?古代から現代までの日韓の良いエピソードや交流史を集めた読みやすい本じゃない」

ベッキー「タイトルの大仰さも受け付けにくかったんだが、妙にぬるいというか美しいエピソードが多くて、かえって疑わしく思えたんだ。井上馨が『死ねば皆仏だから』といって閔妃の復位を勧めた、なんてのは正直背中が痒くなったそうだ」

ちよ「そういう理由もあって、作者は同書をこういうパチモン小説のネタ元に使うことはあっても、掲示板での議論のソースには使っていません」

ベッキー「で、最近、寧覇総督府の史料や寧覇総督府関係者のサイトなどを読む機会があって、あの本を全面的に信用しなかったのは正解っぽいな、と思ったんだと」

よみ「具体的に何か判明したんですか?」

ちよ「明成皇后追号についてはこちらこちらが、閔妃暗殺についての朝鮮人の自首についてはこちらにあります」

ベッキー「追号については、追号選定時には井上は朝鮮にいないというのもあるし、もし井上が何らかの動きをすれば、外交上の問題に関わってくるので文書に残す可能性は高いんだが、現在のところそういう文書は発見できておらず、井上の直接的な影響があったことは確認できない、ということだな。
 閔妃暗殺に関しては、李周會についての『伝説』が虚偽であったところで、上記リンクの官報にもあるように、李も関与はしているし、こちらの閔妃殺害事件史料にあるように、純宗が『乙未事件に際し、現に朕が目撃せし国母の仇、禹範善』、高宗が『然るに、不幸にも中頃王妃殂 落事件の生ずるあり。夫れ此事たる、勿論我臣僚中不逞の徒、之を行ひたるも、其背後に日本の勢力を恃んで此に出たると言ったとあるように、朝鮮人も積極的に加わっていたこと自体は動かない事実だけどな」

よみ「朝鮮政府内部の連中と、日本の『壮士』――ようは大陸浪人とかいうヤツだな――たちの合作ってところですね」

芹沢「作者は、名越や黄文雄をあまり高く評価していないのかな?」

ベッキー「名越・黄の著作は、通俗歴史本として読みやすいし、歴史へのとっかかかりとなる入門用にはいいかもしれんのだが、どんな史料をネタ元にして書いているかは慎重に調査したほうがいい。とくに閔妃暗殺・追号の件については、リンク先にもあるように大陸浪人関係の著作がネタ元だからな。彼らを称揚するため書かれた書物の記述を全部信用しろというのは無理だ」

ちよ「これは思想立場の左右保革を問わず、注意するべき点ですよ」

よみ「自説にとって都合の良いものも悪いものも平等に検証すべきですね」

芹沢「それはそれで面倒な話だな」

くるみ「そんなの抜きにして楽しんだらいいじゃん」

ベッキー「そういうわけにはいかない。それでは自分たちに都合のいいファンタジーに浸る韓国人らと同等になるぞ。楽しみたいからこそ、実相をきちんと知っておさえておきたい。遊びとは本気で真面目にやるもんだというのが作者の考えだ」

よみ「おもしろいウソをつくためには、真実を知っておかないとネタがつくれないってことでもありますね」

くるみ「なるほどねぇ。難しい作業だと思うけど、韓国のようになるのは御免だしね」

ベッキー「いい機会だから、出所不明のデータ・記述が一人歩きして定着する『フィギュア・ロンダリング』というやつを説明しよう」

ちよ「在日コリアンの金英達(大野英達)が『金英達著作集供…鮮人強制連行の研究』(明石書店)収録の論文で使っている言葉で、こういうものを指しています」


 朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』の二一、二八、三一、五七頁に次のような戦前の在日朝鮮人の人口動向統計が掲げられている。
 まずこの表の数字の具体的な出所が明記されていないこと自体が、読者に対して不親切である。なぜなら、この数字の性格や信頼度をすぐに遡って検証してみる手がかりがないのだから。(中略)「居住人口(B)」の方は、国勢調査によるものだと注記されているが、それが変である。なぜなら、国勢調査は、十年毎に行われているもので、毎年の数字があるはずがないからだ。そこで、この数字の出所を洗ってみると、朴在一『在日朝鮮人に関する綜合調査研究』二三、二六、二九、三一頁の「朝鮮人渡来表」なる表にいきつく。この朴在一の「渡来表」は、一九二〇年、一九三〇年、一九四〇年の国勢調査の数字と自分で推定した一九四五年の2,100,000をベースにしてそれを内務省警保局統計数字の増分を比例按分したもので、やや苦しまぎれの感があるかなり技巧的な推計値なのである(田村紀之「内務省警保局調査による朝鮮人人口(機法廖愀从僂鳩从儚悄抻溶珊罅五七頁を参照のこと)。したがって、その点をきっちりと注記せずに、たんに国勢調査による数字とすることは、ごまかしとまでは言わないけれども、誤解を生むものであろう。
 また、註の2,365,263の原典である『日本残酷物語 第五部 近代の暗黒』(平凡社、一九六〇年刊)の「第四章 狩りたてられた者」の「半島の隣人」の当該箇所(三五六頁)は、次のようなものである。(後略)
 この頁の執筆者が誰であるか記されておらず(したがって、具体的な文責が明らかでない)、この「終戦時の在日朝鮮人数は二百三十六万五千二百六十三名」という記述の根拠(出所)も明確でない。(後略)
 このような文責もあいまいで、出所の明らかでない数字は、あくまでも一つの参考資料程度にとどめるべきであろう。そして、引用に際しては、そのことをはっきりと注記すべきであって、その数字だけをはさみで切り取って、性格の違う内務省統計にのりでくっつける表の作りかたは、誤解を生むもとである。(後略)

『金英達著作集供…鮮人強制連行の研究』(明石書店)
鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書)より引用



ベッキー「金英達は、『強制連行』という単語は歴史用語として厳密に範囲の定義された言葉ではなく、共通理解の確立していないものであるにもかかわらず、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』によって歴史上の専門語であるかのように喧伝されているとして批判的だった。
 また在日を強制連行の被害者とみるのはおかしいとも指摘していた。このあたりは鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書)を読んでくれ」

くるみ「はぁ?思いっきり自著の題名に使っているじゃない!」

ちよ「『金英達著作集供…鮮人強制連行の研究』(明石書店)は、彼の没後に刊行されたものであって、その題名の命名については彼の意志ではありません」

芹沢「まさに『死人に口無し』だな」

ベッキー「引用箇所にあるように、いい加減な数字が検証を欠いたままいろんな論文や書物に引用・転載されてゆき、いつの間にか立派なソースになってしまうのが『フィギュア・ロンダリング』だ。他者が出所をたどって検証できないように、巧妙に出所をごまかしたり虚偽を書いたりする点も、出所の不正な資金を洗滌する『マネーロンダリング』と同じ過程だな」

よみ「昔は、その引用・転載される範囲も広くなかったし、速度も速くなかったけど、現在じゃネットであっという間に拡散しますね」

ベッキー「そういうことだ。人間は、自説に都合のよいもの対しては、つい検証をおろそかにして飛びつきがちだから、余計にそのデータ・記述が一人歩きしてしまう」

ちよ「複数のソースが同じデータを掲載していれば、信憑性が高いものとして信じてしまいますしね。『在日コリアンの5人に1人は生活保護受給者』というのもありましたね」

くるみ「えー、あれってデマだったの!」

ベッキー「デマとまでは言わんが、精密な検証を欠いた誤りであったということだ。生活保護の受給率は低くはないのだが、そこまで高くもないようだぞ。飛びつく前に一度立ちどまって考えてみるというのは、立場に関係なく大切なことだな」

芹沢「そういう作者も自戒はしているけど、いつどこでひっかかるかわからないと危惧してるみたいだぜ。ほんとリテラシーってやつは重要なんだな」

くるみ「李登輝の兄の戦死というのは本当よね?」

ちよ「はい。日本名も含めて事実です。なお、台湾と靖国神社の縁は深く、今でも靖国の神門には、台湾随一の名峰である阿里山の檜を使っているそうですよ」

あまり知られていないが、阿里山のヒノキは橿原神宮の神門や外拝殿、東大寺大仏殿、靖国神社の神門などに用いられている。明治神宮の鳥居もかつては阿里山の紅檜が用いられていた。

http://www.ali.org.tw/jp/att/major_site.php?id=66&scenic_spot_id=8 から抜粋引用

ベッキー「鉄道好きの作者は台湾鉄道一周は成し遂げたが、まだ阿里山鉄道に乗ったことがないので、いつかは行きたいらしい。さ、久々に『坂の上の雲』から元ネタを出している。じいさん先生、頼みます」

じじぃ「忘れられたかと思っておったぞ。元ネタは3巻『権兵衛のこと』、三国干渉後の狂気じみたかのような日本海軍の増強計画じゃ。以下原文じゃ」


 この戦争準備の大予算(日露戦争までつづくのだが)そのものが奇蹟であるが、それに耐えた国民のほうがむしろ奇蹟であった。
 ひとつは、日本人は貧困になれていた。この当時、こどもは都会地の一部をのぞいては靴をはく習慣もない。手製のわら草履かはだしであり、雪国の冬のはきものはわら靴で、これも手製である。こどもだけでなく、田舎ではおとなもほぼそうであった。
 その上、封建的な律儀さがまだつづいており、ひとびとは自分の欲望の主張をできるだけひかえめにすることを美徳としており、個我の尊重というような思想は、わずかに東京の一部のサロンで論じられている程度である。
 他にもいろいろ要素があるが、一国を戦争機械のようにしてしまうという点で、これほど都合のいい歴史時代はなかった。

 一つの時代がすぎ去るというのは、その時代を構築していた諸条件が消えるということであろう。消えてしまえば、過ぎさった時代への理解というのは、後の世の者にとっては同時代の外国に対する理解よりもむずかしい。

(中略)

 この当時の日本人が、どれほどロシア帝国を憎んだかは、この当時にもどって生きねばわからないところがある。臥薪嘗胆は流行語ではなく、すでに時代のエネルギーにまでなっていた。



ベッキー「正直、この時期の韓国人はがんばったと思うぞ」

よみ「しかし、がんばるだけじゃだめでしょう。元だねの金がないと。それで、ベトナム派兵や西ドイツ、中東への労働者派遣、妓生キーセン観光によっ て外貨を稼いだわけですね」

ちよ「日本からの資金・技術援助や融資にその多くを依拠していたことは、韓国以外では常識ですね。白善が交通部長官のとき、ソウル地下鉄1号線の建設に関して日本に技術援助をあおいだことは回顧録に書かれていますね」

ベッキー「だが、そういった事情を知る韓国人は少なくなっている」

芹沢「なんで?」

ベッキー「すべて韓国が自力で成し遂げたものであるとして、日本の協力があったことを消そうとしているからだ。
 浦項製鉄所の件は有名だな。竣工式には日本側の関係者が呼ばれなかったとか、社史などの資料には日本の援助や協力についていっさい書いていないとか。
 どうやら、浦項製鉄所をつくった朴泰俊が追い出されたから、創業に関わった彼や日本を無かったことにしようという動きがあって、それらに影響してもいるようだが」

くるみ「結局、忘恩不義の連中なのよね。どこが『東方礼儀之邦』なのよ?なんでも自分たちだけでできたってウソをでっちあげて現実から逃げて。ほんと腐った根性だわ。
 ま、あと半万年は理解しない、もしくは理解したくないんでしょ。理解できるようになるより国家崩壊、民族滅亡のほうが早いわね」

ちよ「資金と技術に加えて、教える日本人にも、教わる韓国人にも熱意と努力があったから『漢江の奇跡』は実現したのですが……一応当時のいい話も紹介しておきます」


 私が忠州肥料の社長に任命された背景には、朴正煕政権の宿願であった重化学工業の両輪をそろえようとの意図があった。すなわち朴泰俊将軍が浦項製鉄所を、私が麗水石油コンビナートをつくるというものである。(後略)
 当時は、やる気は横溢していたが、先立つものがなかった。外資を導入するとか、外国企業との合弁、バンク・ローンを組むなど複雑な問題がある。私は日本企業と組むのが最善と考えていた。なにより日本は近い。これはいかなる条件よりも優先されるべきものである。公告するとすぐに日本の企業グループが名乗りをあげたが、三菱グループはオイル・ショックを理由に辞退し、三井グループとジョイントすることになった。三井物産を中心とする三井東圧、三井石油化学そして日本石油である。
 日本からの外資導入、輸出入銀行でのバンク・ローンを組むとなると日本政府の承認が必要となり、子会社となる湖南石油化学の張志洙チャンチス社長、湖南エチレンの金弼相キムピルサン社長と私の日本行脚が始まった。張社長は海軍参謀総長を歴任した海軍大将で四つ星、金社長は陸軍少将で二つ星、そして私が四つ星、合わせて星は一〇個。それを知る人は「またテン・スターが見えた」と話していたそうである。

(中略)

 われわれ三人は、それから何回訪日したかわからない。通産省への日参であった。(後略)
 そうこうするうち、三人とも軍人出身ということが知られ、韓国戦争の話も出るようになった。人間関係ができると、日本の人は実に親切にしてくれる。わがことのように熱心にあたってくれ、書類の不備を直し、隣の部課にも紹介してくれた。
 こうして日本からの外資導入、技術移転が可能となり、コンビナートの建設が始まった。工事には多くの日本人が参加したが、こういう人もいた。湖南肥料の反応塔を修理しなければならなくなり、足場を組むことになった。当時、韓国には高所作業をする鳶職がごく少なく、多くを日本の鳶職に頼っていた。この工事にも日本の鳶職のかたが参加したが、ある日、親方が行方不明になり、警察に捜索願を出す騒ぎとなった。心配したが、一週間ほどたって彼はひょっこり帰ってきた。
 この人は韓国で生まれ育ったのだそうだ。作業の合間を見て、日本からの土産をもって故郷の村を訪ねた。彼は村をあげての歓迎を受け、つい長居してしまったのだそうだ。いい話ではないか。韓国と日本のあいだだからこそ、ある話だ。このことを耳にして、日本とジョイントを組んで本当によかったと思ったものである。
 ビジネス面で日本と組んでよかったと思ったのは、事後の管理、アフターサービスが完璧だったことだろう。稼動初期につきものの小さなトラブルでも、すぐに飛んできて補修やアドバイスをしてもらった。日本と近いこと、そして日本人のきめ細かさのおかげである。プラントも初ショットから完璧な製品が出てきたが、これは石油化学業界では珍しいことである。

『若き将軍の朝鮮戦争 白善回顧録』白善 草思社


ベッキー「この鳶職の親方のような話は、日韓だけでなく日台にもよくあるんだけどな」

ちよ「で、後半はうって変わって朴の招いたマイナス面です」

よみ「強大な一部の財閥と、弱い中小企業という二極構造は現代でも健在ですね」

ベッキー「そうだな。朴は一部の突出した強力な企業を育成したわけだ。ちょうど3、4番打者と投手一人だけがメジャー級であとは1A級という顔ぶれみたいなもんだ」

芹沢「スタメンに各チームの4番打者ばかり並べて、ベンチ、ファームにはろくな選手がいない長嶋巨人ってのに近いかな。誰かがケガすりゃ戦力ガタ落ちだし、選手だよりの一発攻勢だけで、臨機応変にいろんな戦術が使えねー」

ベッキー「作者の長嶋への悪意低評価がよく伝わってくる言い方だが、まぁそういうことだ。よく言えば軍人らしい一点集中突破主義だ。一定の成長をとげたあとは、その特性ゆえにバランスが取れず跛行したり、一箇所がおかしくなるとガタ落ちしてしまう危険もある」

くるみ「ハングル偏重政策って朴正煕のころに始まったのね」

ちよ「はい。建国から2ヵ月後の48年10月にハングル専用法が施行されたようなんですが、ずっと日本時代のように漢字混じり文でした。北朝鮮のほうは、49年に漢字を完全廃止してハングルのみにしたようです」

芹沢「併合後、学校の初等教育で「朝鮮語」の読方・書方も教えたってのは本当なのか?『日帝は朝鮮語を弾圧した』って聞いていたが、えらく話が違うじゃねーか」

ベッキー「こいつについては、作者が05年の訪韓時に、戦争記念館の附設博物館での特別イベント「あ!オンマ展」で展示されていた、昭和初期の朝鮮人女子生徒の通知簿を見て確認している。
 まぁ、あいつらは、昭和十三年(1938)の朝鮮教育令の改正、昭和十六年(1941)の国民学校令によって朝鮮語教育を停止したことをもって弾圧の論拠としているがな。なお、あいつらの教科書ではこうなっている」

愚民化教育と言論政策
 日帝は政治的、社会的弾圧や経済的収奪もさることながら、文化面においてもあらゆる手段を用いてわが民族の活動を統制した。
 まず、教育分野では愚民化教育によって、いわゆる韓国人の皇国臣民化を策した。この目的にそって、わが民族は私たちの言葉に代わって日本語を学ぶように強制され、各級学校の教科書は彼らの侵略政策に合うように編纂された。彼らは私立学校や書堂など民族主義教育機関を抑圧し、単なる初級の実業技術教育をとおして自分たちの植民地等に有用な下級技術労働力の養成だけを策した。
 中日戦争以後はさらに残酷な植民地教育政策が実施された。すなわち、日帝が掲げる内鮮一体、日鮮同祖論、皇国臣民化のような荒唐無稽なスローガンのもとで、私たちの言葉と歴史の教育は一切禁止され、これに強く抗議した学校は閉鎖された。


未識字者解消運動
 わが民族は日帝の過酷な植民地差別教育政策によって教育の機会を失ったために未識字者が増加した。未識字者の増加は民族の力量を弱めることで、まさに日帝が目標にしていた韓国人の愚民化を意味するものだった。

『韓国の歴史〔第二版〕 国定韓国高等学校歴史教科書』
大槻建 君島和彦 申奎燮 訳 明石書店 435・440ページ



くるみ「何よこれ?学校を建てて教育を普及したことを無視、あるいは曲解したウソばっかりじゃない!」

よみ「朝鮮語教育を停止したということは、それまでは教えていたんですね?」

ベッキー「そうだ。第一次(明治44年勅令第229号)、第二次(大正11年勅令第19号)の朝鮮教育令では、朝鮮語の教育自体については特に明記していないが、その他の資料には、教授時数を定めた箇所に朝鮮語を教えることが書かれている」


アジア歴史資料センター収録 レファレンスコードA03034081500
  参考資料 現行朝鮮教育法規(抄) 一冊の第9頁より引用

普通学校規則 大正九年四月一日 朝鮮総督府令第四十七号

 第二章 教則及課程

第十条 朝鮮語及漢文は普通の言語、文章を理解し日常の応対を為し用務を弁ずるの能を得しめ兼て徳性の涵養に資することを要旨とす
朝鮮語及漢文は諺文より始めて漢字交り文及平易なる漢文を授け其の材料は国語に準じて選択し特に漢文は徳性の涵養に資するものを採るべし
朝鮮語及漢文を授くるには読方、解釈、暗誦、書取、作文を併せ課すべし
朝鮮語及漢文を授くるには常に国語と連絡を保ち時としては国語にて解釈せしむることあるべし


ちよ「ここでいう『国語』は日本語ですが、ほかにも、レファレンスコードA01200509200『朝鮮総督府諸学校官制中ヲ改正ス(大正12年)』の高等学校や師範学校、専門学校の教授時数一覧表をみると、朝鮮語も教えていたことが書かれています」

ベッキー「さらに言うと、朝鮮語教育の『停止』であって『廃止』ではないと考えるべきかもしれないんだ。昭和十六年の時点でも教えていたという記録がある」


アジア歴史資料センター収録 レファレンスコードA02030273600
昭和十六年三月二十五日 朝鮮総督府諸学校官制中ヲ改正ス・(学校新設等ノ為職員増減及国民学校制度実施ノ為規定整理)より引用

昭和十六年度平壌師範学校各教官議仕学科目別毎週教授時数予定表





ベッキー「こういった事情を踏まえて見ると、くるみの言うとおり、あの教科書がウソだらけというのがよくわかるな」

くるみ「あいつらはこういう資料の紹介、解釈なんかで自爆するのよね。こないだの『慰安婦募集』広告みたいに」

よみ「なんだそりゃ?」

くるみ「エンコリで韓国人が出した『従軍慰安婦は強制連行ニダ』って証拠の画像よ」


  


芹沢「おいおい、単なる『募集』広告だろ。これじゃ軍の強制でもないし軍が関与もしていないってことを証明してしまうじゃねーか」

くるみ「そうよ!漢字が読めないもんだから、漢文の歴史史料も理解できないし、こういう自爆もしてしまうってわけ。これもハングル一筋にしたおかげよねー♪」

ベッキー「たしかに、漢字廃止の効果の一つではあるだろうな。漢字の使用制限をしたり簡体字を採用することと、漢字の使用を廃止することとはまったく別の話だからな。
 ただ、最近作者は、現在の大韓民国の政局と、100年前の大韓帝国の政局とを比較して『別に漢字廃止してハングルだけにしようがしまいが、中の人の発言行動は変わってへんやんけ』と感じたらしい」

よみ「ハングルは韓国の進歩成熟に功罪なし、ですか」

ベッキー「ま、あくまでも皮肉交じりの感想だがな。大韓帝国の迷走と大韓民国の暴走、さして中身は変わらんだろ」

芹沢「うーん、たしかに登場人物が変わっているだけっていう感じもするなぁ」

くるみ「支那もそうだけど、100年程度で中の人の程度は変わらないってことね」

ちよ「こうやってみていくと、朴自身は抑制していたにもかかわらず、国民の意識統一のために「反日」というものが利用される下地は、やはり朴の時代にできてきたのでしょうね。良くも悪くも、朴正煕の影響は大きいものがあるんですね」

ベッキー「ま、現在を見ると、正の遺産を食い潰しつつ、負の遺産を高利で享受しているようにも思えるんだがな。本人らが満足なら勝手にしろ、ってとこだ」

よみ「今回も長くなりましたね。最近ちょっと詰め込みすぎじゃないですか?」

ベッキー「最近、作者がアジ歴に入りびたって大量の史料をかき集めてくるからな。そのせいで、本編・解説を掲示板に乗せたときよりもいろんなことが見えてきたりして、書きたいことがどんどん増えているんだ」

くるみ「へー、あのずぼらな作者が熱心なことねー。もっとも、おいしいネタは寧覇総督府の面々が先に手をつけていることが多いらしいけど」

ちよ「もともと、作者は史料を読み込むこと自体は好きですしね。ここに書けるネタが見つからなかったとしても、けっして無駄とは思っていません」

芹沢「結果だけじゃないってか」

ベッキー「ああ。そうやって何かをやってゆく中でおもわぬものを得られたりもするしな。ま、頭脳を使うこと自体は悪いことではないだろう」


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