斜め上の雲 27

民度のこと




 金泳三政権は、地名回復運動というものもおこなった。日帝の命名した悪しき地名を捨てて、奪われた地名を回復しようというのである。
 たとえば、ソウル市内西大門のそばにあるインワンサンである。これはがんらい、
「仁王山」
 であったのを、日帝が支配を誇示するため日本をあらわす「日」の字をつけて、
「仁旺山」
 にかえたと韓国地名学会が指摘し、ソウル市当局は表記を「仁王山」にあらためた。むろん文献的には何の根拠もない。
 もっとも、両者はハングル表記も発音もおなじである。いまさら漢字をもち出したところでなにもかわらなかったのだが。
 江華島の摩尼山(マニサン)のばあいは、やや事情がことなった。名山として知られるこの山は、がんらい摩利山(マリサン)であったという。朝鮮ことばで、「マリ」は「一番」「最高」を意味するのだが、日帝がじぶんたちの発音しやすい「マニ」に改悪した、というのである。
 仁川市地名委員会は、さっそく「マリサン」に回復するよう決定したが、意外な事実があきらかになった。新聞投書などで反論が出されたのである。それによると、古い文献では「摩利山」「摩尼山」ともに使用されており、べつに日帝が強制して変更したのではなかったという。
 そのため地元でも両者が併用されているのだが、「摩利山」派が、歴史立てなおし運動の反日情緒に便乗して当局をうごかそうとしたのであった。
 反日というお題目の前には、たいていのことが疑問もなく通るという好例であろう。

 ことばということでいえば、日本語追放運動があった。
 日本が近代文明を朝鮮に持ちこんだため、現代の韓国にも日本語の影響が大きい。たとえば、「アシバ」「バラシ」「シアゲ」「オヤジ」といった建築用語である。
 この年にはソウルのある建設会社が、建築現場にのこる日本語を追放してウリマルにかえようとする運動を展開した。オヤジは責任者、バラシは解体、シアゲは終わり手直し、といったふうに言いかえようとして、現場の入口に言いかえ一覧表をあげるなど教育につとめたというのである。
 もちろん、マスコミはこぞってこれをたたえた。
 しかし、オチはきちんとついた。このあたりが韓国らしいといえる。

 じつに珍妙なことに、十年後にふたたび言いかえ運動がもりあがったのである。

 二〇〇五年九月、大韓建設団体総連合会は、先進建設文化の早期定着と建設産業に好印象をあたえるためと称して建設用語を韓国語に言いかえる運動を展開したのである。かれらは、三百九十二個の建設用語を韓国語にした用語集を二万七千五百冊、広報用のステッカーを二万五千枚用意して配布した。
 いったい十年前の運動の成果はどこへいったのか。それを知る者もなく、またそれを問う者もいなかった。
 漢字の廃止についてはくとしても、すでに韓国社会の基盤に入りこんでいる日本語を追放しようという行為は、じつに実りのないことであるというしかないが、どうやら、十年後にもおなじ運動がもりあがるということだけはいえそうである。

 ついでながらいうと、日本は幕末から明治にかけて西洋の文物を多くとり入れことばを翻訳するなかで、古い漢語に新しい意味をあたえ、あるいは新語を造語したのだが、朝鮮ばかりでなく支那もその恩恵にあずかった。「文化」「社会」「自由」といった漢語がそれである。
 国民党との内戦に勝利した毛沢東は、「中華人民共和国」という国号をさだめるさい、「中華」以外はすべて日本製のことばであることに苦笑したという。しかし、だからといって使用せず追放するというまねはしなかった。実事求是にふさわしい姿勢であろう。その後も中国語には日本製の漢語がおおく使われるようになった。
 日本はそれらのことばをつくることで、二千年のあいだ東アジア世界の共通言語であった漢字にあたらしい生命を吹きこみ、中華文明に恩がえしをしたということはいっていいであろう。

 金泳三は、日本に対しての過去を清算しようとするだけでなく、自国の歴史についても果敢に清算をおこなおうとした。
 九五年十二月三日、一九七九年の粛軍クーデターについて全斗煥元大統領を反乱首謀罪の容疑で逮捕し、その六日後には収賄罪でも起訴したのである。盧泰愚前大統領はすでに十一月に収賄容疑で逮捕されている。
 だが、全世界をおどろかせたのはこのあとであった。

 金泳三は、十二月十九日に八〇年の光州事件を処断するため光州事件特例法と称される一連の法案を成立させ、全を反乱首謀罪、盧を反乱重要任務従事罪などで起訴したのである。
 つまりは、事後立法により超法規的に遡及して事件をさばこうとしたのである。
 そのやり方に全世界の法学者たちはあきれるしかなかった。

 一方、韓国内の世論の反応は悪くなかった。むしろ歓迎したといっていい。
「正しい裁きのためには、時効や法律なんて関係ないんだ」
 世実は小躍りしていった。正義を追求するためには区々たる法など何のことがあろうか。
 この年、かれはフリージャーナリストとして世に出ていた。学生時代の運動実績がものをいい、とくにパソコン通信の普及にしたがって注目されるようになっていた。
 結局、全は死刑判決、盧は収賄罪のほうで懲役二十二年という判決がくだったものの、数年後には両者ともに恩赦で釈放された。このあたりは、軍事政権時代に幾度となく死刑判決を受けながらことごとく恩赦などで減刑もしくは釈放された金大中をおもわせる。人治によって法治をなし崩しにするというのはこの民族の性癖なのであろうか。
 このように、事後立法をなんのためらいもなくおこなうという、法治の精神を否定した行為についてはこれ以降にも例をみることになる。

 この年は、韓国だけでなく日本も多忙な年であった。
 一月十七日早朝、淡路島を震源とした大地震が発生したのである。六千四百名にもおよぶ死者と四万四千人の負傷者を出し、未曾有の大災害となった。
 この朝、大学の同窓生とあう約束をしていた世実は地下鉄にのるため外へ出た。
「いいニュースです」
 地下鉄の車内で売り子がそうさけんで新聞を売っていた。世実は不審そうにそれをのぞきこんだ。一面には地震を伝えるニュースがあった。
「えらいことになったなぁ」
 同窓生にあった世実は、最初にそういった。
「うん。いい気味だ」
「天誅だな」
 同窓生たちは、頬をキムチ色にそめてさえずりだした。

「いい加減にしないか!」
 友人の一人が叫んだ。
「今まで黙っていたが、おれの外祖母は日本人だ。親戚の多くは神戸にいるんだ」
 学生時代まったくめだたなかったその男はまくしたてた。
「いまだに連絡もつかず安否もわからない。他人の不幸をよろこぶのが韓国人であるというなら、おれは韓国人でいたくない」
 その剣幕に一同はただ沈黙し頭をたれるしかなかった。


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美浜ちよ「前回の最後で言ったように、今回は地名回復運動から始めます」

ベッキー
レベッカ宮本「仁王山、摩尼山(マニサン)・摩利山(マリサン)については、黒田勝弘『韓国人の歴史観』が元ネタだ」

「地名改め」で話題になったものに、ソウルの風水説でいう「四神」の一つで、西の守り神になっている西大門近くの「仁旺山」がある。本来は「仁王山」だったのが、日本統治時代に「日本」を意味する「日」を付けて「仁旺山」に変えてしまったのだという。これを韓国地名学会が改称するよう問題提起し、ソウル市当局も呼応した。
 韓国マスコミは当時、日帝が支配誇示のため「日」を付けて「旺」に変えたと、反日情緒に訴えながらしきりに書いていたが、その事実関係を示すものは何も無い。先に指摘したように、韓国人の「日王」とする呼称、さらには北岳から旧朝鮮総督府、旧京城府庁の位置、形状にまつわる「大日本」伝説などを考え合わせるとき、この「旺」の字をめぐる日帝地名謀略説も根拠は保証の限りではない。
 それに韓国では公文書はすでにハングル専用と法律で決められている。漢字は使ってはいけないことになっている。マスコミも圧倒的にハングル専用の流れにあり、国民もまた漢字にはすでにうとくなっている。発音上は「仁王山」であろうが「仁旺山」だろうが関係ない。すべて「インワンサン」であって、その違いなど分からないのが実情である。
 漢字を疎外しながら「日帝」がらみとなると漢字を持ち出し、その字体の違いで反日情緒を満足させようとするあたり、実に切ない。
 あるいはもう一つ、ソウル近郊の江華島にある名山・摩尼山マニサンについても、面白い議論があった。この山は韓国の全国体育祭典(韓国版・国体)の聖火を採火する山として有名だが、摩尼山は本来は摩利山マリサンだったのが日帝によって改称されたもので、元に戻すべきだというのだ。これを行政機関の仁川市地名委員会が決定した。
 その理由は、「マリ」とは韓国の固有語では「頭」とか「一番」「最高」を意味する言葉なのを、日帝が自分たちの発音しやすい「マニ(摩尼)」に改悪し正式地名にしてしまったというのだ。
 ところがこの動きには後に新聞投書などで反論が出された。古文献には「摩尼山」と「摩利山」の両方が使われていて、日帝が勝手に変えたということではない、というのだ。地元でも「マニサン」「マリサン」は併用されているのだが、「マリサン」派が一九九五年の「光復五十周年」の反日情緒に乗って当局を動かそうとしたのである。人びともまた、「日帝残滓の清算」をいえば何でも通ると思っているのだ。

『韓国人の歴史観』黒田勝弘 文藝春秋


美浜ちよ「そういえば仁王山は、錫元の士官学校受験のさいにネタとしてつかいましたね」

桃瀬くるみ「これってさ、『日本』と聞くと思考停止・脊髄反射しちゃうってことでしょ?」

芹沢茜「身も蓋もねーな」

ベッキー
レベッカ宮本「くるみの言い方はともかく、事実だからな。しかも勝手に事実を捏造したり拡大解釈――つまり妄想だな――して昂奮するから手に負えない。2006年3月のWBCがいい例だ」

よみ:水原暦「イチローの「30年発言」ですね」

【WBC】「イチローは30年間選手生活続ける気なの?」
イチローの「30年」発言で韓国代表の闘志に火がついた?

 「イチローが30年間選手生活を続けるというんですか?」

 イチローの一言でWBC韓国代表チームが色めき立っている。看板選手らが打倒日本の旗を高く掲げている。

 イチローは21日、日本のマスコミとのインタビューで「ただ勝つだけじゃなく、すごいと思わせてやる。戦った相手が“向こう30年は日本に手は出せないな”という思いになるほどの勝ち方をしたい」と語った。韓国と台湾を名指しにはしなかったが、両国に対する優越感を表明したものと受取られている。

 このニュースを聞いた孫敏漢(ソン・ミンハン)は22日、「ピッチャーがいいピッチングをすれば試合に勝てる。しかし、野球は個人スポーツではない。イチローが全打席でホームランを打ったからといって、いつも勝てるものではない。うちのチームをなめているようだが、必ず勝ってみせる」とし、日本戦に強い意欲を燃やしている。

 また、孫敏漢は「試合を有利に進めていくために、イチローだけはしっかり抑えた」と語り、「30年という言葉が出てきたが、30年間選手生活を続けたいもよう」と、皮肉まじりの言葉も付け加えた。

『スポーツ朝鮮』

美浜ちよ「『韓国と台湾を名指しにはしなかったが、両国に対する優越感を表明したものと受取られている』って、どう解釈したらそうなるんでしょうね?」

芹沢茜「WBCにかける決意と思いを言っただけじゃねーか。勝手に妄想して昂奮してるだけじゃん」

桃瀬くるみ「こうやって日本の一挙一動に一喜一憂して、手前勝手な難癖をつけたり妄想したりするのよ。まさにストッカーよ」

芹沢茜「ストッカー?ストーカーだろ?」

ベッキー:レベッカ宮本「いや、韓国紙の翻訳ではよくストッカーになっているし、掲示板等での韓国人の発言でもそうなることが多いんだ。『英語に堪能ニダ』って自慢するヤツらが言うんだから間違いではないだろう」

美浜ちよ「作者は、日本を意識して付きまとう韓国のストーカー的な言動を『ストッカー』と規定して用いています」

よみ:水原暦「ようは、韓国ってのは自意識過剰なんだな。つねに他者から見られていないと不安になるのかも」

ベッキー:レベッカ宮本「そういうことだな。それも他者からの批判であれば『卑下』『歪曲』だとして受けいれないことが多い。韓国は常に他者から評価されていなければならないという不動の思い込み、絶対正義のようなものが根底にあるんだろうな」

よみ:水原暦「あれ?『卑下』って自分がへりくだる意味じゃないんですか?」

ベッキー:レベッカ宮本「日本語ではそうなんだが、本来の漢語では相手を見くだす意味にも使うんだ。朝鮮語の場合、そっちの意味で使われているようだ」

芹沢茜「次の日本語追放運動って何なんだ?」

ベッキー:レベッカ宮本「朝鮮・支那といった漢字文化圏は、日本語に訳されたものを経由して欧米の近代文化を摂取したから日本製漢語が多く使用されているんだが、朝鮮の場合日本になったから生活や仕事に密着した大和言葉も多く流入しているんだ。
 で、それらの日本語を日帝の残滓だとして追放しようとする運動だ、これも『韓国人の歴史観』が元ネタだ」

 韓国社会で絶えず問題にされる日本語の存在というのは、二つに分けることができる。一つは日本語そのものが外来語として入り、そのまま日常生活に残り使われているという問題であり、もう一つは日本語的表現あるいは日本製漢字語の問題である。
 韓国の新聞を見ていると、投書欄には「日本語排除」論としてこの問題が繰り返し登場している。反日情緒にからむ投書としては統計的に最も多い議論ではないだろうか。したがって「光復五十周年」の反日情緒としては格好のテーマである。「歴史立て直し」「民族精気の回復」「日帝残滓の清算」という挙国的キャンペーン下では当然、あらためて関心が集中した。
 たとえば外来語としての日本語の問題でいえば、古くからのものでは技術用語にかかわるものがそうだ。その一つとしてこの年、ソウルのある建設会社が建築現場で「ウリマル(われわれの言葉)」の使用を粘り強く展開しているとマスコミが紹介し称えていた。
 それによると建築現場では「アシバ」「ハシラ」「カタワク」「バラシ」などから「オヤジ」にいたるまで相当使われていて、この建設会社ではそれをやめようと、たとえば「オヤジ」は「責任者」に、「バラシ」は「解体」に、「シアゲ」は「終わり手直し」といった風に言おうと、建設現場の入り口に言い換え表現の一覧表を掲げて作業員に教育しているといいのだ。
 技術用語といっても以上のように素朴なものである。そのほか日常的には街の美容院の「フカシ」とか「マキ」もそうだし、自動車関係ではバックさせるとき「イッパイ、イッパイ」などよく耳にする。いずれも何かこう、手工業的というか家内工業的でほほえましい感じの日本製外来語なのだが、それだけに日本の韓国近代への影響を感じさせて興味深い。
 しかしそうであるがゆえにナショナリストには我慢ならない。
「オヤジ」や「フカシ」が近代なら、ゴルフは現代だが、この年、韓国の一部ゴルフ場では「ゴルフ場から日本語を追放しよう」とのキャンペーンを展開した。それによるとゴルフ用語として「カラ・スイング」「クチケンセイ」「グリーンマワリ」「マトメ」などがそうだという。筆者の経験では「テンプラ」もある。
 これらをどう自前の表現にするかだが、たとえば「カラ(空)・スイング」は「練習スイング」と言うべきだという。いささかユーモラスなのは、韓国人たちはよく日本人の英語外来語の発音をおかしいといって溜飲を下げるのだが、このキャンペーンではゴルフでの「パタ」も日本式の用語だといい、「ポト」と言うべきだというのだった。

『韓国人の歴史観』黒田勝弘 文藝春秋


桃瀬くるみ「朝鮮になかったモノや概念が、訳語をつくって定着させる前に、そのまんまの原語で定着したってことね。日本でもロックやポップスといった音楽用語は英語の原語そのままなのと同じなんでしょ」

よみ:水原暦「日本も今さら英語を追放するわけにいかんしなぁ」

ベッキー:レベッカ宮本「可能不可能に関係なく無意味きわまりない愚行だな。製造元がどこであっても、自分たちに無かったもので便利であるなら使えばよいだけのことだ」

芹沢茜「だけど韓国はその愚行を実行したんだろ」

美浜ちよ「はい。やってしまいました。そして、本文にもありますが、これが10年後の現実です」

「建設用語を韓国語に」 日本語の“建設俗語”を清算

 各建設会社が現場で俗語として使用されている日本語の清算に乗り出した。

 建設業界の関係者は「建設現場は日本語や各種の外来語が乱舞する代表的な場所」とし、「建設会社に就職した新入社員や日雇い労働者は、仕事の指示が聞き取れず、意思の疎通もできないため、現場で使用されている日本式用語を覚えるほかないという悪循環が続いている」と話した。

 大韓建設団体総連合会は先進建設文化の早期定着と建設産業のイメージアップのため「建設用語を韓国語に運動」を展開することにした。

 同会は「この運動への参加を希望する建設会社から申請を受け、テスト施行会社を選定する方針」とし、「選定後、これまで俗語が使用されていた392の建設用語を韓国語にした『韓国語建設用語集』と『建設用語要約カード』2万7500冊、広報用ステッカー2万5000枚を配布する」と伝えた。

2005年9月29日付 朝鮮日報

芹沢茜「ハァ?95年の言い換え運動はどこへいったんだ?」

桃瀬くるみ「さすが永遠の10年ね♪」

よみ:水原暦「最後は有名な阪神大震災の件ですね」

ベッキー:レベッカ宮本「ちょうど、まだ『パソコン通信』とよばれていたネットが盛んになってきたころの話だな。「いいニュースです」のネタ元は2つあるんだ」

 一方、英語科のクラスは異様な雰囲気に包まれていた。大地震に遭った不孝な隣人に同情を示す西洋人教師に対し、韓国人学生からは「日本人はいい気味だ」「天誅だ」などという発言が公然とされていた。
 日本人の血が混じる女性教師は怒りのあまり、その場で自分の出自を初めて明らかにしたと、これまた日本人の妻をもつアメリカ人教師は激怒しながら私に告げた。
「他人の不幸を喜ぶ韓国人は人間じゃない」
 この日、地下鉄の新聞売りが「いいニュースです」と叫びながら、神戸の地震を告げる新聞を売っていたという話も数人から聞いた。またパソコン通信では、日本の不幸を喜ぶ声とそれに反対する者の議論が始まっていた。夜のニュースでは、明らかに悪意の感じられる地震報道がおこなわれ、その一方で知り合いの韓国人からはひっきりなしにお見舞の電話がかかってきた。
「ジュンコさんのご両親がご無事でほんとうによかったです」
 私の両親を直接知る人は、涙まで浮かべてくれた。
 韓国人は西洋人の前で本音を言い、建前で私たち日本人に同情したのだろうか。そうではない。ひとりでも知り合いの日本人がいれば、心から案じ、慰めてくれるのが韓国人である。英語科での反応は、日本人を直接知らない韓国人に典型的なものだった。
 植民地世代よりも戦後世代、日本語学習者より英語学習者、日本を知らないほど反日の中身は幼稚になっていく。多くの韓国人にとって、「日本」は肥大化した抽象であり、国是である「反日」は大きな建前である。日本人の知己をもたないひとびとが集まった英語科や一般大衆の反応は、この建前だけが独走した結果だったと、私は思う。
 建前だからこそ崩れるのも早い。阪神大震災に対して、当初「それ見たことか」的で意地悪だった韓国マスコミの論調が同情に、さらに絶望的な状況下でも冷静さと秩序を失わない日本人への賞賛に変わったのは、地震発生からわずか三日後のことだった。それとともにパソコン通信での反日発言も収拾され、ソウル市内のデパートには被災者のための募金箱が置かれた。

『病としての韓国ナショナリズム』伊東順子 洋泉社


ベッキー:レベッカ宮本「著者の伊東順子は当時ソウルで語学学校の講師だったんだ」

美浜ちよ「号外のくだりやパソコン通信上での不幸を喜ぶ声といったあたりは、これまでよく引用されているんですが、それでは単なるトリミングになってしまうおそれもあると思うので、公平を期して全文紹介しました」

よみ:水原暦「後半部の伊東の主張の当否はともかく、こういう事態もあったってことですね」

ベッキー:レベッカ宮本「もう一つは『韓国・反日小説の書き方』(野平俊水)に収録されていた、95年1月20日付け朝鮮日報掲載のソウル在住のキム・ヨンシンという人の読者投稿だ」

「日本関西地方の地震被害状況が外信に乗って報道されつづけている。死亡、行方不明者、負傷者が数千人に達し、財産被害も莫大だ。天災地変に打つ手のない人間の悲哀を考えざるを得ない、地震が起きた一七日午後、私は(ソウルの)地下鉄二号線に乗っていた。電車の中で新聞を売っている販売員の叫ぶ声を聞いてびっくりした、地震の被害が大きいというニュースのためではなく、彼が叫んでいる内容であった。『とてもいいニュースです。○○に大地震発生、○○名死亡。』私は電車の一番終わりの車両に乗っていたため彼の叫ぶ声を何回も聞いた。もしかしてその国の人が乗っていないかと思って周囲を見渡してみた。幸いにも私の乗った車両には外国人はいないようだった。しかしこれは何という妄言であろうか。ことわざの『火の出た家を扇ぎたてる』そのままではないか。もちろん新聞を一部でも売りたいという浅はかな考えから出た、若気の至りだろうが言ってはいいことと悪いことがあるではないか。……我が国はいまや先進国レベルに進出している。また世界化を標榜して力強く進んでいる。よって成熟した市民意識で彼らの被害を慰労するためあたたかい手をさしのべてほしい。」

『韓国・反日小説の書き方』野平俊水 亜紀書房


美浜ちよ「この本は96年刊行なんですが、なぜか韓国では輸入禁止処分を受けたとのことです。なお、野平俊水は水野俊平さんのペンネームです」

桃瀬くるみ「全羅南道訛りで人気を博したあの教授ね。全南大学講師で、韓国人と結婚し日韓双方に対して概して言えば公平な目を向けていた人だったわね」

芹沢茜「人だったわ、ってまるで過去の人みたいな言い方だな」

ベッキー:レベッカ宮本「大学講師の雇用契約延長を拒否され、2006年の初めに家族を連れて日本へ帰国したんだ。水野本人は『韓VS日偽史ワールド』のまえがきで、前著の『韓国人の日本偽史』が「韓国人に隠れて日本で筆名を用いて、韓国を誹謗中傷する書籍を出している」として、大学に批判メールが殺到し、公式サイトには誹謗中傷コメントが大量に書き込まれ、大学がびびったのが原因だろうと推測している」

よみ:水原暦「やっぱり、最終的には自分たちを無条件に誉めてくれるものしか受け入れないんですかねぇ」

ベッキー:レベッカ宮本「エンコリあたりの歴史論議でもそうだが、自分たちにとって都合の悪い事実の指摘に対しては『アーアーアー、聞こえないニダ』とばかりに遁走、罵倒、すりかえってのが多いな。じゃ、今回はここまで」


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