斜め上の雲 30

北の凍土




 錫元の危惧が太陽政策に代表される北朝鮮への融和政策にあったことはさきにのべた。
 筆者はこれまで七〇年代の一時期をのぞいて北朝鮮にふれることをさけてきたのだが、このあたりで整理しておく必要があるだろう。
 北朝鮮がオイルショックによって厖大な借金をかかえながら、その返済を一切せずにひらきなおったことはすでにふれたが、その後も北朝鮮の経済、農業は衰退のみちをあゆみだした。

 ここにひとりの在日朝鮮人がいる。李佑泓といい、一九二一年三重県に生まれた在日二世である。農工業にながく従事し訪朝を重ね、七〇年代には共和国功労メダルをあたえられたというから有能な愛国人士であろう。かれは八四年、元山農業大学の講師にまねかれた。
 だが、その李の目にうつった北朝鮮の実情は、日に日に成長しているという公式宣伝とはまったくちがった惨憺たるものであった。かれがまずおどろいたのは、水田にびっしりと植えられた稲であった。
「一〇アールあたり平均一五〇〇キロの米がとれます」
 と、科学院の農業研究職員は胸をはった。これが事実なら一〇アールあたりの収穫量は日本の二倍以上であろう。
(そんなあほヽヽなはなしがあるかいな)
 李は内心舌打ちをした。水稲を密植すれば、枝分かれ(分蘖ぶんけつ)が悪くなり、かえって収穫が落ちるのである。五〇年代後半の中国の大躍進運動でもおこなわれた密植は、成育した水稲の上に卵が乗ってもおちないというまでにすきまなく植えられていた。子どもが乗っている写真まで報道された。だが、それらはことごとく空虚なものでしかなかった。すき間なく育った稲の内部は温度が上昇して穂が出なくなったのである。
 むろん、李は専門家であるだけにその顛末を知っている。かれらの言葉を信じることなどできなかった。

 李が案内された平壌の農業機械展示場には各種のトラクターや田植え機、小型耕運機がびっしりと展示されていた。
「これらはすべてわが共和国で生産したものです」
 案内員は胸をはっていった。
(現物がある以上は、農業の機械化は達成されとるんやろ)
 李はそう考えたのだが、結局、北朝鮮に滞在した一年四ヵ月のあいだ、それらが実際に使用されているのを李は見ることがなかった。農耕牛や大量の労働者、事務員にくわえて学生や軍人が農作業に動員されるのを見ただけであった。
(どういうことや)
 不審におもった李は、あるとき展示場の三、四気筒の小型耕運機を仔細に観察してみた。そのシリンダーをよくみると、
「ヰセキ」
 というカタカナがきざまれていた。ネームプレートこそ外してあるものの、まごうことなき日本製であった。
(つまりは対外宣伝用の展示というわけやな)
 李はそうつぶやくと、酢を飲んだような表情をした。そののち、かれはそれら二十台の小型耕運機が在日商工人によって寄付されていたものであったことを知った。

 また、李は八四年の夏、元山の松濤保養所をおとずれたさい、国産自動車と喧伝されていた「更生号」という軽自動車をみつけた。かれは、運転手に頼んでそのボンネットを開けてもらい中をのぞいた。
(やっぱり日本製か)
 このころになると、李はすでに「国産」という言葉になんの信用もおかないようになっていた。
 エンジンは、四気筒二〇〇〇CCのシリンダーを持ったもので、サイドバルブの古い型の日産製を流用しており、セルモーターやダイナモ、キャブレーターも日本製であった。日産がエンジンをモデルチェンジしたさい、スクラップになるはずのものを入手してきたようにおもわれた。

 自動車だけでなく、ラジオ、テレビも「国産」をうたっていたものの、やはり内実は日本製であった。北朝鮮各地の国際ホテルの客室には「千里馬号」と称する国産ラジオが置かれていたが、李は八三年夏に訪朝した時、裏ぶたをはずして中をのぞいてみた。
 スピーカーには「고성기(高声器)」「조선민주주의인민공화국(朝鮮民主主義人民共和国)」「MADE・IN・DPRK」と書かれたシールがはってあったが、真空管、シールドケース、トランス、コンデンサーには日立のマークが入っている。スピーカーだけが国産とはとうてい思えなかった。しかも真空管はST管といい、六〇年代には日本市場からほとんど姿を消していたものであった。
 また、李はこのとき、国産のカラーテレビ「木蘭」についても調べてみた。裏ぶたをあけると、やはり真空管からブラウン管、シャーシにいたるまですべてシャープのマークが入っていた。ただケースだけが国産であった。ラジオにしろテレビにしろ、すべて日本製を輸入し、あらためて組み立てなおしただけであった。これほど欺瞞に満ちた国産製品というものは他に例をみないといっていい。

 だが、その北朝鮮をひたすらに弁護しつづけたひとびとがいるのも事実であった。しかもこっけいなことに他民族である日本人たちであった。
 七七年、小田実は、
「北朝鮮は税金のない国家であり、食糧の自給も達成されている」
 といった。税金がないということは個人所得税がないということであろうが、どうやって国家の歳入をまかなっているのか、かれはふれることがなかった。
 さらにかれは、
「米は基本的に配給であり、大人は一日あたり七百から八百グラムだが、食堂にゆけば配給外の米がいくらでも食える」
 といった。配給外の米が無制限に食える配給制度とはいったいどういうものなのか。これほどばかげたはなしは類をみない。
 また、学生、子供には五百グラム、主婦、老人には三百グラムしかなく、その配給米も百二十グラムは戦争用備蓄として天引きされたことにふれなかった。脱北者の証言によれば、その配給米も平壌以外の地域ではとうもろこしが七割、米が三割に配合されたオクサルであったという。

 また、八四年には朝日新聞編集委員の岩垂弘が訪朝記事を連載し、
「北朝鮮の農業はうまくいっているというのがわが国の学者の見解」
 といって、その実態をおおい隠したばかりか、
「社会主義国家において権力の世襲は異例であろうが、人民が能力と実績を考慮して選択した結果、たまたま金日成主席の息子であっただけである」
 と、北朝鮮の民間人の発言にいっさい批評をくわえずそのまま紹介した。過剰なまでに北朝鮮を称揚、弁護するというその姿勢はまったく尋常ではない。
 しかも、朝日新聞は日本の権威ある新聞と受けとられたため、日本人よりも韓国人や北朝鮮人らのほうが、その報道が日本人の見解を代表するものだと信じてしまい、のちの世においてさまざまな悲喜劇をまねくこととなった。
 ややはなしはずれるが、朝日新聞の報道姿勢をうのみにして、日本の世論が北方領土問題についてさほど興味をもっていないという楽観的な観測を本国に送りつづけ、ゴルバチョフ大統領の訪日外交を失敗させたことで大統領の怒りを買ったというソ連大使館はその典型であろう。

 九四年七月八日、北朝鮮の最高指導者である金日成主席は八十二歳で死去した。南北会談を予定していた矢先のことであったという。
 このとき、韓国の大統領は金泳三であるが、九三年の就任以来かれは北朝鮮に対して定見のない姿勢をとり続けていた。以下、代表的な言辞をあげる。

「いかなる同盟国も民族にまさることはできない。いかなる理念、思想であっても民族よりも大きな幸福をもたらすことはできない」(九三年二月)
「核兵器をもっている相手とはけっして握手できない」(九三年六月)
「北朝鮮は核兵器をすすめ、スパイを投入するなど対南赤化戦略を放棄していない」(九四年三月)
「北朝鮮に対しては、いまや制裁以外の方法はないという共通認識が形成されつつある」(九四年六月)
「北朝鮮が核の透明性を保障して、開放と改革のみちをえらぶなら、われわれは資本と技術を提供しよう」(九四年十月)
「北朝鮮が万一、核合意を誠実に履行せず時代に逆行する選択をするなら、全世界の懲戒をまぬかれることはできない、ということを言明しておく」(九五年三月)
「われわれの米が不足すれば、外国から買ってでも北朝鮮に追加支援をおこなう」(九五年六月)

 わずか二年のあいだに、これほど極端なゆれがあるのも世界史上に類をみないであろう。

 金泳三のあとをついだ金大中政権は、親北姿勢をさらに露骨にした。
 二〇〇〇年六月には平壌におもむき、金日成の死後指導者となっていた金正日と南北首脳会談を実現した。これにより、離散家族の再会事業や朝鮮戦争によって分断されていた京義線、東海線の鉄道と道路の再連結事業などが決定した。
 史上初の快挙であるとして多くの韓国人はさわぎ、にわかに親北の熱風がふき荒れた。韓国人には「鍋根性」といい、ものごとに極端に熱中しすぐさめるという性癖があるとされるが、まさにそれであったといっていい。

 韓世実ハン・セシルは、学生時代に主体思想にかぶれていたこともあって北朝鮮に対して好意的であったが、この会談によってさらに親北化した。
「これでウリミンジョクは統一して世界の強大国になれる」
 かれは昂奮した。優秀であるがゆえに日本のロビー活動と米ソの謀略で分断された韓民族が、ついにもとのように一つになれるのである。
 かれはそのよろこびに満ちた言説をネット上で次々と発表した。この前年には、「VANK」の設立に関与し、ネット世界では若くして重鎮となっていた。


>>トップ

>>次回

<<前回




美浜ちよ「今回は北朝鮮を中心にしています」

よみ:水原暦第18回でふれて以来だな」

桃瀬くるみ「たしか、破産状態になって開き直って輸入の代金も払わず、密輸までしたんだったわね」

ベッキー:レベッカ宮本「そうだ。むちゃくちゃな農工業政策のツケがきて、さらに加速度的にグデグデになってゆく80年代についてネタにしている」

芹沢茜「元ネタは何だ?」

ベッキー:レベッカ宮本「まず、北朝鮮の農工業の現状については、本文でもあるように李佑泓が体験を記した『暗愚の共和国』『どん底の共和国』を元ネタにしている。かなり長く引用紹介するからな」

 共和国当局者の公式宣伝によると、共和国の水稲の収穫量は十アール当たり、平均で千五百キロ、多いところでは二千キロから二千五百キロだ。総連中央でも同じことをうけ売りしており、元山農大や科学院農業関係者も、この数字を私に何回も自慢した(共和国当局者が発表する穀物収穫量は、いずれも籾を含む)。
 しかし、「主体農法」の優秀性を宣伝するためのこの数字も、結論からいえば虚構であり、デタラメな作り話に過ぎない。農業にまったく無知な者ならいざ知らず、少しでも知っている者からは一べつもされないしろものだ。
 それは、いまや食客会計赤字に悩んでいるものの、世界の先端を行く日本における農業でも、水稲栽培農家は「五石農家」になるのが夢であるという事実によっても明らかである。
 ちなみに、五石とは十アール当たり収穫量が十二・五俵であり、キロに換算すれば七百五十キロである。すると、共和国の十アール当たり収穫量は日本の二倍以上ということになる。(中略)こういえば、共和国では水稲を密植するから、それぐらいの収穫をあげることは可能だ、と反論するむきもいるだろう。
 だが、これまた農業に無知であるがゆえの反論、いや屁理屈の類いでしかない。水稲はその性質上、密植すれば分蘖(稲、麦などの根のまわりの茎が枝分かれすること)が悪くなり、かえって減収につながるものである。したがって、密植=増収論も農業のABCをわきまえぬ論議というほかない。記憶している人も少なくないと思うが、いまから三十数年前、毛沢東時代の中国において実験された水稲のミチューリン方式(狡玉植瓩凌絨雕惑檗砲任録絨陲成育なかばの段階で、卵を水田に投げても土のところまで落ちなかったといわれるほど密植してコメを栽培した。
 当時の中国当局者は、このミチューリン方式の大成功、大豊作を宣伝した。それにともない、一部日本の狄癖眦文化人瓩燭舛、現在、共和国の「主体農法」なるものの太鼓持ちをつとめている人々のように、中国における密植水稲栽培を、「画期的かつ歴史的実験」である、と持ち上げていたことも記憶に新しい。
 しかし、その結果はどうであったか。水稲の大減産という事態をまねき、中国各地の農民が食糧危機に見舞われただけではなかったか。(後略)

(中略)

 何はさておき、八三年初めに、私が見学した平壌・牡丹峰近くの農業機械展示場を紹介することから始めたい。(中略)
 案内員がいうように、確かにそこにはさまざまな最新式農業機械が陳列されていた。共和国製といっている各種トラクターや田植え機、小型耕運機などがところせましと展示されており、これをみた限りにおいては、何回も繰り返して強調する案内員の自慢話も、信じてよかった。
 しかし遺憾ながら、私が共和国に滞在していた間、田植えや田の草とりなど農作業風景は何回も目撃したものの、そこに展示されていたような農業機械が実際に使われていたのは、ほとんどみたことがなかった。というより大量に動員された農民ないし労働者、事務員たちがクワやスキで土を耕したり、農耕牛を使って耕地を掘り返したり、田植えをしたりする場面にしかめぐり合っていない。

(中略)

 その証拠として、共和国では田植えの時期になると、全国一斉に都市の労働者、学生、人民軍兵士が大量に動員されている事実をあげることができる。「農村支援隊」と呼ばれるこの多くの人々が、田植えに動員されているのは、何を意味しているのか。常識的に考えて、機械による田植えが行なわれているならば、都会や軍隊が一つの集団農場に数千人もの多くの労働力を農村に提供する必要はないだろう。

(中略)

 つけ加えていえば、前述の農業機械展示場にあった耕運機は、案内員のいうような共和国製、いわゆる「主体型」ではない。「ヰセキのテーラー」で知られる日本製で、数年前に共和国の農業発展を念じて総連商工人が寄付した耕運機であり、この事実は総連同胞の間でも広く知られている。
 すると、共和国における「農業機械化」とは、外国製の農業機械をあたかも自国製であるかのように嘘をつき、昔ながらの後進的営農方法をカムフラージュする方便といってもさしつかえあるまい。

『どん底の共和国』李佑泓 亜紀書房 P82〜86


よみ:水原暦「有名な密植ですね。収穫が十アールあたり平均で千五百キロ、多いところでは二千キロから二千五百キロなんて、いくらなんでもむちゃくちゃ過ぎます」

桃瀬くるみ「だいたい、農場には秤もないんでしょ。収穫した米をどうやって測ってるのよ」

 共和国の農場にはハカリもほとんどない。
 このことがわかれば、脱穀したばかりの、水分含有量の少なくない籾をそのままカマスにつめ込むという不可思議な作業のほかにも、ハカリがないため――いや、ないことを幸いにしてといった方がよいかもしれない――どんぶり勘定の目分量(メッソウ)で、適当に籾をカマスにつめ込み、この段階ですでに相当量の水増しを図っているという、異常な事態にも気づかないわけにもいかない。
 元山農大前の協同農場で私がみたのは、数人の農場員が自分の手ないしはスコップで籾をカマスにつめ込んでいる光景だ。既述のようにこの作業に従事している彼らは、大きな稲わらやわらの葉をとり除くだけで、あとは少々わらやゴミがついていようとおかまいなし。だいたいの目分量でカマスにつめ込んでは、一カマス五十キロと算定していた。
 その光景をみて、驚いた私は「こんなやり方でどうしてきちっと五十キロあるのかわかるのですか」と聞くと、同行の元山農大教授、農場員らは、「私たちは慣れています。ずっと、こうしたやり方でやってきたので間違うことはありません」と自信をもって答えた。
 しかし、彼らがどう答えようと、それを額面どおり受けとめる者はいないだろう。一カマス五十キロあるといっても、ハカリがないのに誰も知りようはない。四十キロになってもあるいは四十五キロになっても、またあるいは三十五キロになっても仕方ないのである。実際、私のみている前で農場員は、籾と一緒に小さなわらクズやゴミもつめ込んでいた。これだけでも多少の目減りは覚悟しなければならないはずだ。

『どん底の共和国』李佑泓 亜紀書房 P137〜138


芹沢茜「慣れているとかいう問題じゃないだろ。籾を乾燥もさせず、ゴミまで詰め込んでおいて」

美浜ちよ「一カマスには五十キロ、と規定されている以上、カマスが一個あればそれは五十キロに違いない、ということになりますね」

よみ:水原暦「それって、どこかで聞いたような決めつけだな……」

ベッキー:レベッカ宮本「員数主義ってやつだ。数さえ合えばそれでよく、内実は問わないという形式主義を指すんだが、よく日本軍の事例をあげて説明される。山本七平が書いていたな」

桃瀬くるみ「書類上、一個師団を編制する諸隊がそろっているとされれば、その諸隊の実際の人数や武装がどうあってもそれはりっぱな一個師団だ、というやつね」

美浜ちよ「はい。たとえ連隊が一個欠けていたとしても、『一個師団、ただし一個連隊欠』として、一個師団として扱うというのもそうですね。北朝鮮ではこの日帝残滓が継承されていたようです」

 共和国では、コメの生産量をどのように算出し、公表しているのか。この点について、いま少し突っ込んでみておきたい。
 そのために想起してほしいのは、共和国では毎年、「豊作だ!」「大豊作だ!」と、宣伝につとめてきたことである。しかし、共和国の農業は、既述のような水稲栽培に限ってみても、大量の人力を動員して行なっているものの、いまだに昔ながらの後進的で、きわめてロスの多い営農方法に依存しており、「常に豊作だ!」というにはほど遠い状態にある。いや、「主体農法」ならではの独特の事情もあって、毎年のように狄郵的な凶作瓩箸い辰燭發里妨舞われているのが現実だ。
 したがって、共和国当局者のいう常時豊作論といったものは、こうした現実を陰ぺい(ママ)し、とり繕い、美化するためのトリックというほかない。そうであるがゆえに彼らは、すでに指摘したように植えつけの段階で各農場から送られてきた穀物の植えつけ量をそのまま生産高にするという、信じ難い詐術もいとわないのである。
 もちろん、このような共和国においても例外的なケースはある。元山農大や科学院関係者たちから聞いたところによると、当局者たちが文字どおり「豊作だ」とみなした年などは、それなりに狎騎里平字瓩鮓表しようと努力する。けれども、彼らのいう狎騎里平字瓩どのようなものかは疑問である。
 まず、指摘せねばならないのは、共和国の各農場では記述のように籾をカマスにつめ込んだ段階でその年の農作業がすべて終わるということである。つまり各農場は、国営の精米所に送り届けたカマスの数を「コメの生産量」として上部機関に報告し、一切の責任から解放されるという仕組み、体系で運営されている。
 コメの生産高を集計する共和国政府の担当部署は、各農場から郡を経て道に、そして道から上がってくるカマスづめの籾の量を集計し、そのうえで「今年のコメの生産高○○○○万トン」というように発表する。すなわち、この数字が、共和国政府の公式生産高とされるわけだ。
 ところで、こうした公式生産高も信じるに値しない。第一に、一カマス五十キロと定められているものの、すでにみたようにドンブリ勘定の目分量で籾がつめ込まれている。誰がどのように水増し分を正確にはじき出すことができるのか。この段階で、相当の目減りがあるのを覚悟せねばならないだろう。第二に、籾と一緒につめ込まれている小さなわらクズやゴミの量である。これは、籾すりの段階で必ず除かれるだろうから、この分の目減りも必至である。
 第三は、乾燥機やムシロがないために発生する目減りである。第四は、カマスにつめ込まれた後に惹起こされる目減りだ。保存、管理するまともな倉庫、それを運ぶ輸送手段が決定的に不足しているため、カマスの中の籾の中には、未登熟米(小米)、不受精米(実の入っていない籾)、芽を切った籾、むれた籾、乾燥していない籾――いずれも籾すりの段階で粉になって吹き飛ばされてしまう――が相当に入っていることになる。要するに、刈りとった稲や脱穀した籾をよく乾燥してから籾すりを行い、玄米にするという水稲栽培の基本をおこたっていることからくるロスであり、これがかなり見込まれるということだ。
 それゆえ、カマスの中の籾がどれだけまともなコメ粒になるかは、共和国当局者がその数字を具体的に公表しない限り、知りようがない。かくして共和国での実際のコメの生産量は、誰も、もちろん牋梁腓兵麥里気洵瓩鉢狄動Δ覆觧愼骸堝瓜岫瓩眞里襪海箸できないということになる。

『どん底の共和国』李佑泓 亜紀書房 P140〜142


桃瀬くるみ「誰もが無責任なのね。これがケンチャナヨ♪ってやつなのかしら?」

美浜ちよ「ち、ちょっと違うかもしれません」

よみ:水原暦「でも、これでは本当の生産量なんて分からないですよね」

ベッキー:レベッカ宮本「そこで、著者の李佑泓は計ってみようと試みたんだ」

 しかし私は、あえて一つの方法をとり入れて測定してみようと思う。そうすることで共和国においては、ナゾにつつまれて久しいコメ、玄米の生産量がどのくらいかをある程度は推量しておきたい。
 私が試みたのは、日本などで広く用いられているコメの収穫量算定方法で、刈りとり前に一定の田んぼからとれる何株、何本かの穂数を基礎にしてはじき出すやり方だ。この方法で一平方メートルあたりの穂数(一株に何本の稲穂があるか)、一穂当たりの籾数(一本の稲穂に何粒ついているか)、登熟歩合(一穂の中に完全に熟した籾が何粒あるか)がどれくらいかを数え、さらには千粒の玄米の重量(完全な玄米千粒の重さ)を、まず量る。そしてこれらを全部合わせたものに千を掛けて十アール当たりの収穫量を計算する方法だ。
 八四年秋、稲刈りの最中に私は、元山農大科学部の金学長、白副学長と四、五人の教授、それに約二十人の学生を前にこの方法を実験し、コメの収穫高を推算したことがある。場所は、同大学前の水田。共和国では、例によってこの年も「大豊作だ」と宣伝していたが、その実験の結果、次のような事実が明らかになった。
 まず一平方メートル当たりの株数は五十株で、穂数は例の非科学的な密植のせいで分蘖ぶんけつが悪く、三百八十本だった。穂当たりの籾数は六十二粒でそれを平たい石の上にのせ、同じく平たい石でこすり玄米にしてみて、登熟歩合が七二%であるということもわかった。そして、私の手持ちのハカリで千粒の重さを量り、その重さが十九グラムあることを確認した。これらを先に述べた方法で計算すると、十アール当たりの収穫量粒は三二二・三キロとなる。この数量は日本稲作農家のコメの平均収穫量、やはり十アール当たり約六百キロと比較すれば、その約半分にしかならない。したがって、既述のような共和国公式発表の十アール当たりコメ生産高千五百キロにはるかに及ばない。
 もちろん、三百二十余キロという分量も、すでに指摘したような稲刈りから脱穀、玄米に変わるまでの過程で生じる数々のロスを完全に防止できてこそ可能で、現在の共和国では、まず不可能な数字だ。それゆえ、共和国のコメの生産量を実数に近い数字で把握しようとすれば、ロスで減収につながる分もかなり見込まねばなるまい。私はその分をどう低めに見積もっても三〇%はくだらないと思う。すると、実際の玄米の収穫量は十アール当たり二百五十キロにも及ばず、公式発表千五百キロの六分の一にしかならないということになる。
 ついでにいえば、先に述べた方法で算出すると、共和国での一ヘクタール当たり米の生産量は二・五トンになる。すると、共和国総面積十二万二千四百平方キロ、水田を最大限に見積もり、四十分の一としても三十万六千ヘクタールになり、年間総生産量は七十六万五千トンにしかならないという計算になる。人口約一千八百万人ないし二千万人を対象にした現行の食糧配給基準からみて、この数字は辻つまが合う。

『どん底の共和国』李佑泓 亜紀書房 P142〜144


よみ:水原暦「実際の六倍にも膨らましていたわけですね」

芹沢茜「むちゃにもほどがあるっつーの。つーか、この李さん、よく妨害とか軟禁とかされなかったんだな」

美浜ちよ「彼ら自身すら、虚実の実体について把握してないところもあるんですね」

桃瀬くるみ「そんなこと知ったところで何もしないし、できないわよね。下手に改善を求めて行動すれば、首領様の指示に疑義を持つ危険分子として追放粛清でしょ。結局、社会主義諸国で蔓延していた無気力と同じことよね」

ベッキー:レベッカ宮本「そういうことだな。口をつぐんで惰性のまま流されているほうが安全というのはたしかにあるんだ。次は工業についてだ」

 犲動車自前生産瓩録燭胆屬扮海任△襦
 このことを裏づけるためここで私は、自らが直接目にした共和国製自動車にとりつけられていたエンジンやセルモーター、ダイナモ、キャブレーターなどを例にあげておきたい。八四年夏、元山松涛園休養所の前に停車していた軽自動車「更生」号が、それだ。私はその間、運転手に頼んでボンネットを開けてもらい、中をのぞいてみた。その頃になると私は、共和国では自動車に必要な合金類の生産が不可能であるばかりでなく、内燃機関類も無理とみなすようになっていたので、どうしても自分の目で確めておきたかった。
 その結果、ハッキリしたのはその中に「主体の国」でつくられたものがまったくなかったことだ。とりつけられていたのは、日本の日産エンジンであり、セルモーターやダイナモ、キャブレーターも日本製であった。ちなみに、「更生」号がとりつけていた日産エンジンのシリンダーは、小型二千ccのピストンの穴が四つある四気筒だった。サイドバルブの古い型のエンジンである。日産が久しい以前、新しいエンジンにモデルチェンジした時、普通ならスクラップになるシリンダーを輸入したもののように私には思われた。

(中略)

 以上の事実からして私は、共和国での自動車の生産は輸入した鋼板や鉄板を使って車体やボディーなどをつくり、これまた輸入したエンジンなど内燃機関類をはめ込んでつくる、単なる「組み立て」作業に過ぎないと確信している。先にあげた「流れ作業」の写真は、その組み立ての工程を写したものだということである。
 こう断言して差しつかえないのは、自動車のボディーやそれをつくる鋼板や鉄板もさることながら、既述のように自動車に必要な数百種の部品をつくる各種合金、特殊合金を精錬することができないからだ。仮に、それらを輸入したとしても、粗悪な工作機械や著しく立ち遅れた技術しかない状況では内燃機関にとりつける部品生産は不可能である。

(中略)

 付言すれば、この種の小型トラクターを私が見たのは、平壌にある農業機械展示場ただ一ヵ所だ。しかも、その展示場に陳列されていた二十台のぐらいの三、四気筒小型トラクターは、ネームプレートこそはずしてあったが、シリンダーに浮かびあがっている文字から日本のイセキ製であることが、私にはすぐわかった。

(中略)

 確かに、このラジオの表面のダイヤルの上には、朝鮮語では「千里馬」と書かれた絵つきのマークが入っている、内部もそうで、スピーカーの中心部には、朝鮮語の大きな文字で「高声器」(拡声器と同じ意味)と記されているシールが張ってある。それに、御丁寧にもその上と下に、朝鮮語と英語で「朝鮮民主主義人民共和国」「MADE・IN・DPRK」と書いてある。だが、このラジオの中身はまぎれもなく日立製である。裸の真空管にも、真空管にかぶせてあるシールドケースにも小さな日立のマークが入っている。
 トランス、コンデンサーもそうであり、スピーカーも日立製であろう。「高声器」のシールこそはずしてみなかったものの、スピーカーだけが唯一「メイド・イン共和国」などというのはあり得ないだろう。
 ひと言でいって、ケース以外はこのラジオは丸ごと日立製である。それに真空管は、日本では第二次大戦が終わって間もない四六、七年頃までが全盛のST管といわれる旧型であり、六〇年代に入ってお蔵入りしたものであるという点だ。これらの事実からすると、このラジオは日本で真空管がGT管(小指ほどのミニチュア管が出現する前につくられたST管より少し小型で性能のよい真空管)にチェンジした時に残った在庫品を、五〇年代から六〇年にかけて日本から輸入し、共和国で組み立てたものとみなすことができる。

(中略)

 ラジオが自前でつくれないとすれば、テレビはいうまでもないが、奇妙なことに共和国には共和国製テレビと称する「モンラン」(木蘭)というカラーテレビがある。

(中略)

 案の定、木蘭の中身は日本製であった。シャープ製真空管やブラウン管でつくられていた。具体的にいうと、六〇年代末頃から日本で出回り始めた指先ぐらいの大きさのミニチュア管および初期の半導体であるゲルマニウムだった。それらがその中にギッシリと秩序正しく配列されていた。シャープ製とわかったのは、その一つ一つにシャープのマークが入っていたからだ。真空管、ブラウン管にもついていたし、シャシー(真空管やゲルマニウムなどさまざまな部品をとりつけた箱)にも、シャープのマークが入っていた。
 木蘭は中身はすべてシャープ製の、いうならばケースだけが共和国製のカラーテレビである。

『暗愚の共和国』李佑泓 亜紀書房


芹沢茜「外国製の部品を輸入して組み立てて国産ニダ!って、今の韓国とも変わらんような気がするぜ」

よみ:水原暦第17回でもふれていたように、南北ともども見栄を張って虚勢を示すためにはそういう手段をとるんだなぁ」

桃瀬くるみ「でも、そんなグデグデの北朝鮮に萌え狂っていたバカどもがいるんでしょ♪」

ベッキー:レベッカ宮本「そういうことだ。しかもおめでたいことに縁もゆかりもないはずの日本人たちだったんだ」

芹沢茜「おいおい、縁もゆかりもないってのは言い過ぎじゃねーのか?」

桃瀬くるみ「しょせんは、日本の現実を批判し否定するために、自分たちの理想像を勝手に他国に投影してグダグダ騒いでる連中よ。そんなヤツラなんて、長い目で見ればその他国にとっても迷惑極まりないはずだわ。もっとも、その国に縁もゆかりもあるというならただの工作員だけどね☆」

美浜ちよ「そんな彼らの言説につきましては『「悪魔祓い」の戦後史』『朝日新聞血風録』(稲垣武)、『退屈な迷宮』(関川夏央)、『虚報の構造 オオカミ少年の系譜』(井沢元彦)に紹介されているものを元ネタにしました」

 南北の経済格差が加速度的に拡大していく状況の中で、「北」は日本に対する宣伝攻勢を強化していった。日本のジャーナリスト、作家、評論家への招待も活発になった。そんな情勢のもとで書かれた代表的な訪問記が、七七年八月に出た小田実の『私と朝鮮』(筑摩書房)ほか一連のそれである。

(中略)

 たとえば小田はこう書く。
「彼らのくらしにはあの悪夢のごとき税金というものがまるっきりない。これは社会主義国をふくめて世界のほかの国にはまだどこも見られないことなので特筆大書しておきたいが、そんなことを言えば、人びとのくらしの基本である食糧について『北朝鮮』がほとんど完全に自給できる国であることも述べておかねばならないだろう」
 北朝鮮は七四年三月に税金の全廃を発表、「世界唯一の無税国家」になったと大々的に宣伝した。小田はこれを受売りして税金がないと「特筆大書」したわけだが、税金がないとは、個人所得税がないということだろう。しかし国家には歳入がなければやってゆけないのもまた自明の理で、それをどんな形で国民から取り立てるかの違いがあるだけだ。(中略)これについては玉城の前掲論文(作者註:「朝鮮半島のイメージと現実」『中央公論』七五年三月号掲載)の次の記述を紹介するだけで十分だろう。
「税金全廃に関しては、国家財政収入中の社会主義経営収入の割合がすでに九八・一%に達しており(一九七三年)、税収は一・九%にすぎなかったのだから、これも実質的な意味はない。社会主義経営収入は、企業、事務所、農場等から納入されたものであるから、本質的には税金と大差はない。むしろ個人所得の不均衡を是正する機能を持つ個人税の廃止によって、不均衡が固定化される危険さえ生み出しかねないであろう」
 また北朝鮮では千里馬運動以来、勤労奉仕、つまり賃金の支払われない労働が教化されているが、これも一種の税金と考えてよい。昔風にいえば租・庸・調のうち、庸の部分がかなり大きいわけだ。小田の見方は社会主義経済に対する単なる無知からに過ぎない。

(中略)

 小田も配給制度に触れてはいる。
「米は基本的には配給である。大人一日七百グラムから八百グラム。これは職種によってちがうそうだが、一部を希望によって小麦粉にかえることができる。もちろん、食堂などではいくらでも配給外の米が食える」
 ます配給量が正確ではない。七〇〇グラムのうち一二〇グラムは戦争用備蓄として差し引かれる。また学生、子どもは五〇〇グラム、専業主婦や退職老人は一日三〇〇グラムの配給しかなかった。食堂や旅館では配給切符を出さねば食べさせてもらえない。戦時中の日本の外食券食堂と同じシステムだ。そもそも食堂で「いくらでも配給外の米が食える」のなら、配給制度の意味がないではないか。また「米」といっても、平壌以外での配給は、トウモロコシ七分、米三分のオクサルであったと、亡命者らは一致して報告している。

『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武 文藝春秋


 北朝鮮には税金というものはいっさいないといった日本人がいる、彼はしかし、税金なしにどうやって軍隊を維持するのか答えなかった。問うひとがいなかったのだ。べつの日本人は北朝鮮には電柱がなく街区は美しい、日本もかくありたいといい、聞くひとは疑わなかった。
 北朝鮮はもともと直接税の割合は国家歳入の二〜三%と著しく低く、直接税を廃止して困るというほどではなかった。ではどうやって軍隊を維持し、国家経営していたかといえば、それは目に見えぬ間接税によってであり、それらはおもに労働のかたちで吸いあげられる。(中略)
 六〇年代から七〇年代末までつづけられた「進歩派」の北朝鮮賛美は北朝鮮に自信を持たせ、わたしにいわせれば独善への道を更に高速で歩ませたと思われる。朝鮮半島は南北ともに日本の報道、日本の論調に過敏に反応するのである。日本社会の問題点をよく知らない外国、北朝鮮に仮託して語ってはならない。逆に精緻な観察眼を養うこと、つまり常識をもってかの国を見ることこそ日本の「戦後責任」である、とわたしは考える。

『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか』関川夏央 新潮文庫


 それがこの「北朝鮮訪問記」である。
 これは八四年(昭和五九年)の記事だ。
 一読して驚くのは、この記事を書いた記者(当時、朝日新聞編集委員岩垂弘氏)は、批判の目というものをまるで持っていないということだ。

(中略)

 繰り返しで申しわけないが、あらためて述べれば、まず第一に民主主義社会には思想の自由がなければならない。民主主義の「民」というものは、本来別々の個性を持った人間だからだ。当然考え方も違ってくる。それを認めるのが思想の自由であり、それを具体的に保障するのが、言論の自由、出版の自由、結社の自由だ。これが議会制民主主義の下では「野党」という形になる。
 ところが、北朝鮮には今述べたものが一つもない。そして、そのことはジャーナリストでなくても誰もが知っていることではないか。
 それどころか、この国では、独裁者である主席金日成が息子の金正日に権力を世襲させようとしている。
 そこのとは岩垂記者も認識しているようだ。だったらなぜ批判の目を向けないのか。
「――それにしても、社会主義国における権力の世襲は極めて異例のことだ。それだけに、世界にはこれを不審な目でながめる向きもある」
「ながめる向きもある」どころか、世界はこの二〇世紀における、象徴ではない実質権力の世襲(私物化)ということに、「呆れかえっている」のが本当のところだ。
 ところが岩垂記者は続けて次のように、北朝鮮側の意見を一方的に紹介する。
「朝鮮人民が書記(金正日のこと。引用者注)を(後継者に)選択したのは主席の息子だからではありません。その能力と経験と実績が後継者にふさわしいと判断したからです」
 岩垂記者はおそらく、「何の批判もしていない」という私の批判に対して、「新聞記者が自己の主観を交えるのは感心しない。私はあくまでも客観報道に徹したのだ」と弁明するかもしれない。
 これは、こういう人々の常套手段である。
 つまり相手の主張をそのまま伝え、それになんら記者の主観を加えていないから「公正な客観報道だ」というのだ。

(中略)

この記事によれば、
「北朝鮮は農業がうまくいっている」
「開放体制に移行しつつある」
 となっている。
 これが現時点(作者註:1993年)で見て、いかに見当違いだったかは、あらためて書くまでもあるまい。

『虚報の構造 オオカミ少年の系譜[朝日ジャーナリズムに異議あり]』井沢元彦 小学館


 そのなかで岩垂氏は、「社会主義国における権力の世襲は極めて異例のことだ。それだけに世界にはこれを不審な目でながめる向きもある」とし、対外文化協会の幹部にその点について質問して、「朝鮮人民が(金正日)書記を(後継者に)選択したのは、主席の息子だからではありません。その能力と経験と実績が後継者にふさわしいと判断したからです」との答えをもらっただけで済ましている。

(中略)

 また八四年六月六日付の特集で、岩垂氏は、
「社旗主義国の農業はおしなべて不振だが、その中にあって北朝鮮は農業がうまくいっている国、というのがわが国の北朝鮮研究者の一般的な見方」
 と書いている。しかし農業のうまくいってる国でなぜ主要食糧品の配給制が実施されているのか。(後略)
 まるで日本の戦中、戦後の配給制度を思わせるが、ほんとに農業がうまくいって食糧が豊富なら配給制の必要はないだろう。それは配給制を施行すると、自由販売より遥かに行政に人手とコストがかかるからであって、韓国にも配給制はない。世界のどの国をみても配給制度を採用しているのは、食糧不足か臨戦態勢の国だけである。それでも「農業がうまくいっている」とは、どこを押せば出てくる台詞なのだろう。

『朝日新聞血風録』稲垣武 文春文庫


よみ:水原暦「関川の、『朝鮮半島は南北ともに日本の報道、日本の論調に過敏に反応するのである。日本社会の問題点をよく知らない外国、北朝鮮に仮託して語ってはならない。逆に精緻な観察眼を養うこと、つまり常識をもってかの国を見ることこそ日本の「戦後責任」である、とわたしは考える』というのは、今でも通用する指摘ですね」

美浜ちよ「そうですね。何かにつけ過剰なまでに日本を意識する朝鮮半島、また、くるみさんが言ったように、日本を批判したいがために自分の理想を他国に投影する知識人というのは今でも変わりません」

桃瀬くるみ「でしょでしょ。日本のプロ野球の問題点を問うために、メジャーリーグを極端に理想化して引き合いに出す連中といっしょよ」

白鳥鈴音「欧米か!!」

 ガッ

桃瀬くるみ「痛っー!!どうして私にチョップするの?!」

ベッキー:レベッカ宮本「井沢のいう『相手の主張をそのまま伝え、それになんら記者の主観を加えていないから「公正な客観報道だ」』という手法は朝日新聞が好んで用いるんだ。『中国の旅』で野田・向井少尉の『百人斬り』を喧伝した本多勝一が、その虚偽性について野田らの遺族の抗議を受けた際も、中国の証言者の言ったことを紹介しただけであって抗議するなら向こうに言え、と言い放ったそうだ」

美浜ちよ「この手法の応用変型として、明らかに恣意的な言説や、トリミングした資料を並べておいて、突っ込まれると『私は議論のデータ、ネタを提供しただけです』と開き直って議論を回避するというものがあります」

芹沢茜「掲示板ではけっこう見られる逃げ口じゃねーか」

よみ:水原暦「今回は長くなりましたね」

ベッキー:レベッカ宮本「そうだな。引用が多すぎたからなぁ。この辺でお開きにしたほうがよさそうだな」

桃瀬くるみ「進歩的文化人や日教組連中の首領サマへの萌え狂いっぷりをもっと紹介したかったわね」

美浜ちよ「本題からずれすぎるから、ということで断念したようです。でも、次回、ネタが少なくなりそうな場合はそこでやるかもしれません」

芹沢茜「そっか、けっこういい加減なんだなぁ」

ベッキー:レベッカ宮本「仕方あるまい。作者にもそれなりの計算と都合があるんだ。そういうわけで、VANKについても次回で触れることにするぞ。
 そうそう、言い忘れていたが、金泳三の言辞については『退屈な迷宮』(関川夏央)文庫版のあとがきにまとめられていたのが元ネタだ。じゃ、ここまで」


>>トップ

>>次回

<<前回