三田渡への道 2

Crossroads




 仁祖政権はどうにか安定し、懸案どおり親明政策への回帰の動きも活発になっていった。まず、遼東にいた明将の毛文龍を招致したのである。

毛文龍
「また私の出番ニャ?今度は明人ニャ」

 毛は、文禄慶長の役のさい朝鮮に来援した軍人であり、戦後は遼東にとどまっていたようである。李朝の招請を受けた彼は直ちに鴨緑江ぞいの鉄山に本拠地を置き、後金に対するゲリラ活動をはじめた。
 たびたび戦功を立てた毛は、明朝廷にその戦果を誇大報告し、魏忠賢(権勢をふるっている宦官)をはじめとして、宮中の廷臣・宦官たちに賄賂を贈ることで、多くの軍資金・兵糧を得ることに成功していた。さらには国禁である密貿易にも手を染め、富を築いて軍閥化した。

毛文龍
「ゲリラ活動もいいけど、財貨を稼いで安穏に暮らせればいいわね。おーい、朝鮮人、さっさと物資を差し出せ!天朝の将軍のご命令だぞ」

朝鮮人民
「は、ははぁ!直ちに献上いたします」

金瑬 [流の下に玉]
「まぁまぁ毛閣下、むちゃな要求はおやめくだされ。この地方は疲弊しているのです。物資なら朝廷から運ばせてきましたから。さ、君子は詩文で心を楽しませるものです。どうぞこの詩をお納めください」

毛文龍
「おおっ、みごとな詩文じゃの。心が洗われるようだ」

 金瑬 [流の下に玉]は、毛の横暴をなだめすかし、ときには得意の詩文を贈って彼らの不満を少しでも和らげようとした。
 とはいえ、毛もただ遊び暮らしていたわけではなく、後金に対するゲリラ活動を盛んにし、その勢力は後金を牽制するものに成長した。

 1626年1月14日、ヌルハチは13万の大軍を率いて瀋陽を出発した。山海関にいる遼東総司令官(遼東経略)の高第は錦州・松山・杏山・塔山といった関外の拠点を放棄し、関内に撤退するよう指示したが、寧遠城を守る袁崇煥は、その命令に従わず2万の守備兵とともに籠城した。

ヌルハチ
「明軍は、大凌河・小凌河・錦州・松山・杏山・塔山といった拠点を捨てて逃げ出したから、山海関まで一直線だねー……あれ?ひとつ城が残っているよ。抵抗するつもりなのかなー?」

袁崇煥
「遮蔽物に利用される城外の建造物はすべて焼き払え!城内に入り込んでいる後金のスパイを摘発せよ!山海関に伝令を送って脱走兵の逮捕処刑を依頼せよ!」

遼東の地図


 1月23日、後金軍は寧遠城に到着し、城の北側に布陣した。

ヌルハチ
「んー、たった2万の兵で13万の大軍にかなうと思っているのかなぁ?他の明将と同じように降伏したらいいと思うよー。うちに来たら餃子や羊肉のしゃぶしゃぶもいっぱい食べられるよー」

袁崇煥
「北辺の背教者蛮族どもが、何を寝言を言っているのですか!私は明朝とカレーのために忠義を尽くすのです!」

 ヌルハチは降伏勧告を行ったが、袁は拒絶した。

ヌルハチ
「えーっ?カレーしか食べないなんて好き嫌いを言いすぎだぞー。そんなわがままを言う悪い子には、お仕置きのスズチョップ!!」

袁崇煥
「よし、撃て!」

 寧遠城には11門の紅夷砲が配備されていた。福建出身の袁はオランダ船やポルトガル船に装備されていた火砲の威力を知っており、寧遠城を築くさいに配備していたのである。
 3000m近い有効射程を持つこの火砲は、明に仕えていたドイツ出身の宣教師湯若望(アダム・シャール)によって鋳造されたものであった。ちなみに、湯若望は砲の製造法・運用法についてもマニュアルを作成した。
 後金軍は城壁に向けて進撃したが、最初の砲撃で数十人の兵が倒れた。

ヌルハチ
「おおー、あれが火砲なのかー、いったん後退して城の西に移動しろ」

 西側に陣を移した後金軍は、翌24日、明の降将李永芳に攻城兵器を指揮させ攻撃を開始した。元来、騎兵中心の女真族には攻城兵器や攻城技術のノウハウがなく、それらを持っている降伏した明将に頼るしかなかったのである。
 袁崇煥は、後金軍の移動を見て、速やかに紅夷砲を西の城壁に移動させていた。

袁崇煥
「撃てー!神の御名において、異端者どもを煉獄の業火で焼き尽くせ!一人残らず地獄に落とせ!」

祖大寿
「(袁将軍って、こんなキャラでいいのかしら?)」

 李永芳率いる攻城兵器部隊は壊滅した。後金軍本隊は、大盾をかざした装甲車を繰り出し、犠牲を払いながらもなんとか城に接近して城壁を掘り崩そうとしたが、城からの砲撃銃撃に加え、油をかけた柴に火をつけたものを投下され車ごと炎上した。
 25日、26日と後金軍は攻勢をかけたが、そのつど砲撃をくらって退却した。

袁崇煥
「はーはっはっは!神に刃向かうものはすべて滅ぼしてくれるわ!」

ヌルハチ
「むー、なんとすさまじい……うわっ、砲弾があたったー」

 26日、ヌルハチは砲弾に当たり負傷した(そうではないという説もある)。

ホンタイジ
「父上、戦傷者が続出しているぞ。父上の傷も心配だ」

阿敏
「伯父上、兵糧の補給もうまくいっておりません。このまま長期の対陣は無理です」

ヌルハチ
「……そうか、仕方ないな。全軍撤退するぞ」

 後金軍は撤退した。ヌルハチにとって、生涯最初にして最大、そして最後の敗戦であった。

袁崇煥
「よし!放棄した諸城を奪回せよ!」

祖大寿
「はい!錦州・松山・杏山・塔山、全てを奪回することに成功しました!」

 8月11日、ヌルハチは死去した。寧遠城攻撃のさいに砲撃で受けた戦傷が悪化したためだともいう。
 ヌルハチは後継者を明示しないまま死んだため、その息子たちや有力者による暗闘の末、八男のホンタイジが後継者となった。

ホンタイジ
「我が後金の主なるぞ。亡父の遺志を継いで、まず寧遠城を落とすぞ」

阿敏
「(あいつが王になったのか。どのような手を使ったのやら)」

 ホンタイジは、部族の連合体で王はその旗頭であるという体制の後金を、中国の王朝のように強力な権力者の皇帝に権力を付与する体制に変えようとしていた。
 また、ヌルハチの果たせなかった寧遠城攻略を果たすために出兵した。

袁崇煥
「無駄無駄無駄ーっ!紅夷砲で焼き尽くせ!正義の鉄槌を下せ」

ホンタイジ
「力攻めではどうにもならんか。退けっ」

祖大寿
「袁将軍、錦州城からも勝報が届きました!」

袁崇煥
「よし!今夜はカレーで祝宴だ!」

 袁崇煥はホンタイジの攻撃を退けた。また錦州城でも後金軍は敗れた。
 一方、朝鮮は、ヌルハチの死亡によって後金が弱体化するものとふんで、交易の道を閉ざすなどさらに敵視政策を厳しくした。明との交易路を停止されていた後金は、朝鮮を迂回した間接的な交易をしていたが、朝鮮の翻意によってその抜け道も絶たれたのである。

ホンタイジ
「ちっ、わが国は朝鮮人参や貂の毛皮の交易でもっているのだ。このままでは干上がるぞ。なんとしても交易路を確保しなくてはならぬ」

清人
「ホンタイジ様、朝鮮から逃げてきた者が参っております」

韓潤
「先年、朝鮮では政変が起こり、後金との友誼を考えておられた光海君が追放されました。私めが道案内をいたしますので、どうかお国の力を以てその誤ちを正してくださいませ」

ホンタイジ
「ふむ、よい機会だな。よろしい!阿敏、お前を総司令官に任じる。目障りな毛文龍を駆逐し、朝鮮を屈服させてこい」

阿敏
「はい」

 1627年1月、ホンタイジは阿敏を総大将とし、劉興祚らを部将、韓潤を道案内とした3万の軍勢を送った。

ホンタイジ
「こたびの目的は交易路の確保であって朝鮮の殲滅ではない。
姜弘立と、朴蘭英を同行させるゆえ、外交交渉の補助とせよ」

 サルフの戦い以来後金に留まって光海君に情報を送りつつ、後金と朝鮮のパイプ役を務めていた姜は、ヌルハチの次男ダイシャンの養女を娶るなど、ヌルハチに気に入られて厚遇を受けていた。朴蘭英も同様に留め置かれた部将である。なお、ともに降伏した副元帥の金景瑞は1624年に病死していた。

阿敏
「本隊は鴨緑江を渡って義州を囲め!別働隊は渡河せず、毛文龍のいる鉄山を撃て」

 別働隊は鴨緑江北岸の鉄山に駐屯している毛文龍軍を襲った。

毛文龍
「ひ、退けー!皮島に退けー」

 毛は一戦して敗れると遁走して、鴨緑江をくだりその河口に浮かぶ皮島に逃げこんだ。

劉興祚
「これで背後を衝かれる危険はなくなったわ」

朝鮮半島要図

 1月13日、後金軍は鴨緑江南岸の国境都市である義州の守備軍を撃破し、義州の城邑を包囲した。翌14日、本隊はそのまま南下を続け、凌漢山城を包囲し、さらに宣州・定州にせまった。安州にもすぐ到るであろう、という報が宮廷にもたらされたのは17日のことであった。

臣下
「南の各道からすみやかに援兵を発するべきです」

仁祖
「うん、そうしよう。ところで、ヤツラは毛将軍を捕らえるために来たのか?それともわが国を抑えるためだけに来たのか?」

張晩
「どうやら、わが国が目標のようです。ヤツラが動く時は成算があるときだと聞いております」

崔鳴吉
「我が軍にはまともな備えがありません。講和を考えるべきです」

仁祖
「ふむ…安州には兵が少ない。安州に兵を集めて守らせたほうがいいな」

張晩
「わかりました。至急伝令を派遣します」

仁祖
「それと、漢城の守りは誰がよいかな?」

張晩
「よほどの人材でないといけません。先ほど左遷された金自点を起用してください」

 仁祖反正で功績をたてていた金自点は、謀反人の親族の婚姻について不手際があったとされ、この時期左遷追放されていた。

仁祖
「……全羅道観察使の閔聖徴を起用しよう」

李貴
「江華島は必ず守らないといけません。もし安州が落ちれば、殿下は江華島にお入りください」

仁祖
「そうだな」

張晩
「殿下、私はこれから出征しますが、部将を連れて行きたく思います。金自点と金起宗のどちらかをお願いします」

仁祖
「金起宗を連れて行け」

呉允謙
「南漢山城は李曙に任せましょう」

 江華島は、緊急のさいに王が逃れるための場所であり、「江都」とよばれ、金銀兵糧、王室の財産の一部が貯蔵されており、いわば副都のような役割を持っていた。高麗時代には、モンゴル軍の侵略を避けて江華島に遷都し30年にわたって抗戦したという実績がある。
 また、漢城の南にある南漢山城もそういった避難抗戦用の拠点の一つであった。朝鮮においては、戦時には城邑を放棄して山城に籠もるという伝統的戦術が存在していたのである。

金瑬 [流の下に玉]
「おい!南漢山城以外にも緊急避難所はあるじゃないか!どうして南漢山城を優先するんだ?」

仁祖
「南漢山城は捨てるべきではない。それとよく考えてみたんだが、金自点は重罪があるが、クーデター時の功績もあることだし、処分を撤回して江都を守らせたいと思う」

臣下
「それはよいお考えです」

 翌18日、後金軍が安州に迫ったという報が入った。

仁祖
「明日、江都に移動するぞ」

呉允謙
「殿下は南漢山城を重視して李曙にお任せしました。ここは南漢山城に退き、軍を差し向けて臨津を守るのが最上の策です」

李貴
「我が子李時白が率いる3千の兵はよく訓練されており、戦陣に臨めば決して退却することはありません。しかし今兵糧の不足している臨津に送れば、ただ無駄死にするだけでなんの効果がありましょうか?」

金瑬
「敵はすでに深く入り込んでいます。臨津の天険を捨てて守らないというのであれば、ほかに良い策があるとでもいうのですか」

仁祖
「我が兵勢は弱い。水原から兵を送らせよう」

崔鳴吉
「李時白に臨津を守らせ、急事が出来したら坡州山城に入らせ、忠清道の軍に禿峴 を守らせましょう」

李貴
「水原の軍は殿下の護衛につけましょう」

仁祖
「李時白の軍は訓練されている。これも合わせて江都に入ろう。諸軍は妻子を連れてともに江都に入れ」

 グデグデと論議を繰り返しながら対策を立てているところに、前線から義州陥落の報告が到着した。

 姜弘立、韓潤らは陥落した義州に入った。阿敏は宣川郡に本陣を進め、定州・郭山・宣川の軍兵が籠城する凌漢山城を包囲した。

阿敏
「攻撃前に使者を出せ」

劉興祚
「はっ。降伏勧告ね」

軍使
「おーい、城に入れてんかー。言いたいことあるんやー」

守将
「両軍が対峙しているときは戦うだけだ。門を開けて入れてやるわけにはいかない」

軍使
「さよか。義州はとっくに落ちたで。じぶんら、どないするつもりや?」

守将
「我らは朝廷の命令を奉じて城を守っている。お前らが攻めてくれば一死を以て対決する」

軍使
「しゃーないな。そうそう、韓潤が復讐のために来とるんよ。今から漢城をめざすとこや」

阿敏
「そうか。降伏をはねつけたか。一気に城を屠れ!」

 後金軍は一気に城を攻め立て数日もかけずに陥落させた。守備大将の定州牧使金搢 と郭山郡守朴惟健は捕虜になり、宣川府使奇協則は斬られた。軍兵はことごとく斬られ、逃げ延びたのはわずか数十人にすぎなかった。また、各地で捕虜になった民は辮髪にされたという。
 凌漢山城の陥落の報が平壌にもたらされると人心は激しく動揺し、妻子を連れてひそかに逃亡しようとした官吏三人が捕まり、即日処刑されてさらし首になったという事件もおきた。

 21日、出征している張晩から報告が来た。

張晩
「安州に敵が迫っています。人々は懼れ、事態は急を告げています。しかし私の手元に兵はなかったため、駆けつけて救うことができず、数百里の土地を失うのをただ傍観することしかできません。
 ようやく1千余名の兵を集めましたが、弾薬もなく手ぶらのままです。早く武器を送ってください」

仁祖
「賊軍が侵略してきて日数が経つが、誰一人として敵を倒し功をあげた者がいないではないか。軍律は行なわれず忠義の無いさまはここまでひどいのか!兵士・義士で、勇気を示し敵を斬ってその首級を持ってくる者があれば、あつく賞するぞ」

 23日、大司憲の朴東善ら10数人は上疏した。

朴東善たち
「殿下の信頼される寵臣は金瑬 、李貴、金自点らに勝る者はありませんが、彼らはみな、江華島に入ったり、山城に行ったり、殿下の護衛と称したり、視察とか言って安全なところに逃げこんでいます。張晩だけが武器も無く敵に向かっております。
 どうか殿下には、軍民に説諭し、たわ言をぬかす連中を斬ってその首を軍門にさらし、李曙らに兵を率いさせて前線への援軍とし、殿下は『勤王の軍』を招集され、自ら率いて進まれれば、全軍の士気は、戦う前に倍増するでしょう(殿下親信貴寵之臣、宜莫如金瑬 、李貴、李曙、申景如沈器遠、金自点等、而或入海島、或上山城、或称扈衛、或除検察、皆占便安、自全之地。独使張晩一人、空手赴敵、為張晩者、能無望乎?是以、辞朝七日、始達開城、顕有逗留観望之状。臣等以為、張晩不降則走也。伏願殿下、赫然発憤、出御国門、以親往之意、暁諭軍民、亟斬首倡去邠 者、梟示軍門、先遣李曙、申景播、分領畿兵及扈衛諸軍、或援辺城、或截江灘。殿下号召勤王之師、親御継進、則三軍之士、不戦而気自倍矣。)」

仁祖
「お前らの言ってることって、ほとんどピント外れ(答曰「所論、太半失實矣」)」仁祖実録 仁祖5年(1627年1月23日条)

 要衝である安州にも敵が迫ったことで、仁祖は保留していた「分朝」を考えることにした。壬辰倭乱のさいにも用いられた分朝は、王のほかに、世子を司令官とした第二の司令部を作って別行動で抗戦を継続させるものである。
 分朝の駐在先の議論の途中に、分朝そのものにグデグデと反論したり、防衛策についての是非を言い出す臣下も出たりして、さすがに仁祖が、

仁祖
「お前たちは、ただ分朝のことを協議しなさい!(上曰:「卿等只論分朝事可也」)」仁祖実録 仁祖5年(1627年)1月24日条

 と言う一幕もあった。結局、分朝の駐在先を全州とし、世子は即日出立した。

 この日、平壌に後金軍の先鋒が迫ったことで、城中の官兵はことごとく脱走した。平安道観察使の尹暄は、わずかに残った40人の軍官を率いて南の中和に退去した。このため、後金軍本隊は、平壌に無血入城した。
 25日、張晩からの報告で黄州の陥落が、金起宗からの報告で安州の陥落が伝えられた。安州守将の南以興と諸将は、火薬を使って自決したという。

 26日、仁祖は宮廷を出て江華島に向かった。漢城は金尚容が留都大将として守備することになった。27日、その金尚容から報告があった。

金尚容
「殿下が城を出られたあと、民衆も逃げ去りました。宮廷の門を守る将軍たちも殿下の護衛を口実にして逃げ去ってしまいました。
 無頼のゴロツキどもが夜になると徒党を組んで鶏や犬を略奪・殺しております。逮捕しようとすると剣を抜いて手向かったため、どうにか二人だけを逮捕できました。即刻処刑、さらし首にしました」

 阿敏率いる後金軍は平壌に入って軍を留め、仁祖に対して使者を派遣した。
 一方、江華島へ向かう仁祖一行の足どりは遅々としてなかなか進まなかった。28日夜、張晩の部下が、張晩の意見書と姜弘立の私書を携えて到着した。

崔鳴吉
「殿下、我が軍の弱さは致命的です。さらに、毛文龍将軍が蹴散らされたように、天朝の援軍も期待できません。講和するしかありません」

李貴
「そうです。幸い、敵も姜弘立を通じて講和を考えているようですが」

仁祖
「そうか…姜弘立の書簡によれば、後金の使者3人がこっちへ向かっているそうだが、こちらの承服しがたい条件があるかどうかが心配だ」


「その書簡を見る限りでは、大丈夫なようですが」

仁祖
「ならいいのだが。とりあえず、明日さっさと江華島に渡ってしまおう。それから対処すべきだな」

 翌29日、仁祖一行はようやく江華島に渡り、江都の鎮海楼に入った。
 2月1日、ホンタイジの国書が届いた。

ホンタイジ
「両国の友好はいいことだ。明と絶交して、我を兄、貴国を弟としよう。それなら明が怒ったところで我らは隣国なのだし懼れることもない。兄弟の契りを交わしてともに永く栄えようではないか。(大金国二王子、答書于朝鮮国王。両国和好、共言美事。貴国実心要和、不必仍事南朝、絶其交往、而我国為兄、貴国為弟。若南朝嗔怒、有我隣国相近、何懼之有?果如此議、我両国告天誓盟、永為兄弟之国、共享太平。事完之後、賞格在貴国裁処、可差担当国事大臣、速決完事。不然、途道往返、羈遅不便、毋視我為不信也。)」

 これに対して、臣下たちはいきりたった。

臣下
「どうか、賊の使者と朴蘭英らの首を斬って、天朝(明)に送りましょう。義を掲げて講和を排し、決死の構えで戦いましょう」

臣下
「和議などはもってのほかです!」

仁祖
「お前たちの主張は忠義にあふれており嘉すべきものだ。しかし今賊と和を結ぶのはヤツラの鋭鋒を緩めるための策略なのだ。この真意をよく理解してくれぐれもまちがうなよ」

 仁祖にとっては、講和とはあくまでも現在の窮境をしのぐためのものでしかなかったのかもしれない。あるいは、現代の朝鮮半島でもみられるような国内向けの強気な発言、言い訳のたぐいであったのかもしれない。
 仁祖は講和を求める書簡を持たせた使者を派遣した。

阿敏
「今、平壌などに赴任してきた官吏らが兵を集め訓練しているのを見ると、講和を望むというのは本心じゃないだろ。しかもうちの使者に接する貴国の民や官員らの立ち居振る舞いは尊大だ。そんな小事のせいで国家の大事を壊すことになるぞ。
 こっちは、貴国と明の断交を要求しているが、今もって来た文書を見ると、昔どおり明の年号である天啓を使っているではないか。ほんとに講和する気があるのか?もし講和が成らなければ、こっちは漢城に駐屯して一年間は帰らないつもりだ。そのときになって後悔しても追いつかないぞ!」

劉興祚
「ねぇ、使者さん見てちょうだい。貴国の国書には妥当じゃない文字があるわねぇ。これじゃ講和を嫌がっているようだわ。『天啓』ってところよ。『啓』を『聡』に替えたらどうかしら?」

使者
「は、はぁ(明の年号『天啓』を使っているのを、後金の年号『天聡』にしろってことね)。し、しかし、二百年、明に臣下として仕えてきた義があります。(しまった。怒らせたカナ)」

阿敏
「ふんっ、臣下の義ねぇ…とりあえず大物を使者にして話を進めるか。劉、お前に任せた」

劉興祚
「オッケー、私が行って話をつけてくるわ。姜弘立どの、朴蘭英どの、同行してちょうだい」

姜弘立
「はい」

朴蘭英
「承知いたしました」

 9日、劉興祚が姜弘立と朴蘭英を連れてやってきた。仁祖はまずその書状について協議した。

仁祖
「人質か。王弟を人質にしても、明との絶交(永絶天朝)よりはましだな。さて誰を送るべきか?」

呉允謙
「王室から人を選んで送るべきでしょう」

 翌10日、仁祖が姜弘立と朴蘭英を引見した。

仁祖
「久しぶりだな。後金の状況はどうだ?」

姜弘立
「はっ、今回の急な出兵の事情はまだわかりませんが、去年の10月に劉興祚が、

「明とわが国は怨念の深い間柄だが、ヌルハチ様が死去されホンタイジ様が立たれたときには慶弔の使者を派遣してきたわ。朝鮮はどうして使者をよこさなかったの?」

 と訊いてきたことがありました。私は『わが国とあなたたちの間にはなんの怨恨もありません。もしその報を聞いていれば人を送らないはずがありません。ただ毛文龍が交通を遮断しているのでその報が届かなかったのでしょう』と答えました。
 また、彼らはたびたび講和のことを口にしております。それで私は講和のために使者となって来たのです」


「真意はどこにあるのカナ?」

姜弘立
「…彼らの兵糧は尽きかけています。速やかに回答すれば、事態の深刻化は避けられます」

金瑬 [流の下に玉]
「もし講和が成らなければ、ヤツラは何をするつもりだ?」

姜弘立
「後金軍の矛先がすみやかにこちらに来ることでしょう」

仁祖
「(兵糧が尽きれば、ヤツラはキレて略奪など暴れ狂って暴虐の限りを尽くしかねないということだな)朴、そちの見聞したことを述べよ」

朴蘭英
「彼らの状況は、すべて姜どのが申し上げたとおりです。そういえば、出兵前にホンタイジが『両国の和が成立すれば、帰還せよ』と言っておりました。講和を求めているのは本意でしょう」

 翌日、仁祖は劉興祚を引見した。

劉興祚
「揖礼(胸の前で手を合わせる)くらいしてくれるんでしょうね……え?挙手だけなの?!やってられないわ!」

 仁祖の礼儀を無礼と感じた劉は激怒して退出した。廷臣たちはその振る舞いに憤ったが、李貴だけは地を叩いてくやしがった。

李貴
「ああ!えらいこっちゃ!取り返しのつかないことを!(大事去矣、大事去矣)」

 しかし、この夜、仁祖に謁見した李廷亀が、劉と接触したとき、

劉興祚
「『明と絶交』の文言を削るの?金・元の時代、貴国はこういう問題をどう処理していたのかしら(笑)。でさ、王弟を送ってこないわけにはいかないわよね(則海笑曰「金、元之時、貴国何以処之?且王弟、不可不送」)」

 と言っており、さらには人質が真の『王弟』でなくとも、王族姻戚であればよいと承知していた形跡(李廷亀曰「劉海既示仮字、雖仮称駙馬以送、何妨」)があったことから考えると、比較的柔軟に見える――丁寧な示唆かも?――姿勢を見せていることから、劉の怒りの退席は、一種のポーズ、駆け引きのためのはったりであったのではないかという見方も成り立つ。

張維
「便宜上王弟と称すればよく、駙馬(王の娘婿)を出しても根拠のないことではありますまい」

仁祖
「ふむ。穏便に済ませてくれたのだな。講和が成れば、劉将軍にお礼でもしないとな」

 この日、漢城の留守を守る金尚容が、後金軍が臨津江を渡っという報を聞いて城を捨てて遁走した。城内は治安が一気に乱れ、宣恵庁と戸曹が空き巣によって放火されたという。

 それはともかく、王弟を人質に送ることが決定した。

仁祖
「誰を送ったものか…そうだ、李継先には息子がいたな。あいつをわたしの『弟』として送れ」

李溥
「はわ?私、ですか?」

 12日、李継先の子どもである李溥を「王弟」として、傅と改名し(仁祖の兄弟の名前にはにんべんヽヽヽヽが共通であるため)、遂成君と称させた。つまり臣下を王族に仕立て上げたのである。

洪瑞鳳
「今朝、李傅に会ってきたのですが、彼は泣いて私に訴えました。

「はわわ〜。私はがんらい平山の賤しい人間です。韓潤らは私の顔も知っています。もし理由を質問してきたらどう答えたらいいですかぁ?(本是平山賤人、韓賊等亦知面目、若問所由、何以答之?)」

 信義を以て交誼を通じるというのに、こんなやり方がよいのでしょうか?(通好当以信、豈可如是?)」


「きちんと王室から人を選んで送るべきです」

仁祖
「必ず王室から人を出すことはない。昔にも臣下に王姓を賜った例はあるが何か?」

 仁祖はかたくなであったが、結局他に人を選ぶことになり、あらためて王族の原昌副令李玖(清史稿では李覚)を「原昌君」という称号を授けて送ることにした。

臣下
「劉将軍、銀700両をお礼として差し上げたいのですが」

劉興祚
「え、ほんと?でも、まだ講和が正式に成立していないから、今は受けとれないわ」

臣下
「そうですか。では、麝香、筆墨、水銀といった物産をお贈りしましょう」

劉興祚
「それはうれしいわね。そうそう、貴国の済州島って良馬の名産地だそうねぇ…200頭ほど欲しいものだわ」

臣下
「(なんと欲張りな)わが国の軍備は精鋭ではないことは、あなたもご存知でしょう。良い軍馬にも縁がなかったから、今日のような敗戦の事態に至っているわけでして。とても無理な話です」

劉興祚
「ぶー」

 講和の成立に向けて事務は進行していったが、空気の読めない人間はいた。

臣下
「崔鳴吉は軍事を専断しており、今回の敗戦に責任があります。臨津を守るべきでないと主張してきたのは崔ですぞ。今また講和を推し進め、狡賢い賊(後金)を信用して、恥ずべき降将(姜弘立ら)を忠節があるとしています。
 王を屈服させて、犬羊のような輩(劉興祚)と直接会わせた醜態の責任は全て崔鳴吉にあります!意気のある者は全て憤懣を持っています。どうか崔を追放して鬱憤を晴らしてください!」

仁祖
「講和は廟堂で諮ってもう決定したんだよ!お前らが崔鳴吉に罪を着せるのは、まったく話がわかってないことだ。さがれ!」

 彼らは何回も訴えたが、仁祖は従わなかった。

申敏一
「どうか、劉興祚を斬って敵陣に送りつけ、ヤツラを諭して内応者を募り、講和のために送る物資を以て将兵をねぎらいましょう!」

臣下
「どうか和議はやめて、賊を討つことに集中してください!」

仁祖
「お前たちの上疏は、志が深く盛んである。今回の講和は敵から要請してきたことだし、しばらくはそれに従うが、敵の勢いを緩める策なんだ」

 上記のやり取りが講和成立の前日のことである。書いててなんだか嫌になってきた。ORZ
 そんな作者の愚痴は置くとして、2月15日、木綿1万5千匹、綿紬200匹、白苧布250匹、虎皮60張、鹿皮40張、倭刀(日本刀)8柄、鞍など馬具をつけた馬1匹が後金軍に送られ(『清史稿』では馬100匹、虎豹皮100張、綿綢苧布400匹、布1万5千匹)、燕尾亭で誓約が行なわれた。

崔鳴吉
「なんとか、現場レベルでの停戦、和議は成立しましたね」

劉興祚
「とりあえず、これで一安心だわ。あとはホンタイジ様に連絡を取って国家レベルで正式な講和条約を結ばなきゃ」

 劉興祚は、ホンタイジへの報告と協議のため、国書と幣物、原昌君を携えていったん帰国の途に就いた。
 まず、原昌君と幣物は、平山に軍を留めている阿敏のもとに送られた。阿敏はさっそく宴会を催した。

阿敏
「俺は、ずっと明や朝鮮の城郭宮殿というやつに憧れていたんだ。せっかくこの朝鮮まで来たんだ、ここに留まって暮らしたいもんだ。杜度、おまえもどうだ?」

杜度
「あんた、何言うとんねん!」

阿敏
「しかし、俺を差し置いて講和が成立したのは腹が立つな!」

 阿敏は八つ当たりのように略奪をした。それを知ったホンタイジは訓示した。

ホンタイジ
「愚か者!これ以後は毛一本たりとも奪うな!」

 さて、例によって宮廷内では、勇ましい意見を唱える者が続出した。

尹煌
「今回の講和は、名前は講和ですがその実体は降伏です。殿下は奸臣に惑わされ、衆議を退け、尊い身分でありながら賤しい蛮族の使者に直接会いました。無礼、侮辱の至りでありますが、殿下は恬然として恥を知らない、これは私の耐えられないところです。
 賊軍はわが国に深く侵入し後続もなく、兵馬は疲れており、勢いは衰えています。今こそ勤王の兵を招集し、江都を守り、焦土作戦を実施して伏兵をもうけ、やつらの遊撃隊を掃討すれば、敵は戦うことも退くこともできず、10日も経たず瓦解するでしょう。
 どうか殿下が、敵の使者を斬って群臣をなだめ、講和を主張して国を誤らせた臣下を斬って邪説を絶ち、潰走した将軍を斬って軍律をただし、敵に送った幣物を取り返して全軍をねぎらえば、人心は奮い立ち、士気は倍増します」

臣下
「今、我が軍は江華島防衛部隊を除くと3、4万あります。これを分けて密かに進ませ、平壌・中和で合流させ、敵の背後を追い、金起宗の軍は敵の前を塞げばよいでしょう。どうか機を失わないでください」

仁祖
「前途を塞いで後ろから追撃するなんていうのは、意味のない大言壮語だ。儒者の意見に惑わされるな」

 そんな勇ましい意見をよそに、地方からは、軍が自壊するという報告が相次いだ。

  2月19日:馬灘防衛軍、守備に就いて7日しか経っていないのに脱走が続いている。
        江原道の兵2千、いっぺんに逃亡した。
    21日:辺潝 率いる軍が谷山に着いた時、500人が逃亡した。首謀者だけを斬って、他の者は許して原隊に復帰させることにした。
        趙の率いる軍の射手、砲手百余人が、いっぺんに逃げ散った。
    22日:漢江、臨津、鄭忠信の各軍の兵糧が尽き、軍消滅の危機という急報。

 21日、原昌君に同行している李弘望から連絡が入った。ホンタイジは国書を見て激怒したという。

ホンタイジ
「我は明の属国ではないぞ。どうして明の年号である『天啓』を使うのだ。最初劉興祚は、明と絶交、年号を改め、人質を受けとった後に誓約をするとしたが、これはどういうことだ!劉は賄賂をもらっているため我の命令に従わない。これは罪だ」

女真人
「他の者を遣わしたいと考えてはるようですが、劉に最後までやらせてその罪の償いとしてはどうでしょうか」

ホンタイジ
「ふむ。よかろう」

劉興祚
「は、ははぁー。必ずやきちんと講和を成立させて罪の償いとします!…ったく、朝鮮の石頭!『天啓』と『天聡』、たった一字を替えれば済む話なのに。それに年号を書かずともかまわない文書形式もあるでしょう。柔軟に考えろっての」

 尻を叩かれた劉は、国書を携えて急いで江華島に戻った。

仁祖
「やはり、問題は『天啓』の年号だ。どうしたものか」

呉允謙
「これは金・絹織物や土地といった物質の問題ではなく、人としての大切な道(綱常)を破壊する話ですぞ。天啓を廃して天聡を使え、という言には決して従うことはできません」

金瑬 [流の下に玉]
「そのとおりです。しかし、劉が送ってきた書状には、天聡、天啓という年号を用いておりません。私たちもこの文書の形式を使えば、綱常を破壊することにはならないでしょう」

李貴
「年号を書かないといっても、天朝に背いたことにはなりませんね」

仁祖
「お前たちの言うとおりだな。その文書形式を使おう。大義のあるところ国が滅んだとしてもこんな言に従うことはできないのだが、今、こういう形式があるのだから、強く争うこともあるまい。国家存亡のときだしな」

 劉興祚が送ってきていた文書形式にならって、年号を記載しない文書形式を使用する、という抜け道を採用することが決定し、23日、国書はさっそくホンタイジに送られた。

ホンタイジ
「ま、落としどころとしてはこんなもんだな。よし、次は講和の儀式だ。少々脅し気味でいいから文章を起草しろ」

女真人
「はっ。強気な文言でびびらしたります。
講和は両国の念願やが、誓約も無しにどないして誠意を信じろっちゅーねや、ああン?ワレが意固地に誓いを渋っとるんは、口では講和を言いながら、ほんまは講和なんかしたぁないっちゅーことちゃうんけ?
 ほんならやぁ、近いうちに軍備を整備して兵隊鍛えて、勝負して決着つけへんけ?そのつもりやったら、今うちに来とるワガの弟、すぐに帰したるさかい、大臣と決戦の日時を約束して、きっちり勝敗のカタつけてから約定を結んだかて、遅ぉはないしぃー。もしワレが講和を結ぶ気ぃやったら、ちゃっちゃと誓約を結ばんかいや!両国が戦いをやめるんは民衆の幸福やしぃ。そこんとこ、しっかり考えたれや

こんなもんでどうでしょう?」

ホンタイジ
「……まあ、よいだろう。よし、それを送れ」

ドルゴン
「さすがに和泉弁交じりというのは問題かと思うので、いちおう、原文も紹介しておくぞ」

 ホンタイジの国書(胡書)
金国二王子、致書于朝鮮国王麾下。和好両国之願、無盟誓、何以信其誠。今貴国王慳滞不誓、是言和而意不欲和也。豈不知近日兵器有備、士卒有錬、欲一戦以較勝負。若然、大丈夫事也。即還令弟、与大臣敢約日合戦、或勝或負、再定盟約、不為遅也。倘 貴国王、意欲直和、請速為盟誓。両国罷兵、生民之幸也、乞尊裁之。

 29日、劉興祚が燕尾亭に到着し、講和儀式の内容、式次第についての協議が始まった。

劉興祚
「明が蒙古と講和した時は白馬・黒牛を殺して天地を祭ったわ。金との講和の時もそうだったわね。どうする?」

臣下
「わが国では聞いたことがないですね。我が国人は父母を亡くせば三年の喪に服します。殺生も絶ちます。しかも、実は今、国王はその喪中なのですよ」

劉興祚
「ふーん。だけど儀式に犠牲は必要よね。これはもっと協議しましょ」

 朝鮮と劉は、事務レベルの協議折衝を重ね、3月3日、誓約の儀式がおこなわれ、正式な講和が成立した。

仁祖
「朝鮮国王は後金と誓いをたてる。両国の講和は成立し、今後我々はこの誓約を遵守して、国境を守り細かいことで争わないようにしよう」

 仁祖の宣誓文を李明漢が朗読し、さらに、朝鮮と後金の大臣らが誓いを交わした。なお、先日協議の対象になった白馬・黒牛は犠牲として会盟の席に供えられた。
 これによって、朝鮮と後金の講和は正式に成立した。後金を兄、朝鮮を弟とする関係が結ばれ、国境付近に朝鮮人参の交易市場の設置が決定された。
 この戦役を朝鮮では「丁卯胡乱」という。

ホンタイジ
「とりあえずは成功だな。これで明を討つことに集中できる」

 

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