三田渡への道 6

The Show Must Go On



 第4回の最後でも触れたとおり、1637年3月8日、講和の約定にしたがって、昭顕世子夫妻・鳳林大君夫妻は人質として清の首都盛京(瀋陽)に連れて行かれることになった。
 なお、「昭顕」は、「仁祖」「英祖」などと同じく死後に定められた諡であり、生前にそう呼ばれていたわけではないが、本コンテンツでは便宜上、生前の段階から「昭顕世子」と呼ぶことにする。

ドルゴン
「では、そろそろ行きましょうか」

仁祖
・紂体に気をつけてな」

昭顕世子
「では父上、行ってまいります……って、どうして私があんたの息子役なのよ!(台本を丸めて士郎に突きつける)」

仁祖
「君の出番を光海君だけで終わらせるのはもったいないからだってさ」

昭顕世子
「まぁ、それはいいんだけど……私の妻役がなんでこいつなのよ!(丸めた台本で大阪をどつく)」

姜氏
「いたいいたい。えー、あかんのん?ほんならやー、ニーソつながりで桃瀬くるみちゃんのほうがよかったんかなー?」

昭顕世子
「…あいつだけは嫌。なんだか私の地味な一面を体現していそうだし」

鳳林大君
「これはまた微妙で地味な中の人つながりネタだな…では、兄上、行きましょう」

昭顕世子
「はいはい」

 ドルゴン率いる最後尾の軍は、人質として、昭顕世子夫妻・大君夫妻に加えて三公(領議政・右議政・左議政)六卿(議政府を構成する吏曹・戸曹・礼曹・兵曹・刑曹・工曹の六曹の長官)の子弟を連れて瀋陽に入った。
 昭顕世子の瀋陽滞在中の記録である『瀋陽日記』を読むと、道中、同じ場所に数日間留まるなど、その足どりはかなりゆっくりしたものであり、瀋陽に到着したのは3月10日のことであった。

馬福塔
「さて、私たちは皮島を攻略するわよ。先日の約定どおり朝鮮も軍船を出しなさい」

林慶業
「は、はい。では私が引率して出征します」

 馬福塔とホンタイジの弟阿済格(八王)は、70隻の軍船と朝鮮の軍船4隻を合わせて、鴨緑江河口の明軍の拠点である皮島に向かった。

馬福塔
「正面から襲うのは得策じゃないわね」

阿済格
「気づかれへんように、あの西側の山を越えて、手薄な場所から上陸作戦をしよか。馬福塔、頼むわ」

馬福塔
「先日、ドルゴン様が江華島を奇襲したのと同じことね。ちょうど霧も出ていることだし、奇襲にはもってこいよ。任せて」

林慶業
「(なるほど!船を車で運んで山を越えて、海に浮かべるんですね)」

 4月14日、馬福塔の率いる清軍は、無警戒な皮島の西側から渡海上陸作戦を敢行し、明軍に奇襲をしかけた。明軍も勇戦したものの、最後には壊滅した。

清将
「敵将沈世魁を捕らえました」

沈世魁
「くっ、早く殺せ!」

馬福塔
「けっこうてこずらせてくれたわね。斬りなさい。それと奪った物資はいったん私のもとに集めなさい。まず我が軍の戦死者の遺族に分配するわ。その次に今回の戦功者に分配するわね」

 明の司令官沈世魁と部将金日観は斬られ、かつて毛文龍が拠っていた要衝皮島はついに清軍の手に落ちた。

南斗瞻
「…以上、私の見た戦況でございます」

仁祖
「そうか。しかし我が兵は、最初は戦闘に参加していないにもかかわらず、最後には略奪を行なったではないか。どういうことだ?」

南斗瞻
「最初、我が兵は船から下りませんでした。しかし、清将がしきりに下船を勧めるので、余計な疑いを与えないため下船して戦闘と略奪に参加したのです」

 なお、朝鮮の『続雑録』という書物によれば、この戦いのさい皮島の明人は、

明人
「お前らは私たちに何の怨みがあると言うのだ?!どうして明に背いて賊に従うのだ!」

 と罵ったが、朝鮮兵は「恬然」つまり動じず平気で殺戮したとある。



方島中殺戮時。漢人呼罵曰 天朝於朝鮮。有何讎怨。而背漢。従賊。恬然殺戮。至此惨耶。京外聞之者。莫不堕涙。

 さらに『丙子録』では、このとき朝鮮軍の略奪の酷さは清軍をも上回っていたと記している……OTZ



及其入島也、我国之軍、殺掠漢人有甚于虜賊、


参考スレ:■暇つぶし4  ▲勇猛!朝鮮軍

林慶業
「しかし、清軍は我が兵の砲手(鳥銃兵)を高く評価しているようです」

仁祖
「…ふむ。だが、そのために今後も出兵を要求されてはかなわんぞ。とりあえず清に謝恩使を送って、捕虜の返還をも要求しつつ、今後の動静を探るか」

 こうして5月、李聖求が謝恩使に任命されて瀋陽に向かった。

 一方、閏4月15日、山東半島に設置された明の行政区画登州の都督である陳弘範が、清に対する面従腹背を勧め清討伐を誓おうとする書状を送ってきており、どう対応するかについての協議が6月13日に行なわれた。

仁祖
「陳都督は我が水軍の応援を望んでいるようだ。人を遣わして、それができないという事情を書いた書状を平安道観察使に送り、明人が来た時にこっそり伝えさせるようにしよう」

金瑬 [流の下に玉]
「もし清にばれたらどうするんです?」

崔鳴吉
「たしかに文書ではいろいろ面倒なことが起こりそうですね。人を遣って口伝てに説明させてはどうでしょう」

仁祖
「口伝てでは必ず伝言ゲーム的な間違いが起こるぞ。速やかに返書を作って送れ」

 仁祖のこの決定によって崔鳴吉が起草し陳弘範宛に送った文書が崔の文集『遅川集』に「移陳都督咨』として収録されている。その内容は丙子胡乱の勃発から降服に至る戦況説明(さすがに三田渡の三跪九叩頭と盟約は書いていない)と、国土の荒廃について記述されている。
 無論、現実としては清に降服し抑え込まれたために陳都督の要求する援軍を出せないのであるが、それをあからさまに書けないため、国土の荒廃と苦境を誇張して訴え「我が国の窮状をお察しくださいませ」という、ぶっちゃけた話、言い訳の文書である。
 その中に丙子胡乱で捕虜となり瀋陽に連行された朝鮮人は約50余万人(被俘人口無慮五十余万)という記述があるが、今述べたこの文書の性質上、事実としてとらえることは妥当ではないことに留意すべき旨を特に書いておく。



 7月、謝恩使の李聖求がようやく帰国復命した。

李聖求
「殿下、もうしわけありませんが、捕虜の返還は拒否されました」

仁祖
「では、やつらの動静はどうだった?新たな出征はあるのか?その場合は出兵を要求してくるだろうからな」

 丙子胡乱の際の講和条約で、
朝鮮は清の出征に対して援軍を送るべし、と定められていたのである。

李聖求
「いろいろ探ってみたのですが、今月に出征があると言う者もいれば、今年はもう軍事行動の予定はないと言う者もいまして、なんせ軍の重要機密ですので、軍内でも知る人はいないようなのです」

仁祖
「そうか。呉達済たちはかわいそうだった。周りの者たちには、なんとか救う手立てはなかったのか?」

李聖求
「それが、このような次第でして、ついに殺されてしまったのです。それに、先ほどの戦役での死者は、将官300人・兵卒7000人にもなりました。彼らの遺族妻子はみんな斥和を主導した者を仇と憎んで日夜訴えております。もし清に許されたところで、最終的には死を免れなかったでしょう」

仁祖
「…生還できていても、遺族たちの処断要求の前には死刑を免れなかっただろうということだな…」

李聖求
「はい。西門の外で殺されたと聞きましたので、死骸を捜索したのですが見つけられませんでした。仕方がないので、そのあたりで弔いをいたしました」

仁祖
「ご苦労だった。義を以て野蛮人に降らず、死んでも屈服しなかったことは、わが国の栄光だ。彼らの遺族に恩給を与えよ」

崔鳴吉
「私が行ってみて、出兵の件を探りつつ、世子返還についても打診してみます。もし、出兵を切り出された場合、絶対に断るべきですが、明への義理という道理筋道を以て論じれば、必ず怒らせることになります。わが国が疲弊しており出兵が困難であることを説明して猶予をもらうしかないでしょう」

仁祖
「いや、このことは義理を以て争わなければならない。どうか心にうらみを残さず、後世にこの度の言辞を残したいものだ。
 あと、口だけで訴えれば、向こうが言葉を濁して逃げた場合、何も残らずどうしようもない。文書で訴えれば諾否にかかわらず文書で回答してくるから、継続して対処しようがある。必ず文書をも使って交渉するのだぞ」

崔鳴吉
「(明への義理がどうとか持ち出せば、絶対話がこじれます。義理ではなく国情を理由にするよう独断で文書をつくって訴えるしかないわね)」

 崔鳴吉は瀋陽に向かい、仁祖の言いつけに背いて、独断で疲弊している国情を理由に出兵を猶予するよう要請する文書をつくった。

ドルゴン
「陛下、石城島の明将高継能が降伏してきました」

ホンタイジ
「そうか。そうだ!先の朝鮮・皮島戦役での戦勝を、錦州の祖大寿に送って恫喝してやれ」

英俄爾岱
「はっ。それと朝鮮から崔鳴吉が参りました」

ホンタイジ
「ふむ。出兵の猶予か。まぁいいだろう。そういえば、李倧 を正式に属国朝鮮の国王として封じなきゃならんのだな。英俄爾岱・馬福塔・鄭命寿、お前たちを冊封の使者として派遣する」

 英俄爾岱・馬福塔・鄭命寿は、11月20日に漢城に到着し、仁祖に勅書・国璽・冊書を与えて正式に朝鮮国王に封じた。ここです
 22日、宴席で清使は懸案について切り出した。

英俄爾岱
「朝鮮に逃げ込んだ諸族、朝鮮に入った明人を捕まえて当方に送還せよ」

馬福塔
「あと、こないだの戦役の捕虜で脱走して勝手に朝鮮に逃げ帰った連中も送還するのよ」

仁祖
「はい」

鄭命寿
「そうそう、こないだの講和で決定した、そっちの大臣の娘たちをうちの大臣の息子たちに嫁がせる件についても話を進めないとね」

仁祖
「はい。それでは諸大臣の子女の婚姻の件と侍女を送る件について、早く決定して行なうのだ」

廷臣
「はっ。侍女につきましては、村々から選抜して各道1人ずつで合計8人、婚姻につきましては大臣たちの庶子や、その家臣の子供を養女というかたちにして合計5人、これでどうでしょう?」

仁祖
「うむ、よろしい」

 結局、6人の女性が選ばれ、瀋陽に名簿が送られた。右議政申景任肋腹の孫娘(7歳)を養女とし、工曹判書李時白は養女(7歳)、前の判書李溟は、妾腹の娘(7歳)、前の僉知李厚根は妾腹の娘(12歳)、前の判書沈器遠は妾腹の娘(10歳)を「娘」として選出した。また、最初は王室の女性も選ばれていたが、仁祖はそれを平安兵使李時英の妾腹の娘と交代させた。
 また、侍女のほうは合計10人が選ばれ、礼儀作法の教育がはじめられることになった。

洪瑞鳳
「殿下、瀋陽に派遣した使者が、身代金を払って返還された780人を伴って帰国しました」

仁祖
「ん?正使の崔鳴吉はどうした?」

洪瑞鳳
「病を患ったため、瀋陽に留まって治療中とのことです。なお世子返還についてはダメでしたが、出兵の件はしばらく猶予してもらうことに成功したとのことです」

仁祖
「そうか。医者と薬を送って見舞ってやれ。出兵猶予の件については謝恩使を送れ」

 年は明けて1638年(崇徳3年・仁祖16年)1月1日、新年を迎える儀式において、仁祖は西の方角、つまり明に向かって泣いて拝礼(哭拝)を行った。明を皇帝とした礼儀である。また、このときから外交文書には清の年号を使い、祭祀での祭文など内部だけの文書には明の年号を用いることにした。(上於宮庭設位、西向中原哭拝、為皇明也。是時、内外文書、多用清国年号、而祭享祝辞、仍用大明年号
 また、積極的に軍備をととのえるようになり、手始めに、丙子胡乱の際に使用した南漢山城の整備と補修を図った。

仁祖
「南漢山城の兵糧貯蔵量を増やせ。防御のさいの兵器として大砲にまさるものはないのだが、前回、南漢山城に備えていなかったのは大失敗だったな」

沈悦
「兵糧は、氷が解けるのを待って京畿道の倉庫から移送し、また、島々の村に税をかけて調達します」

李時白
「大砲を鋳造したいのですが、鉄・銅が不足しており、いまだに装備できません」

仁祖
「そうか。江都(江華島)の海岸沿いに木柵を設置する件だが、海岸線は広いぞ。どう設置すればよい?」

李時白
「要害だけに設置すればよいでしょう」

沈悦
「木の柵は腐りやすいです。土塁を築いてはどうでしょう」

李景奭
「いえ、水中に設置した木の柵は腐りにくいです。光海君の時代に設置した木柵が今でも健在ですし」

仁祖
「南漢山城の修築については李時白に一任する。最低でも2万の兵が籠もれるようにしろ」

李時白
「し、しかし、先日の約定で山城の築造は禁止事項となっています。もしこれを抗議されたらどうしましょう。まず清に訊いて、その回答を得てから工事を始めてはどうでしょうか?」

仁祖
「許さない、と言われたらどうするのだ?」

申得淵
「盗賊に備えて工事するのですと言えば許すでしょう」

申景
「ちょうど、私が謝恩使として瀋陽に行くところですので、協議してきましょう」

仁祖
「最近、瀋陽からの報告によると、通訳の金乭 屎が「朝鮮が清に攻撃されたとき日本は援軍を出す」とか言ったそうだ。ヤツが誰からそんないい加減な話を聞き込んだのかは知らないが、ともかくも、わが国が日本の動静に対して敏感であるという程度のことは向こうも知っているだろう。それを改修の理由にすれば疑うまい」

 ここに出てきた「金乭 屎」という人物は、鄭命寿と同じく朝鮮人の通訳である。朝鮮では、男性の命名時に、五行(木・火・土・金・水)の要素を含む字を世代ごとの共通字として順番につけてゆく「行列字(항렬차)」「まわる文字(돌림차)」というルールがあるのだが、『ソウル城下に漢江は流れる 朝鮮風俗史夜話』(林鐘国 平凡社)によると、「乭 (돌:トル)」という字は、このルール内では使用されない字であり、奴隷のような賤しい身分につけられる名前・字であるという。東亜百年玉編という韓国の漢字字典には「石+乙」で合成された字(「久+米」で粂、「麻+呂」で麿と同じですね)であり、人名以外に使われることはない、と書かれている。
 現在、韓国の歴史編纂委員会によってWEB上で公開されている『朝鮮王朝実録』では、一ヶ所をのぞいて「金石乙屎」と表記されているが、『瀋陽日記』などと照らし合わせると誤記であることがわかる。

申景
「わかりました。それと、私が聞いたところでは、瀋陽に使者が行くさい、身代金を持って捕虜の返還に行くと称してついてゆく者は、じつは商人であり、帰ってくるときに返還された捕虜に馬を売りつける者が多いそうです」

仁祖
「けしからん!厳しく取り締まれ」

 1月18日、申景任瀋陽に向かった。一方、病気療養のため瀋陽に留まっていた崔鳴吉は2月10日にようやく帰国した。

仁祖
「病気になったと聞いて心配したぞ。出兵猶予の件についてはよくやってくれた。独断で文書をあらためた件については仕方あるまい」

崔鳴吉
「あ、ありがとうございます。しかし、どうやら出兵要請の件は我々を試す意図で持ちかけてきたようにも思えました」

仁祖
「なるほど。で、卿はやつらの動静をどう見た?」

崔鳴吉
「どうも安定しているようには思えませんが、紀律と法令が厳しいためどうにか維持しているように見えました。聞くところによると、ホンタイジの嫡男ホーゲのできは余りよくなく、ホンタイジは別のものを跡継ぎにしようとしているとか。昔から、国家の根本がまだ定まってないときには乱を起こす者が出ると相場が決まっております」

仁祖
「たしかにそうだな。王の後嗣がボンクラで、要職にある臣下が才能・覇気がある場合、混乱が起こるかもしれない。ところで、去年から風聞が飛んでおり、みんな「日本が攻めてくる」と思っているようなのだが、実情はどうだ?」

崔鳴吉
「日本の使者が来た様子を見たのですが、何かあるのかもしれません。これに備えて南漢山城を修築しましょう。もし清がこれを知っても詰問はしますまい。
 それと、毎年の貢納(歳幣)の物品量を減らせるような感触があったのですが、秋信使を送るときに一度請願してはどうでしょう」

仁祖
「約定だと、去年と今年の分は免除されており、来年から貢納することになっていたな。今の時点で減免の話を言い出せば怒ってくるんじゃないか?一回貢納した後に話を切り出そう」

 南漢山城の修築には人夫だけでなく僧も動員された。なお、仏教は高麗時代に国教とされ、寺院は広大な田地と多くの奴婢を所有したうえ、諸税・諸役を免除されるなど厚遇されていた反動もあって、李朝では弾圧され、僧は「僧軍」として労役を課せられる存在になっていたのである。漢城都城への入城も禁じられていたことは、イザベラ・バード『朝鮮紀行』でも記述されている。

 また、密陽府使李必達・蔚山府使李後天・清道郡守李更生らは精兵を揃え多くの砲や弓箭を集めていたことを賞され、李必達には馬一匹、李後天・李生には衣服一襲が与えられた。

仁祖
「鳥銃の訓練だが、誰か試射を志願するものはおらんのか?」

李時白
「私がいたします」

申得淵
「おおっ、みごとな腕前ですね。射撃を賤しい技術といって嫌う者が多いですが、李どのが試射したことで、賤技ではないと示せたと言っていいでしょう」

仁祖
「うむ。よいことだ。位が低い者ですら射撃を賤技として忌避していたが、卿が自ら試射を志願したことを以て、士卒への激励としよう。李時白に馬を与えよ」

李時白
「もったいないお言葉です。ありがとうございます。
 ところで、わが国の兵制では、兵使・水使は2年周期で異動させております。これでは将帥としての責任感を持って従事できないでしょう。任期を長くして功績があれば昇給させるというのはどうでしょう?」

 正直に言うと「仁祖実録」でここのくだりを読んだとき、「2年周期の異動って、日本の公務員かよ!」と突っ込んでしまいました。人事異動の記事が頻出しているわけだ。納得。

仁祖
「備辺司と協議せよ」

 備辺司とは、本来、戦時に軍事・外交・内政あらゆる国政をつかさどる臨時機関であったが、壬辰倭乱以降はほぼ常設の国政機関となっていた。

李時白
「南漢山城の修築ですが、新たに砲台を設置いたします」

仁祖
「うむ。よろしい」

 こういった軍備だけでなく、仁祖は内政を立て直すため、この年以降、弾劾権を持った隠密である「暗行御史アメンオサ」をしきりに各地に派遣して、地方官の施政を探索させ、悪政をする者を罷免した。

 瀋陽に到着した謝恩使の申景任蓮⊂叱伽せ劼里發箸鯔れた。

昭顕世子
「ご苦労さま。鍼を打つ時間なんで中座するわね」

姜氏
「申さんごめんなー。ウチの人ちょっと眼ぇの具合悪いから鍼打ってんねん。ほんであと風邪気味やねん」

申景
「そうなんですか。お大事にしてくださいませ。では私は英俄爾岱・馬福塔に会ってきます」

英俄爾岱
「おっ、一体何の用だ?」

申景
「はい。冊封と出兵猶予の件について謝意を表すために参上しました」

馬福塔
「それはご苦労さんね。最前線の義州への出兵の件なんだけど、今のところはとりあえず猶予するってことで、この先はどうなるかはわからないわよ。先日の約定で出兵自体は義務として約束されていることは忘れないでね」

 ここでいう義州は、朝鮮半島平安道、鴨緑江沿いの義州ではなく、遼東の義州である。ここは明将祖大寿の守る錦州に最も近い要衝であり、文字通り最前線であった。

英俄爾岱
「ああ。要求する兵数も5千に減らしたし、いちおう出兵の一時停止ってことだからな…ところで前に言っていた侍女は連れてこなかったのか?」

申景
「そうですか…あ、侍女のほうですが、今礼儀作法を教えこんでいる最中なのです。教育が終わってから出発させるのですよ。
 それとですね、日本の侵攻に備えて南漢山城を修築したいんですが…」

馬福塔
「えっ!なんですって」

英俄爾岱
「おいおい、本気か?」

申景
「え?いえ、その…(まずいこと言っちゃったカモ)」

 これまでたびたび触れてきたが、清の捕虜となっていた人々を身代金を払って返還してもらっていたが、その人々について問題が持ち上がった。
 前の承旨である韓履謙の娘は、清軍に捕らわれた後、身代金を払って返還されたのだが、その婿が離縁を望んで訴えを起こしたのである。捕虜となったことで貞操を失ったとされたのであるが、実際に貞節を失ったかという事実の有無が問題ではなく、捕虜になった時点で貞節を失ったこととイコールになってしまうという、非常に厳しい解釈であった。

刑曹 役人
「良家の婦女で捕虜になり返還された者は多い。事情をよく斟酌しなくてはならない。これは重大な話なので、うちだけでは判断できないわ。大臣がたに協議をお願いします」

崔鳴吉
「壬辰倭乱の後にもこのようなことがあったそうですが、ある王族が離婚をしようとしたのを宣祖はお許しになりませんでした。またある廷臣が妻を実家に送還して他の女と再婚したのですが、宣祖は後妻を妾の待遇として、前妻が死ぬまで正妻扱いさせませんでした。このほかにもこういう例は多かったようです。
 私が瀋陽に行ったさい、返還された婦女を多く連れ帰りましたが、彼女たちとその夫は再会したとき泣いて抱き合い、それを見て泣かない者はいませんでした。もし、離縁されるというのであれば、返還を願う者はいなくなり、多くの婦女が異郷で死ぬことでしょう。
 清人の誘惑をはねつけて返還されたものの、帰国途中で断食して死んだ女性や、交渉成立後に清人が違約して返還額をさらに吊り上げたため返還されず、ついに自刃した処女の話も聞きました。もし、彼女たちが無事帰国していれば自殺することはなかったでしょうか?貞節を守れていたとしても誰が証明できるのでしょう?宣祖のご処置を鑑みますに、戦乱という非常時のことを以て貞節がどうとか論じるべきではありません」

仁祖
「なるほど」

 しかし、この後、捕虜になった夫人をもつ両班の家では、みな離縁し、復縁したものはなかったという。(然是後、士夫家子弟皆改娶、無復合者。 『仁祖実録』仁祖16年3月11日条
 また、この日の条には、「史臣曰」として、「捕虜の身になった女性は、本心はどうあっても変事に臨んで自決できなかったことで貞節を失ったというべきだ。それを復縁させるというのは士大夫の家風を汚すものである。崔鳴吉がみだりに宣祖の故事を引いて発言したことは誤りである。(中略)100年の国俗を破壊し、朝鮮を野蛮にしたのは崔鳴吉である。なんと痛ましいことか!」とつけ加えられている。

忠臣不事二君、烈女不更二夫、此節義之所以有関於人国家、而棟梁乎宇宙者也。被擄 之女、雖曰非其本心、臨変而不能死、則其可謂之不失其節哉?既失其節、則与夫家、義已絶、決不可勒令復合、以汚士大夫之家風也。崔鳴吉既以執拗之見、妄引先朝之事、其於献議之辞、備陳難絶之意、甚矣、鳴吉之誤也!当時伝教、不載国乗之中、已無可拠。設有是教、亦非可法之規、則其可諉 以先朝之所行者、而復行於今日乎?先正有言曰「以失節者配、是已失節也」復取失節之婦、事父母而奉宗祀、生子孫而継家世、寧有是理?噫!壊百年之国俗、挙三韓而夷之者鳴吉也、可勝痛哉?

仁祖
「先に命じた南漢山城への兵糧移送はどうだ?」

沈悦
「はい。順調に進んでいます。しかし、他の廷臣たちは江都(江華島)のほうも大切だと言っております。江都の軍備を第二にするのは国家の大計ではないとおもいますが?」

李時白
「そうです。江都を捨てればどこに安全な土地がありましょうか?山城は一時籠城するところですが、決して長く籠城するところではないです」

仁祖
「いや、そうではないぞ。江都は清軍を防ぐのにはいいが、日本軍を防げまい」

 どうやら、仁祖は、日本軍は山城に籠って防ぎ、清軍は江華島に拠って防ぐという方針であったようである。
 4月17日、義州府尹の林慶業から報告が来た。

林慶業
「先ほど、明の陳都督の使者を乗せた船がやってきました。殿下あての文書には『今、朝鮮は沿岸部に兵を置いて明船を臨検している。これは我らとの交わりを永久に断絶する意志ととっていいのだな』とあり、脅迫や勧誘の意を含んでいましたので、面倒なことになるかと思い受けとりませんでした」

 陳都督は先ほども出てきた明の登州都督陳弘範である。

備辺司 役人
「書状を受け取れば面倒なことになります。明使に、今後は来ないようにお願いして引き取ってもらい、今回のことを清に報告すればよいでしょう」

林慶業
「また、かの使者は、私あての文書ももっており『そなたたちは天朝に対して父子の義があるだろう。日本に要請した援軍ももうすぐやってくるぞ』と言って、地面に潞 州紬2反を置いて帰りました。もとより、漢人の言葉にはウソが多いので信用もできないのですが、事態がややこしくならないよう、指示をお願いします」

漢人というのは「中国人」という程度の意味ととらえた方がよい。

備辺司 役人
「林自身は書状を受け取りましたので、返答しないわけにはいきますまい。返礼の使者を密かに派遣して礼物の謝意を示し、我々の苦衷を訴え、明に援軍を出せないわけも説明すれば、陳都督への慰めになるかと思います」

仁祖
「今、清が明を攻めているため、その背後を牽制しようとして、陳都督はこのような手を打ってきたのであろう。密かに使者を送れ」

 5月11日、謝恩使の申景任蕕帰国してきた。

仁祖
「とりあえず猶予はされたが、ヤツらはまた出兵を求めてくるだろうか?」

申景
「はい。戦闘そのものの助勢ではなく、出兵させることで、我らすら完全に敵になったと明にアピールするのが狙いではないかと思います」

崔鳴吉
「使者を遣わして請願すれば、ひょっとしたら出兵の件を完全に逃れることができるかもしれません」

仁祖
「なるほど。洪靌 を派遣して請願してみよう」

 仁祖をはじめとして廷臣たちは、出兵の件に対して清がどう対応するかについて楽観的な観察・見通しを持っていた。仁祖は洪靌 を陳奏使として瀋陽に派遣し、出兵そのものの廃止について打診させた。その瀋陽では、あいかわらず昭顕世子は病気気味であった。

英俄爾岱
「おーい、世子どの、病気の具合はどうだ?」

馬福塔
「お見舞いに来たわよ」

姜氏
「英俄爾岱さんと馬福塔さんが医者を連れてお見舞いにきたでー」

昭顕世子
「ふーん。どうせお見舞いは口実よ。出兵の件で本国がどういうつもりなのかを探りに来たのよ。とりあえず通して」

馬福塔
「思ったより顔色がいいじゃないの。安心したわ」

英俄爾岱
「ところで、さっき朝鮮から洪靌 とかいうヤツが使者として来たんだけど何アレ?出兵そのものを勘弁してほしいって?そんな寝言通じると思っているのか?」

昭顕世子
「(やっぱりね)」

馬福塔
「それに侍女を送るのはまだなの?」

昭顕世子
「出兵の件についてはどういう経過があったのか、私にはわからないわ。侍女のほうは教育が終わってもうすぐ出発するって聞いたわ」

英俄爾岱
「ふむ…今日はお見舞いに来ただけだし、あまりこみいった話はしたくなかったんだが、朝鮮の態度が気になったもんだから訊いてみたんだ。陛下も機嫌をそこねられているようだぞ。気をつけたほうがいいかもな」

馬福塔
「じゃ、帰るわ。お大事にね」

鳳林大君
「兄上、なにやら雲行きが怪しいようですね」

昭顕世子
「そうね。どうやら本国の持っている危機感は甘いのかもしれないわ。これからは、この館が本国と清の外交の舞台になると覚悟しなきゃいけないわね。あなたたちも気を引き締めるのよ」

鳳林大君
「は、はい」

姜氏
「なんか知らんけど、わかったー」

昭顕世子
「…朴 、急いで本国にこの情勢を伝えて。出兵の件はそっちが思っているより厳しいって、しっかり伝えるのよ!」


「はい。了解しました」

 昭顕世子の命を受けた朴 は急いで漢城に飛んだ。

李景奭
「殿下、陳奏使の洪靌 が戻ってきました。清帝の文書をもって帰ってきたようです。それと世子さまが朴 を派遣してきました」

仁祖
「うむ。まず朴 を引見して事情を聞こう」


「殿下、出兵の件についてはかなり厳しいと言わざるを得ません。出兵の完全廃止どころか、期限を遅らせるようなマネも通じそうにありません。それと侍女10人を送る件は速やかに行なうべきです」

仁祖
「そ、そんなに切迫しているのか?…侍女はすぐに瀋陽へ送れ。で、清帝の手紙はと…」

ホンタイジ
「お前が降伏したときの約定に『もし我が明を攻める場合は、歩兵・騎兵・水軍数万をそろえて、期限・集合場所を定めて、間違うことなかれ』とあったよな。先日崔鳴吉が来た時に、国力の弱体化を訴え出兵に一時猶予をほしいと請願してきたが、出兵そのものの廃止を請願するという文言はどこにあった?我は民の困窮を考慮して、要求する兵数を5千に減らして、出兵期限の猶予も認めてやった。お前たちは我をごまかすつもりか?前回刃向かった罪を許してやってから、たった2年で我の恩義を忘れるのか?ふざけるな!」

仁祖
「な、なんと?!」

廷臣
「出兵の件はもはや逃れられそうにありません。平安道から4千、黄海道から1千の兵を集めて編制しましょう」


「清は、もし出兵が遅れれば世子を従軍させるつもりだと聞いております」

仁祖
「そうか…とりあえず、林慶業の罪を許して援兵の将に起用せよ…それと、陳都督に密かに使者を送れ。今回の事態を釈明しておくのだ」

 林は、この6月に瀋陽に人を送って密貿易を行なったことが発覚して、処分待ちの状態であったのである。8月14日、林の起用が決定された。一方、教育を終えた侍女10人は、7月8日に瀋陽に向けて送られていた。

林慶業
「罪をつぐなうためにも、そして清人の怒りを解くためにもがんばります」

 林は兵3百人を率いて先発した。また、仁祖は、ひそかに明の陳都督に使者を遣わして、やむなく出兵に到った旨を釈明させた。
 9月、林は遼東半島の鳳凰城に着き、馬福塔に会った。

馬福塔
「ご苦労さん、と言いたいところだけど、あんたたち、今は要らないから帰って。誰が出兵の中止を言い出したのか、そのうち糾問使が調査に行くでしょうね」

林慶業
「そ、そんな…」

馬福塔
「…ま、せっかく来てくれたことだし、居てもらってもいいか。今回は錦州近辺を攻略する予定よ。そうそう、世子のかわりに鳳林大君に従軍してもらったからね」

 清軍は、ホンタイジ自ら義州に出征し、朝鮮の援兵を合わせて、錦州近辺の石家堡・戚家堡・李雲屯・柏士屯・郭家堡・開州・井家堡といった城邑を攻め落として、12月に撤兵した。

鳳林大君
「兄上、ただいま帰りました」

昭顕世子
「ご苦労だったわね。これから明との戦いがますます激しくなれば、あなたも私も従軍させられることでしょうね。それより、本国がスムーズに要求どおり出兵するかどうかが気がかりだわ…」

姜氏
「馬さん、英さん、鄭さんが来たでー」

馬福塔
「お邪魔するわね。たしか、世子を正式に朝鮮国王の後継ぎとして冊封するよう要請して来てなかったわね。申請の使者が来たらすぐにでも冊封の手続きは進められるんだけど」

英俄爾岱
「そういやそうだな。早くやっておかないと面倒なことになるかもな」

鄭命寿
「皇帝陛下が出征される前に済ませておいたほうがベターよ」

昭顕世子
「そうね。父上が朝鮮国王として冊封を受けただけで、私のほうはまだだったわね。朴 ・申得淵、本国に報告しておいて」

朴
「はい。さっそく報告文書を作成します」

申得淵
「では、伝令を飛ばして送ります」

 12月12日、申徳淵・朴 からの報告が漢城に届けられた。年が明けて1639年1月、仁祖は去年の元旦と同じくまた明を皇帝として拝礼する儀式を行なった。

仁祖
「まことの皇帝は明しかない。このことは常に胸に刻んでおかねば。世子冊封の件だが、奏請使を派遣しろ」

 2月に入って、昭顕世子の世子冊封と、仁祖の早世した正妃(韓氏)にかわって趙氏を王妃に冊封することを要請する使者が送られた。
 そのころ、瀋陽では事件が起こっていた。


「世子さま、たいへんです!刑部の役人がやってきました」

清 刑部役人
「ちょっと事情を訊きたいんやけど。実は、沈天老っていう朝鮮人がウチに来て『鄭命寿と金乭 屎は朝鮮から銀2600両などを賄賂として受け取りました。また鄭らは、朝鮮国王が皇帝陛下に献上した梨・柿それぞれ1千個をくすねました』って告発したのよ。ほんまかしら?陛下は収賄について厳しく禁じたはるよって、調べなあかんのよ」

 1月21日、沈天老という朝鮮人が、鄭命寿を収賄の罪で清の刑部に告発したのである。

申得淵
「どういうことですか?話がさっぱり見えません。鄭雷卿、何か知りませんか?」

鄭雷卿
「(ビクッ!)え?はい?講院書吏の姜孝元が沈天老を使って告発を企んだんじゃないですかねぇ。あ、あははは」

昭顕世子
「どういうことかしら?姜孝元に事情聴取しなさい」


「はい……姜は、自分が首謀者ではなく、鄭雷卿と金宗一が首謀者と白状しました」

昭顕世子
「なんですって!これは大事おおごとになりそうだわ。しっかり調査するのよ!」

 事件調査の過程で、この告発について金宗一は関与しておらず、首謀者は鄭雷卿であることが判明した。

英俄爾岱
「世子どの!貴国の廷臣が鄭命寿を誣告するとはいったいどういうことだ!鄭を陥れるつもりなのか。皇帝陛下もお怒りだぞ」

昭顕世子
「詳しいことは調査中なんだけど、こっちも困惑しているわ。だけど、わが国の掟では、世子にはこういう件について勝手に判断する権利はないの。本国の王に報告しなきゃいけないのよ」

英俄爾岱
「なるほど。了解した」


「では、本国に詳細を報告します」

 報告を受けた漢城では衆議が紛糾した。

李景奭
「清の処断に任せるしかありませんが、陳謝の使者を出せば、ひょっとするとこちらでの処断を許されるかもしれません」

仁祖
「うむ。まずは早く回答することが大切だ。万に一つ、いい結果が出るかもしれない」

昭顕世子
「…そういうわけで、鄭雷卿についてはそちらで処断をお願いすることになったわ」

英俄爾岱
「そうか。鄭は我らを陥れようとしただけでなく、世子どのをも欺いた大罪人だしな。それにしても、貴国がすばやく回答してきたことはいいことだったよ」

馬福塔
「そうね。それに、もし貴国が鄭を弁護する回答をしてきていたなら、出征中の陛下に急使を飛ばして報告するところだったけど、とりあえずご帰還を待つことにするわ」

昭顕世子
「(どうやら、鄭一人の問題ということで決着しそうね)」

 結局、ホンタイジの帰還を待って、事件の処理が行なわれ、鄭雷卿・姜孝元は誣告の罪を以て4月18日に処刑された。
 なお、この告発内容が、本当に誣告であったか事実であったかは明記されていないが、鄭命寿と英俄爾岱・馬福塔が徒党を組んでおり、彼らは丙子胡乱の講和交渉時にも朝鮮から講和成立に便宜を図るよう賄賂を受けていたのは事実であり、またこの事件以降も、特に鄭が朝鮮からたびたび銀子・物品・官職などを贈られ、その親族にも恩恵が与えられていることから考えると、告発の中身も事実であり、英俄爾岱・馬福塔はその揉み消しを図って奔走したと見たほうがよさそうである。

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