三田渡への道 7

We Didn't Start The Fire



 1638年、ホンタイジはドルゴンに命じて、山海関西方の青山関、北京北の墻子嶺口を攻撃させ、そこから中原に侵入させた。

ホンタイジ
「ドルゴン、北京近郊を略奪して来い。物資よりも労働力となる人間を獲得するのだ」

ドルゴン
「はい」

 実は、1636年にも弟のアジゲに命じて、寧遠城・山海関を避けて北京西北の居庸関を攻撃陥落させて北京近郊を略奪させていた。

ドルゴン
「北京近郊だけでなく、広い範囲を荒らすぞ!もはや明軍は恐れるに足らんな」

 清軍は、華北平原だけでなく河北省南部、山東省にまで足を延ばして、諸城を落として荒らしてまわり、悠々と引き上げたが、内地の明軍が、彼らの侵攻に対して有効な手を打てなかった。各地で流賊集団が横行し、その討伐に追われていたためである。
 また、翌1639年の2月にはアジゲ、3月にはドルゴンが再び長城を越えて華北・山西を荒らした。


 ここで、視点を朝鮮半島から中国大陸に移してみる。

 明は1550年代から慢性的な財政悪化に苦しんでいた。

張居正
「このままでは破産ですね。税法を改革し、郷紳階層の隠し持つ土地を摘発・課税します。なお、廷臣どもの無意味な弾劾・ムダ口の類いはいっさい禁じます」

 神宗万暦帝の時代に宰相となった張居正は辣腕を振るって反対派の言論を弾圧し、強引に独裁と改革を進めて、奇跡的に財政を立て直し、赤字解消どころか貯金を積み上げた。また、張居正は、万暦帝が幼帝であったため、その教育係をも務め、万暦帝を厳しく教育した。

万暦帝
「あの謹厳で堅っ苦しい張居正が死んで羽が伸ばせるわ。ぱぁーっと遊びましょう!…ありゃ、もうお金がないの?増税すればいいじゃない」

 張の死後、重しの取れた万暦帝は遊興奢侈に耽った。また、豊臣秀吉の「唐入り(壬辰倭乱)」や、播州(貴州)の反乱、寧夏での蒙古人との衝突といった戦役で戦費がかさんだこともあって、張の積み上げた貯金は全て消えてしまった。
 結局、安易な増税や新税の乱発が行なわれ、その苦痛に耐えかねて土地を捨てて流浪する人々が増えた。しかし、それらの税収の多くはすんなり国庫に入らず、官吏や宦官の懐に入っていった。そうなると、またもや新税の創出による増収策が取られ(以下無限ループ)
 また、女真族の勢力が増大してきた1620年代には、遼東つまり女真族を討伐する軍事費にあてる「遼餉」「新餉」が施行された。
 1627年に即位した毅宗崇禎帝は、増税だけでなく、リストラによる財政健全化をも進めた。

崇禎帝
「官営の駅伝も削減しましょう」

 朝廷の物資・文書の運搬を取りあつかう駅伝も削減の対象となり、多くの駅員(職員)・駅卒(人夫)たちがクビになった。そんな中で、陝西省の駅卒だった李自成という男は、路頭に迷ったあげく、流賊集団に身を投じた。支那大陸の各地では、飢饉や苛酷な税金の取立てなどによって各地で流民が発生し、流賊集団を形成するようになっていたのである。
 そんな数多くの流賊集団たちの中で名を知られていたのは、「老回回」こと馬守応、「曹操」こと羅汝才、「闖王」こと高迎祥の3人であった。

 あ、えーと、この時期の流賊首領は、たいがい二つ名ならぬあだ名をもっているようです。「乱世王」「過天星」「九条龍」「関索王」とかのように。たぶん「水滸伝」の影響じゃないかと思うんですよ。「一丈青」「燕青」「宋江」なんて「水滸伝」の登場人物そのまんまのあだ名を名乗る者もいたようですし。

 李自成が投じた流賊集団の頭目である張存孟という男も「不沾泥」というあだ名を持っていた。彼は流賊の三大親分よりやや小さめの勢力として、そこそこの規模を誇っていた。李自成はその集団の中で頭角を現してゆき、一隊を任せられるようになった。

 だが、明の官軍のほうも負けているばかりではなかった。とくに洪承疇・孫伝庭・左良玉の3人は、高迎祥をはじめとして多くの流賊を討伐することに成功していた。

明軍
「敵将李典、じゃなかった、賊将張存孟、討ち取ったりー!」

流賊
「アーケード版の「天地を喰らう供廚任垢。それはともかく、李のダンナ、あなたが張親分の跡目を継いでください」

 張はついに官軍に捕らえられて斬られたが、李自成がリーダーとなって残存勢力をまとめ、各地の流賊集団を吸収して急成長した。

李自成
「よーし、我こそは闖王李自成なるぞ!明の天命は去った。今こそ天下の困窮する人々を糾合して、無道の昏君を討って義を行なうのだ!…くぅーっ!やっと私の出番ね。しかもかなり重要そうなキャラだし。これで地味とか先天性萌え欠乏症とかうっかりハチ兵衛とかにはおさらばよ!」

 いちおう言っておきますと、李自成の「闖王」ってのは、勝手に名乗っただけで、本来の「闖王」高迎祥とは関係ないようです。高が明軍に殺されたおかげで、うまい具合に李自成が2代目「闖王」を継承したような形になってしまっただけで、ほんらい両者に接点はないそうです。
 李自成の夫人が「高」姓だったため、実は彼女は高迎祥の親族で、その縁で李自成は「闖王」を襲名したアル!というもっともらしい伝説までできたようです。ほんとは、たまたま同姓だったってだけなんですけどね。

李自成
「んー、そんな細かいことはいいわ。ついに主役よ!ららる〜ららる〜♪」

李巌
「ち、闖王、そんな歌ではあかんねん。民衆に闖王を宣伝するためには『牛羊を殺してごちそうだ♪酒の用意だ♪城門を開いて闖王を迎えよう♪闖王来たれば税金無しだ♪』という歌をはやらせるんや…うちもついに劇形式にデビューや!うれしいなぁ」

紅娘子
「さんちゃん、すてきやー。うちもきっとええ役やで」

 まぁ、紅娘子は架空の人物らしいですがね。

紅娘子
「なーっ?!そうなん?」

 ついでに言っておくと、最近の研究では李巌も架空の存在じゃねー?なんて説もあるんですわ、これが。一応正史の「明史 列伝 流賊」には李巌、また李自成のことが書かれているんですが、その記述の元ネタは『綏寇紀略』『明季北略』といった書物でして、さらにそれらの元ネタは清初の小説だというわけで信用できないと。

李巌
「んなアホな…(涙)それやったら、うちの献策はどうなるん?」

 李巌に関する話で、杞県の宋県令が、紅娘子に強奪された李巌を盗賊扱いして牢獄にぶち込んだため、紅娘子に殺されたというエピソードがあるんですが、現代中国の欒星という学者が、当時の杞県の県令の任官記録を調べていき、該当する宋という人物は無事天寿を全うしていること、該当する時代の杞県県令で在任中に殺害された人物はいないことを、崇禎帝時代の杞県県令の任官記録、宋の墓誌や地方志などによって証明したそうです。
 ネイバー(現エンコリ)における「『青山里大捷』論争」において、日本IDのjpn1_rok0氏が、韓国IDの主張する『加納隊長戦死』を論破したやり方とほぼ同じですわ。

 まぁ、李巌&紅娘子と違って、李自成のほうの実在は間違いないし、1641年、洛陽を陥落させ、西安で「大順」を立てて大順王を名乗った頃からのことははっきりしていますが。

牛金星
「すべて私の献策です」

 ちなみにこの牛金星、名前はかなり冗談っぽいのですが、李自成の首席参謀として実在は確認されています。というのも、息子が清の高官になったおかげで、それに頼って余生を無事に過ごせたからです。明末の名の知れた流賊関係者の中で天寿をまっとうできたのは彼ぐらいじゃないですかね。うまいことやりよったんやなー。

牛金星
「バランスです」

 李自成一党については、本コンテンツの主題というわけでもないので厳密に突き詰める必要もないだろうし、李巌も紅娘子も実在したことにしますね。で、明史を元ネタとして適当に取捨選択して進めます。そのほうが書いていて楽しいし。
 そうそう、李巌&紅娘子を描いた「黄土の旗幟のもと」(皇なつき 潮出版社)というマンガがありました。10年近く前に読んだ記憶があります。消化不良で終わっている感じは否めませんが、そこそこおもしろかったです。

李自成
「じゃ、じゃぁ、気を取り直して農民起義だ!封建勢力・地主階層を打倒する階級闘争だ!」

 1949年の中華人民共和国の建国以降、そのような「唯物史観」とやらで、李自成や洪秀全などあらゆる時代の王朝を傾けた反乱者を持ち上げるのが公式の史観になってしまいましたねー。最近は、先ほども述べたような実証的な研究が進んで、持ち上げすぎた評価は少しずつ修正されていってはいるらしいですが。
 ま、ぶっちゃけた話、あの大陸じゃ、所詮、その時代の政治・政権の都合で歴史の記述や評価は一変するんですわ。あんまり振り回されないことですな、と。
 とりあえず、流賊集団を率いて天下を横行する大親分ということでいいでしょう。中国の英雄っつーのはそういうもんっしょ。本来は劉邦も朱元璋も似たようなもんだし、別に恥にもなりますまい。

李巌
「まずは、滎 陽に「闖王」高迎祥や「老回回」馬守応、「曹操」羅汝才など13人の大親分とその配下にある72営の軍団の頭目を招いて、明朝打倒の戦略を決定する大会議を開きましょう。この会議で李自成さまが主導権を確立したらええねん」

李自成
「そうね!戦略方針をつくって各々の担当任務を決定すればいいわね」

李巌
「はい。さらに言うたら、ウチらは官軍とぶつからへん場所を担当して、兵力を温存、鋭気をやしのうて、その間に各親分の軍と官軍を正面から戦わせることで、ライバルとなる親分連中と官軍双方を消耗させることもできるんやで」

紅娘子
「うわっ、さんちゃん黒い策略やなぁー。そやけどええ考えや」

牛金星
「すいません。『滎 陽大会』は実在しませんのでスルーで行きます」

 「な、なんやってー?!」

 はい。「滎 陽大会」は虚構だろ、とされています。あのだだっ広い大陸の各地にいて、しかも常に移動している流賊集団が、日時を決めて、洛陽の東という支那のド真ん中で何万人も集まって気勢を上げる会合なんてできますかっつーねん。
 この「滎 陽大会」は、本来『綏寇紀略』が出典なんですが、少し後の時代に書かれた『懐陵流寇始終録』では、「流賊ってのは、どこに出没するかわからないものだ。だから討伐が難しい。時と場所を決めて集合協議するなら、それはもう流賊じゃねーじゃん」とツッコミを入れております。
 だいたい、『綏寇紀略』は、「△ある投降者から聞いた」としてこの「滎 陽大会」を書いているわけだし、そりゃもう怪しいのなんのって。

 いや、ほんとはあったことにしたほうが、個人的にはおもしろいんですよ。だけど、朝鮮に関する本題からズレまくるし、大親分がたのアイコンや台本を考えるのはめんどくさいでしょ。よってスルーします。

李自成
「じゃぁ、私たちだけでも明朝打倒よ!」

洪承疇
「そうはさせるか!不逞の流賊ども!ムダに長い寸劇や作者のヨタ話まではさみやがって赦さん!」

李巌
「官軍や!しかもあの洪承疇と孫伝庭の精鋭やで」

洪承疇
「一人残らず殲滅しろ!この潼関がきさまらの墓場だ!」

孫伝庭
「最大勢力の高迎祥は既に討ち取った。李自成さえ潰せば華北の流賊は壊滅するぞ!」

牛金星
「こんな猛攻をくらっては勝てません」

紅娘子
「闖王、こちらへ逃げてください」

李自成
「あ、ありがと。実在しない人に助けてもらうなんて」

紅娘子
「…叛賊李自成はここにおるでー!」

李巌
「おいおい!『江戸むらさき特急』の鞍馬天狗ネタかいな」

牛金星
「グッジョブです」

 1638年10月、兵部尚書洪承疇と陜西巡撫孫伝庭の率いる官軍は、潼関で李自成軍を殲滅し、李自成らはたった18騎になってかろうじて逃走した。李自成戦死説すら流れたという……今さら何なんですが、この「潼関南原の大戦」も虚構かもしれないんです。この年の1月に、四川の「梓潼」で、洪承疇の率いる官軍が李自成かどうかはわからないけど流賊集団を打ち破ったのは事実なんですが、それが誤伝されたんじゃないかっていうんです……。でも、まぁいいや、あったことにしよう。

孫伝庭
「李自成はどこにいったか見つかりません。ひょっとすると戦死したのかもしれませんが」

洪承疇
「そうか、地味だから仕方あるまい。とりあえず李自成軍を殲滅することには成功したから、陛下に戦果を奏上しよう」

崇禎帝
「これで中原の流賊どもは息の根を止められたことでしょう。洪を薊遼総督に任命して満州族を防がせます」

 翌1639年2月、崇禎帝は、流賊討伐の功績を嘉して、洪を薊遼総督に任命し、対清戦線に転属させた。これは間違いなく史実です、はい。なお、孫は北京防衛の任についたが、翌年に弾劾を受けて入獄するはめになった。

洪承疇
「ここが寧遠城か。まさにイゼルローンに匹敵する要塞だ…って、この台詞は何なんだ?!『銀英伝』かい!」

呉三桂
「あの地味な桃瀬くるみすら、ムダに長い寸劇を演じることを許されたのですから、私たちもこれくらいのお茶目はいいんではないんでしょうか。
 それに、喩えとしてはさほど間違っていないと思います。敵の最前線の拠点である義州から山海関までは、東の渤海と西の長城によって画された回廊になっており、まさにイゼルローンのようにこの寧遠城が立ち塞がっています。
 さらに、『雷神トウールのハンマー』ならぬ紅夷砲もあります。これまでの戦績を見れば『寧遠城への道は満州族の死屍をもって舗装されたり』と豪語するくらいはいいでしょう」

洪承疇
「なるほど…だが、フェザーンとちがって、居庸関や青山関など他にも多くの関門があるんだがな。もっともこの山海関&寧遠城が最重要拠点であることは間違いないか。で、どうして作者は急にこんな喩えを思いついたんだ?」

呉三桂
「シオンさんのかぶっている帽子を見て、唐突に同盟軍の軍服を思い出したからだそうです」

洪承疇
「…どこがどう似ているんだろう?お前を『三桂、三桂』と呼んで紅茶を淹れさせたり、机の上であぐらをかいて指揮をとらなくてはならんのか?それはいいとして、貴君を総兵(師団長クラス)に任命する」

呉三桂
「ありがとうございます。ですが、まだ30歳にもならない若輩の私を抜擢するのは、私が、父の呉襄や、おじの祖大寿たちがこの遼東に築いてきた軍閥の御曹司であるというのことも考慮されたのでしょうか?」

洪承疇
「まぁ、それもあるんだが、実力がなければここまで重用できまい。貴君には期待しているんだぞ」

呉三桂
「はい、任務に励みます」

 洪承疇は寧遠城に本拠を置いて呉三桂たち8人の総兵を任命し、錦州城・松山城といった北辺の要衝を堅く守らせて軍備をととのえた。いちばん北にある錦州は最前線であり、歴戦の勇将祖大寿が守っていた。

遼東の地図


 清のほうは、たびたび山海関を回避して、他の方面から兵を長城の内側に侵入させていたが、やはりいちばん大きな幹線である遼西回廊を制圧して安定した侵入路を確保する必要があった。

 さて、話を朝鮮に戻す。前回ふれたように、1639年2月には世子の冊封を求める使者を送ったが、その一方で、軍備にも余念がなかった。4月16日には春塘台において弓・鳥銃の試射を行なわせ、士卒に褒美を与えた。

仁祖
「この春塘台は、試射にいい場所だな。春は2・3月、秋は8・9月にここで定期的に試射を行なおう」

李時白
「近衛兵はずっと弓・鳥銃の練習を続けておりますが、丙子胡乱以降は馬が無いため騎射の練習ができません。先日、兵曹に備蓄している木綿を済州島に送って、牛と交換しようとしたのですが、牛の疫病がはやっていたため、実現できないまま木綿は済州島に置きっぱなしです。この木綿を馬と交換して士卒に給付し、騎射の練習をしてはどうでしょうか?」

仁祖
「うむ。そうせよ。そういえばもうすぐ清使が来るらしいな。どう対応すればよいだろうか?」

崔鳴吉
「清が軍を動かす時は詐略を用い、使者を送る時は思わぬ問題を持ってきます。意図がどこにあるのかは知りようがありません」

 6月25日、馬福塔がやってきた。第5回でもふれたところです。

仁祖
「前年の出兵時には、うまく対処できずに遅れてしまい、申し訳なく思っております」

馬福塔
「出兵が遅れたことについては何らかのペナルティーがあるでしょうね。秋に調査官が来るからよろしく。で、陸軍・水軍出兵はもちろん兵糧の供出もきちんとお願いね」

仁祖
「は、はい。必ず行ないます。歩兵のほうはすぐに送りますが、騎兵は難しいかと。兵糧供出のほうですが、今年は作物のできが悪そうで大変ですが、なんとかがんばってみます」

鄭命寿
「そうそう、本題はこっち、昭顕世子を世子に、趙氏を王妃に冊封するよう勅書を持ってきたのよ。さっそく儀式の用意をしましょう」

 こうして、昭顕世子の世子、趙氏の王妃冊封が正式に行なわれた。

仁祖
「馬福塔らが意外なことを言ってきたので、うまく対応できなかった。はぁ、出兵と兵糧供出をがんばってやると言ってしまったよ。(´・ω・`)」

洪瑞鳳
「やはり鄭命寿がキーパーソンですね。あいつを懐柔して抱きこまないといけません」

申景
「やつには先日恩賞を与えましたが、今回は官職を与えてはどうですか?」

仁祖
「先日、やつに僉知の官職を与えただろ。じゃ、今回はやつの妻の一族に与えるか」

 僉知とは、僉知中枢府使のことであり、品階が正三位の者に与えられる官職だが、実際の職務権限は無い名誉職である。正三位といえば、中央では、六曹の参議、地方軍では節度使・節制使といった副司令官クラスの品階であり、けっこう高いイメージがある。

崔鳴吉
「お待ちください。瀋陽にそれが聞こえたら災いが必ず起きます。鄭の母が平安道にいると聞きましたので、それに食物を与えればよいかと思います」

仁祖
「いや。ちょっと待て」

 仁祖は崔鳴吉の意見を採用せず、申景任鯏¬深にひそかに接触させて様子をうかがわせた。

申景
「鄭命寿どの、実はあなたに官職を与えたいと思っているんです」

鄭命寿
「ほんと!ありがとう。馬も欲しいわね。そうそう、私の妻の甥の奉永雲ってのが定州の官奴なんだけど、彼を取り立ててほしいわ。あと、妹の夫の林復昌が兵役についているんだけど、免除してくれない?」

 結局、鄭命寿の要求は全て受け容れられたばかりか、鄭には僉知中枢府使の一つ上の同知中枢府事という官職が与えられた。この同知中枢府事もやはり名誉職であり、品階も一つ上の従二位であるが、従二位といえば地方の観察使(現代の道知事)レベルである。もっとも、奉永雲のほうは官職就任を固辞した。

 このように清と朝鮮は、英俄爾岱・馬福塔、鄭命寿を窓口として外交を展開していたが、丙子胡乱の約定でもあったように、清から朝鮮に亡命した者や明人、勝手に逃げ帰った朝鮮人捕虜などの清への送還がたびたび行なわれた。

廷臣
「殿下、隠棲されている金尚憲どのが、清の出兵要求を拒絶するよう上疏文を送ってまいりました」

金尚憲
「天朝たる明に対して刃を向けてはなりません。義のためにも出兵してはなりません!」

仁祖
「言いたいことはわかるが、無理なんだよな…しかし、あいつは官爵も受けず、清の年号も使わないんだ。節操の堅さは嘉すべきだが…」

 第5回とかぶってしまうので省略するが、6月以降に三田渡碑の建設が進められ、12月の完成時には馬福塔たちが視察に訪れた。彼らは三田渡碑の視察と称して、そのついでに南漢山城を訪れ、城が修築されているのを確認した。

馬福塔
「国王の具合が悪いと聞いたけど、どうなの?」

洪瑞鳳
「はい…あまり思わしくないのです…」

馬福塔
「ところで、南漢山城のことだけど、講和の約定に『南漢山城・江都(江華島)の修復はダメ』ってあったでしょ。日本を防ぐためと言って修築したのはどういうことかしら?もし日本が攻めてきても、我が軍の援軍が間にあわないとでも思ってのことかなぁ?(怒)
 それと、修復だけならともかく、多くの兵糧・馬糧を備蓄して、砲台も新設したでしょ。何を企んでいるの?そうそう、江都も修築して多くの兵糧を備蓄してあったわね。どういうつもりで約定に違反したのかしら?」

具鳳瑞
「き、去年から日本が侵攻してくるという噂があったので、それに備えて修築しようと思い、お国にも報告しました。他意はございません。備蓄された兵糧は、秋に収穫してから春に分配支給するまでの間、仮に置いているだけです。馬糧を備蓄することは村々のきまりなんです」

馬福塔
「南漢山城の修復はともかく、増築したのはどういうことかしら?」

具鳳瑞
「我らが日本を防ぐためには、お国の指導を以て城を修築する以外にありません。それに、南漢山城は三田渡碑からも近く、お国のご使者が三田渡碑を訪れる時には必ず山城を見ます。これまで三田渡碑に訪れたご使者も山城をご覧になっているはずですが、何もおっしゃいませんでした。
 また、わが国が明に仕えているころ、明との国境そばにある義州に城櫓を設け、多くの兵を配置していましたが、明は何も疑わず、まさに父母の国のような慈愛を以て接してくれました」

馬福塔
「義州は国境の城だから壊せないってことでしょ。私たちが禁じたのは辺境じゃなくて内地の城の修築よ。だから釜山の修築は許可したわね。だけど南漢山城はダメよ」

具鳳瑞
「判りました。ですが、壊す手間の面倒さは、建築する労苦にも劣りません。できれば新設した砲台の破却で済ませていただければ幸いです」

馬福塔
「…了解したわ。それでいいでしょ」

 年が明けて1640年になっても、仁祖の病状は思わしくないままであった。

仁祖
「余の病状はよくないままだ。できれば生きている間に世子に会いたい」

崔鳴吉
「わかりました。病状見舞のため、世子を一時帰国させることを請願してみます」

李景憲
「そういうわけで、世子の一時帰国を認めて欲しいのです」

英俄爾岱
「先日そちらに行った使者も言っていたけど、たしかに国王の病状は重いようだな。世子の一時帰国については、そちらから正式に病状報告をあげてもらってから処理することにしよう。こっちから人を送ったら、その応接に費用もかかるだろうしな」

范文程
「ところで、南漢山城をリペィア&リインフォースしたことだけど、どういうこと?」

昭顕世子
「(やっぱりこっちでも訊くんだ)去年、日本が攻めてくるって情報が流れたんで修復したのよ。壬辰倭乱のとき防備を怠ったことは教訓にしないとね」

范文程
「そっちが送ってきたレターって、国王が関知したものじゃなくて廷臣たちの合議で作成して送ってきたものなんだけど、ホワーイ?ユーはどう思うヨ?」

昭顕世子
「その書状がどういう経過で作成されたのかは知らないけど、国王が関知してないっていうことは、政務に直接関われないほど病気が重いことを意味するんじゃなくて?…その口調はいったい何なのよ?」

范文程
「仕方ないねー。作者がレミィの口調なんて忘れちゃって、ピクシーミサの口調とごっちゃになってるのね。でもこのままゴーイングなのよ。ソヒョンちゃんもついてきてねー」

昭顕世子
「また微妙な中の人つながりネタね…ソヒョンちゃんって何なの?!」

范文程
「ユーの諡号の朝鮮語読みヨ。かわいいからノープロブレムね」

英俄爾岱
「脱線そこまで。世子どのの一時帰国だが、本国にいる世子どのの長男と麟坪大君(仁祖の三男)を入れかわりに瀋陽に来させることにしよう。それと、陸軍・水軍の出兵期日も迫っているから忘れるなよ」

姜氏
「私はどないすんのー?」

范文程
「ユーは行っちゃダメね。ソヒョンちゃんは、麟坪大君たちの出発を確認してから出発するのヨ、アンダースタンね」

朴
「では、本国に報告いたします。ところで、最近馬福塔さんがいらっしゃいませんね」

英俄爾岱
「あいつ、最近病気がちらしいんだ。こっちも思わしくないようだ」

申得淵
「では私が新薬を…」

昭顕世子
「そういうのはやめい!」

馬福塔
「ぶっちゃけた話、2ヵ月後(この年は閏1月があった)の2月2日に私は病死するんだけどね」

 ホンタイジの勅書がくだされ、世子の一時帰国と世子長男・麟坪大君の入質が決定された。これを受けた朝鮮では、世子長男がまだ4歳であり、麟坪大君も病弱であることを理由にした反対論が起こった。

金尚憲
「このようなことをしてはなりません!」

 隠棲している金尚憲も反対する上疏を送ってきた。

仁祖
「たしかに世子の子はまだ4歳だし、麟坪大君は病弱だが、彼らを引き換えに送る以外に方法もあるまい。さっそく出発させろ」

 仁祖は反対論を強引に退けた。2月上旬に漢城を出発した世子長男・麟坪大君一行は、粛川で昭顕世子一行と出会い、交換されるかたちで瀋陽に向かった。

李時白
「清から強要されている水軍出兵ですが、やむなく出兵に至った旨を明の陳都督に密かに報告しておいたほうがよいと思います」

洪瑞鳳
「李の提議はまことに立派なものです。陳都督に密使を送って報告すれば、後世をして我らの苦衷を知ることになりましょう。事情に通じている林慶業に任せれば露見する恐れはないでしょう」

仁祖
「しかし、明人のほうでしゃべってしまうおそれがあるぞ。清が長城の内側に侵攻したとき、明人にわが国の状況を尋ねることがあるらしい。そのときに露見すれば大変なことになるぞ。もし、清がわが国を深く信用していれば、そんなことを聞いたところでわが国を疑いもしないだろうが、今、清はわが国を疑ってかかっている。どうすればよいのだ?」

李景奭
「物事の転変は極まりなく、強弱も常に変わるものです。他日の憂いを今考えても仕方ありません」

 で、結局密使は送ったようです。
 この年の冬は海がよく荒れていたようであり、閏1月17日には、清の要請に基づいて兵糧を運搬していた忠清道の船1艘が沈没し兵糧300石が海に消えた。また、2月27日には、忠清道の兵を乗せた船6艘が沈没し、司令官の忠清水軍虞候韓晊 、所斤僉使崔仁ら112人が溺死した。また、三南(慶尚・全羅・忠清道)の船10艘が沈没し、80人が溺死した。そのほかにも、忠清道の船12艘が沈没し溺死者119人、慶尚道金海・蔚山の船2艘も沈没した。

廷臣
「かなりの被害が出ております。訳官の張礼忠を瀋陽に派遣してこの状況を報告させます」

林慶業
「わたしも行って報告説明いたします」

仁祖
「林はずっと平安道にいて清の状況にも詳しいし適任だな。よし、行ってくれ」

 3月7日、昭顕世子が漢城に帰ってきた。

昭顕世子
「ただいまー、父上の病状はどう?」

洪瑞鳳
「ようやく快方に向かっております」

昭顕世子
「それはよかったわ。聞いていると思うけど、今年の春に清が明を本格的に攻めることになってるのよ。長期戦に備えて兵糧を確保するため、最前線の義州に砦を築いて屯田させる手はずになっているわ。錦州や松山といった諸城を本気で攻め落とす気よ」

崔鳴吉
「これまでのように、城邑周辺の略奪や付属する砦を陥落させるだけではないんですね」

昭顕世子
「ええ。当然わが国にも出兵要請が来てるわね…だけど、出兵について反対する者がまだいるようね」

李景奭
「出兵反対については、廷臣ばかりか、隠棲している金尚憲どのも上疏を送ってきたんですよ」

申得淵
「それは困りますね。わが国にも兵糧兵站の大量調達が命じられることですから、出兵の一件とともに、滞りなく進められるようお願いします」

 結局、昭顕世子の漢城滞在は1ヶ月程度で終わり、世子は4月2日に漢城を発って瀋陽に向かった。
 その瀋陽では、昭顕世子の言ったとおり、本格的な明侵攻の準備が進められていた。

ホンタイジ
「錦州・松山など寧遠城以北の諸城を本格的に攻略するぞ。まずは義州に屯田して長期戦に備えて兵糧を確保するのだ」

ドルゴン
「はい。前線では戦いながら、後方では屯田させます」

昭顕世子
「ただいまー」

姜氏
「おかえりなさい。なんも事件はなかったでー」

鳳林大君
「皇帝陛下は、兵糧輸送船が沈没した件について、たいそうお怒りでしたけどね」

昭顕世子
「そりゃそうね。あの時はあれで戦況が不利になったものね。そうそう、紂∈E戮呂△覆燭帰省してきなさい」

鳳林大君
「え?いいんですか?」

昭顕世子
「さっき、英俄爾岱と話し合って承諾もらったから。ね」

英俄爾岱
「ああ、いいだろう」

范文程
「じゃ、ついでにユーの息子も帰国させたらいいわねン」

昭顕世子
「んー、あの子今ちょっと具合悪いのよ。夏の旅になるし心配だわ。涼しくなるまでここにいさせるわ」

 こうして鳳林大君も一時帰国をすることになった(6月21日出発、11月21日帰還)。また、麟坪大君夫妻・世子長男は12月2日に瀋陽を発って帰国の途についた。

英俄爾岱
「ところで、今回の水軍出兵について、中止するよう上疏した人士がいると聞いたが、ほんとうか?」

昭顕世子
「(どうして、そんな情報までつかんでいるのよ?!)まさかぁ。本国は出兵要請を受け入れて、君臣ともに協力して期日に遅れず出兵したでしょ。中止させようとした者がいたなら、スムーズに出兵なんてできないじゃない」

英俄爾岱
「たしか、左議政の申景任『水軍出兵を中止してはならない』と主張したが、衆議に逆らうのを恐れて病気を理由に辞職したとか。領議政の崔鳴吉も罷免されたとか聞いたぞ」

昭顕世子
「2人は病気のため一時退いただけよ。別に何も無いわ」

英俄爾岱
「…了解した」

 清が出兵に反対した者を執拗に摘発しようとしていることは、朝鮮本国の朝議でも議題に上がった。

洪瑞鳳
「私はこれから瀋陽に向かうところなのですが、もし、出兵に反対した者の名前を挙げろ、といってきたらどう対応しましょう?」

仁祖
「あいつらは使者を遣わして摘発しようとするだろうから、こちらからわざわざ名前を教えてやるようなことはするな。この件に関しての上疏文は、提出した本人に返却しておけ」

金瑬
「重大な事件ですから、くれぐれも慎重に協議対応しましょう」

 清のほうは次第に焦っていった。11月1日には、英俄爾岱が昭顕世子のもとに怒鳴り込み同然の詰問をしてきた。

英俄爾岱
「誰が出兵に反対したんだ?いったい誰だ?!」

姜氏
「こ、こわー」

昭顕世子
「私は異国にいるとはいえ、一国の世子なのよ。あなたはあえて脅迫するつもりなのかしら?よろしい、存分に脅してみなさい!」

英俄爾岱
「すまんすまん、言葉が過ぎたようだな、ははは。では失礼する」

鳳林大君
「あいつもかなりあせっているようですね」

昭顕世子
「そうね。だけどあいつらの情報網はかなり精度が高いわ。そういつまでもごまかしきれるものでもないでしょうね」


「世子様、洪瑞鳳様が到着されました」

洪瑞鳳
「ただいま到着しました。状況はどうですか」

昭顕世子
「ご苦労さん。出兵反対のこともそうだけど、南漢山城の修築、亡命者・脱走者の送還やこれまでの出兵の遅れ、兵糧輸送船の沈没など、あいつらを怒らせる材料には事欠かないわ。これから英俄爾岱たちに会うんでしょうけど、気をつけてね」

洪瑞鳳
「は、はい」

 11月8日、洪瑞鳳は、英俄爾岱・鄭命寿に会った。

英俄爾岱
「よく来てくれたな。…おい、鄭以外の者は席を外せ」

鄭命寿
「お国の人でさぁ、金斜陽っていって、ウチの年号を使わず、官爵も受けていない人がいるっていうけど、ほんとなの?」

洪瑞鳳
「金斜陽?わが国にそういう姓名の者はおりませんねぇ。同じ発音の金時譲という者ならいますが、彼は失明したため1635年から出仕していませんしねぇ」

英俄爾岱
「その人というのは、丙子の戦役で南漢山城に入ったけど、降伏の際には随わず、田舎に隠棲して官爵も受けないばかりか、世子どのが帰省されたときにはただ一人お迎えにあがらなかったとか。みだりに上疏をしているとかいうんだが、そういう人はいないのかな?」

洪瑞鳳
「!(金尚憲のことを知ったうえで訊いてきてるわね。これは軽々しく答えられません)」

英俄爾岱
「い・な・い・の・か・な?はやく答えてくれないか」

洪瑞鳳
「(これはもうシラを切れません!)えーっと、金時譲は病気のため南漢山城に入りませんでしたが、金尚憲という者がいまして、彼は南漢山城に入ったのですが、降伏の際には病気ということで随いませんでした。ひょっとして、その人のことを指しているのでは…」

英俄爾岱
「ふむ。その者は今どこにいる?」

洪瑞鳳
「年老いて多病ですので、安東に隠棲しています」

英俄爾岱
「安東?それはどこだ?」

洪瑞鳳
「慶尚道です」

英俄爾岱
「では、すぐに本国に報せて、その者を瀋陽まで連れてこさせろ。それと申得淵どの、他にも出兵や世子長男の瀋陽行きに反対した連中がいるよな」

申得淵
「わ、わたしはそれらの問題が起こったとき、瀋陽にいましたので、事情は知りません」

英俄爾岱
「ふざけるな!私は出兵に反対した連中がいたことを今ようやく知ったんだが、そうなったのもお前のせいだぞ!」

申得淵
「そ、そんなぁ。私はどうすれば…」

鄭命寿
「そうねぇ。その反対した連中の名前を書いたら許してあげるわ」

申得淵
「(ウソを書けば他者に迷惑が及びますね。仕方ありません)えーっと、金尚憲・調善僉△△頒昌の儒生蔡以恒…金は呼ぶことになりましたので、弔疲颪鬚垢依茲気擦襪茲Δ砲靴泙后

 洪瑞鳳と申得淵の報告を受けた朝廷では、仕方なく金尚憲らを逮捕して瀋陽に送り、清の尋問を受けさせることにした。
 ちなみに、10月13日、清はホンタイジの誕生日である10月25日を期して、清国内では大赦を行い、朝鮮に対しては朝貢物品のうち、米10,000包のうち、9割を削減して1,000包にするという詔勅を出している。

金尚憲
「ふむ、礼儀も知らぬ蕃夷どもめ、私をどうするつもりなんだろうな」

 金尚憲は12月6日に漢城に到着し、調善僉蔡以恒とともに瀋陽に向けて送られた。

仁祖
「卿たちには苦労をかける」

 仁祖は、彼らをいたわって、金尚憲に貂裘一襲・白金500両を与え、調善僂砲惑魘300両、蔡以恒には白金150両を与えた。その一方で、鄭命寿に銀1千両を贈賄し、正式に同知中枢府事の官職を与え、その母には月ごとの恩給を与えるなど、この事態の早期収拾をはかる側面工作も行なわれた。


<<登場人物

>>第8回

<<第6回

>>トップ