三田渡への道 8

Hard Times



 前回述べたように、1640年12月、清への援軍出兵に反対したという容疑によって、金尚憲らは清の要請によって逮捕され、瀋陽へと送られた。
 12月19日、金は国境の義州に到着し、英俄爾岱らの尋問を受けた。

英俄爾岱
「この前の戦役で、王が南漢山城を出た際、お前は、清に仕えることはできないと言って一緒に出なかったようだが、どういうことだ?」

金尚憲
「王に従わないことはない。ただ老いて病気であったため従えなかっただけだ」

英俄爾岱
「水軍の出兵をなぜ阻もうとしたのだ?」

金尚憲
「私はおのれの志を守り、わが君にそれを告げただけだ。しかし国家はその忠言を用いなかった。これは貴公らにとって他国の話である。どうして訊こうとするのか?」

英俄爾岱
「何を以て他国と言うのだ?」

金尚憲
「両国の間には境界がある。他国といわずして何と言うのだ」

清人
「(たいがいの朝鮮人の言動はぐずぐずして優柔不断なもんやが、こいつは違うな。なかなか厄介なヤツやで)」

英俄爾岱
「……ふむ。今日はこれで終了する。引上げるぞ」

 英俄爾岱らは引き揚げた。『丙子録』によれば、彼ら清人は金の堂々とした態度を賞賛し敬意を払い、従者をつけて身の回りの世話をさせ、駕篭を提供し、瀋陽までの宿舎と食事は最上のものを用意したという。
 26日には、洪瑞鳳らに引率された調善僉蔡以恒が龍湾に到着し、やはり英俄爾岱が尋問した。

英俄爾岱
「申どの、この両名の言動について説明してくれ」

申得淵
「は、はい。私がまだ瀋陽にいたとき、この両名は出兵に反対する上疏を行なったと聞きました」

調善
「殿下はお体の状態が悪く、長らく政務を取られていませんでした。そのため私の上疏も通されることがなく、ようやく取りあげられたときには、すでに出兵したあとだったのです。すでに行なわれたことについて、わざわざ追いかけてまで反対を論じるわけがありましょうか」

蔡以恒
「私は、民が、出兵に伴って課せられる重い労役によって疲弊することを思って上疏したのです。出兵の是非自体については論じておりません」

英俄爾岱
「ふむ。だが私が独断で処理するものではないな。金と同じく瀋陽に行ってもらう」

 帖蔡は瀋陽に送られ、洪は帰国した。

洪瑞鳳
「殿下、このたびは、私がうかつにも金尚憲どのの名を漏らしてしまうという過ちを犯してしまいました。どうか辞職させてください」

仁祖
「たしかに衆議も卿を非難する声が多い。しかし辞職はまかりならん」

 年が明けて1642年1月20日、瀋陽に入った金尚憲らは首に鉄鎖をかけられ両手を縛られて尋問の席に引き出された。但し『丙子録』によれば金は従者に背負われて入場したものの清人たちは咎めなかったという。逆に同じく背負われて入場した申得淵に対しては「犬にも劣るヤツが金さんの真似をするな!」と笞打って叱責したとある。もっとも『丙子録』の著者羅万甲は、清人にへつらう朝鮮人を一貫して批判し、剛直で清人からも敬意を持たれる金尚憲、どうにか罪を逃れようともがき清人から侮蔑される申得淵、という書き方をしているため、どの程度事実を反映しているかは見極め難い。
 さて、昭顕世子が同席の上、英俄爾岱・范文程らが尋問にあたった。

昭顕世子
「(金尚憲らの答えは以前のものと同じね)」

英俄爾岱
「…では、申得淵どのに訊こうか。帖蔡はこのように言ったが、どうか?」

申得淵
「これらの事態は私が瀋陽にいる間に起こったことです。あなたが私を問いつめたさい、聞いたことだけを申し上げました。皆の者が上疏したといっても、その意図までは知りませんでした」

范文程
「じゃ、軍馬を徴発するとき、どうして国王にそれを止めるよう言上したの?ホワーイ?」

申得淵
「そのときの朝議は、遠くに軍馬を送ることはできないだろうとして、馬の代価となる銀子を送ろうとしたのです。それで私は『宗主国の物資徴発命令があれば、稟議決定を変えず先に代価の銀子を送り、まだ事態が分からない時は必ず奏上して決裁せよ』と言いましたが、これは慎重にものごとを行なえという意味に過ぎません。どうして道理に外れた論議があるというのでしょうか」

鄭命寿
「臣下というものは、国を保ち民を安んじることがその職務よね。丙子の年に、道理に外れた論議が横行して国家を危機に陥らせ、人民を苦しませたわ(丙子胡乱を指す)。皇帝陛下は特別にお赦しになったけど、金尚憲は悔い改めることを知らず、同じ過ちを犯そうとしているのね。これは死罪に相当するわ。調善僂糧言は宗主国についてのことだし、蔡以恒が過重な労役をどうこう言ったのは、朝貢・軍糧の徴発に関係あるわね。申得淵は軍馬徴発の件についてみだりに上疏したわ。朝鮮を誤らせてきたのは、皆このような輩の道理に外れた論議のせいよ、って言えってさ」

昭顕世子
「作者もほとんど忘れていたけど、こいつ通訳なのよね…」

英俄爾岱
「そういうわけで、4人を軟禁して、外との通信は禁止しろ」

 これにより、金尚憲・調善僉蔡以恒・申得淵の4人は瀋陽に抑留されることになった。
 朝鮮本国では、騎兵の徴発要求に対してあわてて用意をしていた。

仁祖
「騎兵の徴発とは意外な要求だな。馬1,000頭をどうやって調達したものか…期限は3月だしなぁ」

李景曾
「馬の調達を各道に振り分けて、ソウルでも都監で馬を養えば、数は揃うでしょう」

仁祖
「ふむ。600頭を各道に振り分け、司僕の馬100頭・林慶業が買い集めてくる馬100頭と先日調達した運搬用の駄馬200頭を合わせれば1,000頭に達するな」

 1週間後、その林慶業がソウルに帰ってきた。

仁祖
「ご苦労だった。ところで、明の防御体制はどういうものであった?」

林慶業
「はい。明将の祖大寿は朝廷の大臣たちと婚姻関係を結んでいるため、諸城の守将はみんな祖の一族で占められています。錦州には兵10万、山海関には30万の兵がいるとかいいます」

 祖大寿は、大臣たちと婚姻関係を結ぶことでその勢力を育成し、一族を軍の要職に取り立てて軍閥を形成しているというのである。たとえば、前回触れたように呉三桂の父呉襄の側室は祖大寿の妹であるため、呉三桂もその軍閥「一族」である。
 2月中旬、柳琳に率いられた援軍はソウルを出発し、最前線錦州に向かった。

 ホンタイジは、1640年からドルゴンらを派遣して、その祖大寿の守る錦州城を攻めさせていたが、防備の固さを考慮して力攻めを避けたうえ、屯田しつつの攻勢であったため、その矛先は鋭くはなかった。

祖大寿
「む、清軍の攻勢だ。急いで洪総督に報告せよ。我らは籠城を続けて敵を釘付けして疲弊させながら援軍を待つのだ」

 前述したように、祖大寿は防備を固め、城外には「火炮(地雷)」を埋設して、堅く城を守っていたため、清軍は遠巻きにして付け城を築いて包囲していたのである。

呉三桂
「総督!最前線の錦州から急報です!早く援軍を出しましょう」

洪承疇
「待て。勇将祖大寿の守る錦州は簡単には落ちぬ。やつらを錦州に釘付けにしてその戦力を消耗させつつ、機を見て諸城の兵を糾合して一気に前線基地の義州を覆すのだ。援護のため君は松山城に入ってくれ」

呉三桂
「なるほど!了解しました」

 呉三桂と劉肇基は松山に駐屯し、山海関からは馬科が1万の兵を率いて前線に向かった。

ホンタイジ
「ちぃっ、洪は出撃してこないのか!明にもまだなかなかの武将がいるものだ。不本意だがやはり持久戦を続けるしかあるまい。松山・杏山・塔山をそれぞれ包囲して連繋を断て」

ドルゴン
「はっ。水も漏らさない包囲陣を引きつつ、明軍の救援に備えて防備を固めます」

遼東の地図


呉三桂
「よし、清軍を攻撃します」

ドルゴン
「明の援軍が来たぞ。迎え撃て!」

 前線に到着した呉三桂らの明軍と、ドルゴンらの清軍は戦闘状態に入ったが、一進一退の小競り合いが続いた。
 1641年3月、兵糧の事情もめどが立ったこともあって、ホンタイジはついに大攻勢を命令した。

ホンタイジ
「機は熟したな。錦州・松山など寧遠城以北の諸城を制圧するぞ。ドルゴン、錦州の包囲は続けつつ本格的な攻勢にかかるのだ」

ドルゴン
「はい」

鄭命寿
「皇帝陛下がついに親征されるわ。詳しい日取りは未定なんだけど、多分4月の出発になるわね。世子と大君も一緒に来てもらうわね。そういうわけでお二方の護衛兵を本国から呼ばなきゃね。精鋭の砲手(鳥銃兵)5、60人ほどお願いね」

鳳林大君
「え?しかし、本国への負担が…」

鄭命寿
「そんなこと言わないの♪」

昭顕世子
「断る余地はなさそうね。軍糧やテントを運ぶ車を牽かせたり、随員を乗せる馬も要るから、ざっと馬70頭は必要になるわね。本国に連絡して調整するわ」

 連絡を受けた朝鮮では、さっそく平安道の観察使・兵使に砲手50人と馬70頭を用意させるよう手配した。

 3月24日、柳琳率いる朝鮮軍が、錦州を包囲攻撃している済爾哈朗軍に合流した。27日、錦州の東側の羅城(城壁本体からさらに外に突き出して張り巡らされた城壁)を守っていた蒙古傭兵が内応を画策した。

祖大寿
「蒙古兵どもが寝返りを企んでいるようだな。指揮官の呉巴什を捕らえよう」

 祖大寿はその動きをすばやく察知すると、蒙古傭兵の指揮官を捕縛しようとした。そのため蒙古兵が騒ぎ出し、明兵と戦闘状態になった。

済爾哈朗
「おっ、これはチャンスや!蒙古兵を支援するんや」

 この乱闘につけこんだ清軍は一気に外城を攻略することに成功した。

祖大寿
「ちっ、外城を放棄して内城に籠るぞ!」

 錦州城の外城は奪ったものの、祖大寿の抗戦はまだまだ頑強であり、早急に陥落する見込みは立たず、済爾哈朗軍と、援軍に駆けつけた孔有徳・尚可喜軍は更に包囲を続けるしかなかった。また、明の援軍との小規模な戦闘も継続されたものの、戦線は膠着状態のままであったといっていい。

 4月26日、鄭命寿が昭顕世子のもとを訪れた。

鄭命寿
「あのさ、以前にうちの大臣たちの子弟らと、あなたのところの大臣たちの娘らを婚姻させるって話があったでしょ」

昭顕世子
「ええ。そうね(早く娘たちを送ってこいっていう催促かしら?)」

鄭命寿
「考え直したんだけど、両国の距離は遠いし、往来にはいろいろ差し支えもあるでしょうから、止めにしたのよ。よろしく言っておいて」

昭顕世子
「…わかったわ」

 こうして婚姻の話自体は流れた。書いてて言うのもなんですが、あっけない結末やんなぁ…
 だが、いい報せばかりではなかった。5月16日には英俄爾岱・范文程らが訪れ、明船監視の件について詰問したのである。

英俄爾岱
「世子どの、最近、よく明の船が貴国に向かっているという話を聞くが、それについて報告が無いようだ」

范文程
「もし、ユーの役人民衆たちが、それらと連絡を取ったり、薪水を補給したりしたらとんでもないことになるわヨン。ネイビーを集めて、沖合いの島々を占拠して明船を防ぎなさい。アンダースタン?」

昭顕世子
「早速本国に報告するわ。だけど、水軍の進発はちょっと待ってね。今水軍はほとんど南方に停泊していて、期限どおり集めるのは難しそうなのよ」

英俄爾岱
「あのなぁ、貴国は不誠実じゃないか!実際の作業をせずに言辞を以てグダグダ言うだけだろ。その程度のことがわからないとでも思っているのか!錦州の外城が陥落して以来、明軍は次第に衰えつつあるんで、水軍を以て東を目指し、事態を打開しようと図っているんだ。貴国が明を防ごうとしない場合、密通していると見られてもかばいようはないぞ!」

 たしかにこの時期、明の軍船が両西(平安道・黄海道)の黄海沖合いでしばしば目撃されていることが記録に残っている。だが、清将が詰問したように、それらの地方から朝鮮朝廷に報告すらなく、また昭顕世子が言ったように水軍もいなかったため、対応ができていなかったのである。
 世子からの報告を受けた朝廷は、あわてて沈演を両西都巡検使として派遣し、巡視調査に当らせた。

 この5月、膠着していた錦州戦線に思わぬ動きが出た。それも北京からの指令が発端であった。

陳新甲
「北方戦線ですが、持久策ではなく、速戦即決で片づけるべきです。洪承疇に全軍出撃させて一気に片をつけさせましょう」

崇禎帝
「…そうですね。よし!全軍を率いて前線に出撃、蛮族どもを屠るよう命令を送りなさい!」

 崇禎帝は兵部尚書陳新甲の進言を容れて、洪に出撃するよう命令を出した。

洪承疇
「出撃せよだと?!バ、バカな。確かにこちらも苦しいが、敵も苦しいのだ。やつらの国力では持久戦の継続はかなりつらいというのに。一気に勝敗を決するというなど無理且つ無謀ではないか!」

 洪の言うとおり、明清両軍とも一進一退の苦しい戦いを強いられているが、清にとって、持久戦を遂行する国力の違いはかなりのハンディキャップとなっていた。
 だが、明とて、財政難による増税で軍事費をまかなっており、そのため民の負担が増加し流賊発生の主因となっていたのも事実である。内政を立て直すためにも早く戦役を終結させたい、と崇禎帝が考えたとしても無理はないであろう。
 けっきょく、最終的に洪は全軍出撃を決定した。もし従わねば、無実の罪に陥れられた袁崇煥や、怠慢無能を理由に解任された大臣諸将のように、良くても投獄、悪くすれば処刑されたことは容易に想像できる。

洪承疇
「全軍10万は錦州の救援に向かう!私は6万を率いて松山に駐屯する。諸将は錦州・松山間に陣地を築いてそこに拠れ」

呉三桂
「はい!」

ドルゴン
「ついに本軍のおでましか。ひるむなっ、撃て!」

 洪承疇率いる本軍は松山に拠点を置き、松山と錦州の間の乳峰山に本営を置くドルゴン軍を襲った。両者ともに退かず、一進一退の激戦がはじまった。
 そのころ、相変わらず朝鮮平安道の黄海では、明船が幾度と無く出没し、朝廷は対策に追われていた。

沈演
「明船はいったい何を求めてやってくるのでしょう?」

申景
「こちらに伝えたいことがあってやってくるのでしょう」

仁祖
「しかし、どう処理したものやら…」

姜碩期
「先年、明船が来た時は、我が国の窮状を伝えると帰ってくれました。今回もそうすればよいかと」

仁祖
「しかし、それはあちらが何の戦略計画も持っていない場合のことだ。もし清を攻撃する計画を携えていて誘ってきたら、簡単には帰ってくれまい。そうなると、清は我が国に対して水軍を出して駆逐せよと言ってくるだろう」

姜碩期
「林慶業が『私に任せていただければ対応してみせます』と言っていました。100%信じていいものかはともかく、かなり気合が入っております。彼にやらせるのがよいかと」

仁祖
「よろしい」

沈演
「今の林には官職がありません。どういう称号を与えればよいでしょうか?」

仁祖
「『都巡察使軍官』と称して、一兵卒として従軍(白衣従軍)というかたちにしろ。それと、世子の弐師(補弼指導役)金藎 国が病気を患って任に堪えないといっていたな。かわりに李景奭 を弐師に任命する」

李景奭
「はい」

 実際に李景奭 が瀋陽に赴任したのは9月末である。その瀋陽では、林慶業の起用について鄭命寿に打診が行なわれた。


「明船の到来を防ぐための将に適任者がいないのですよ。林慶業は罪人ではありますが、一兵卒として起用し、その戦功で罪を贖う機会を与えたいのです」

鄭命寿
「林ねぇ…あいつ、義州にいたとき、明人を厚遇してたし、前年の水軍出兵のときは戦いに手を抜いたばかりか、ひそかに明に使者を送ったっていうじゃない。もし、彼があなたたち朝廷の知らないところで勝手に明人と接触したらたいへんなことになるわよ。私は、林を明関係に使っちゃダメって思うわよ」

 
林が密使を送ったこと、きっちりばれているようですねぇ…OTZ

備辺司
「そういうわけで、沿海の防備は都巡察使と平安観察使に任せておいて、林慶業を明関係に留めず、さっさと召還しましょう」

仁祖
「うむ。そうせよ」

 8月23日、その平安観察使から、合計20隻もの明船の到来が報告された。朝廷は、決して陸に上がらせるなという命令を出すとともに、密かに明船に人を派遣して、糧食を送らせ、朝鮮の窮状を訴えさせた。
 また、このころには、丙子胡乱の降伏後、事の顛末を明に報告するために崔鳴吉と林慶業が密使として送っていた僧独歩が帰国し、崇禎帝の勅書をもたらした。そこには、清を挟撃しようということが書かれていたため、備辺司・諸臣下らはこの勅書を極秘扱いにして処理したという。


 何回も何回も触れているように、清と明の戦闘は激烈を極めながらも一進一退の様相をみせていた。

洪承疇
「退くなっ!ここが勝負の分かれ目だぞ!」

呉三桂
「はいっ!」

ドルゴン
「袁崇煥や祖大寿だけでなく、この洪承疇もなかなかしぶといじゃないか。呉三桂ってのも若いくせに勇猛だ。仕方ない。陛下にお出まし願おう」

ホンタイジ
「ドルゴンから救援要請か。よろしい。我が出て明軍を打ち砕いてやろうぞ。出陣!」

鄭命寿
「そういうわけで、世子も大君も従軍ヨロ」

昭顕世子
「了解したわ。で、いつ出発かしら?」

鄭命寿
「8月14日に陛下がご出発だから、15日には出発してね」

鳳林大君
「えーっと、今日が8月12日だから…」

姜氏
「3日後やー。はよ用意せなあかんやん」

 15日早朝、昭顕世子・鳳林大君一行約120人は瀋陽を出発し、ホンタイジ一行に続いて戦場に向かった。

ドルゴン
「陛下、お手を煩わせることをお詫びいたします。陛下の援軍を合わせて、雲梯を使い松山城を一気に攻め落としましょう」

雲梯

「武器と防具 中国編」 篠田耕一 新紀元社より引用

ホンタイジ
「焦るな。兵糧が尽きるのを待つのだ。最前線の城壁から兵を下げ、付け城を張り巡らせて包囲を続行せよ。
 洪承疇の野戦軍だが、営を連ねて塹壕を掘り固く守っているのだな。こちらも正面からぶつかり合っても事態は打開できまい。やはり補給路を断ち士気が落ちたところで一気に覆滅してくれよう」

 8月20日、清軍の別働隊は主戦場を迂回して塔山を襲撃し、貯蔵されていた兵糧を奪取した。

洪承疇
「補給路が襲われたか!陣中の備蓄兵糧はすでに乏しい。これでは野戦は継続できまい。寧遠城に退くしかないか」

呉三桂
「は、はい。兵をまとめて撤退の準備をします」

ホンタイジ
「敵が退却するとしたら、寧遠城しかあるまい。諸将は寧遠への道に兵を伏せて待ち構えろ」

ドルゴン
「はい」

 21日、明軍は損害を受けずに撤退できるよう打ち合わせたが、その夜――

呉三桂
「我が軍はさっさと撤退します。それ撤退〜」



 呉三桂らが勝手に退却したのである。これにより明軍全体の統率が取れなくなり、潰走状態に陥った。

ドルゴン
「陛下のご計算どおりだ!かかれっ!」

 しかも、清軍の伏兵によって、呉三桂らは大敗し、八総兵の一人楊国柱は戦死し、呉三桂・王僕はなんとか寧遠城に逃げこんだ。

洪承疇
「なんたることだ!生き残った兵たちは私のもとに集まれ。松山に入るぞ」

 洪承疇は敗残兵1万をまとめて、松山城に入って守りを固めた。清軍は城を攻めたが落とせず、錦州と同じように包囲することにした。
 この戦いで、明軍の戦死者は5万、鹵獲された軍馬は7千頭にも及んだという。

ホンタイジ
「大勢は決したかな。敵の野戦軍は潰えた。松山・杏山・塔山・錦州の諸城については、これまでどおり包囲を継続してじっくり攻めろ」

ドルゴン
「はい。了解しました」

 洪承疇の野戦軍を壊滅させた清軍は、松山・杏山・塔山・錦州の諸城の包囲を続けて落城を待つこととした。このように戦況は清軍優勢にかたむき、ホンタイジ軍に従軍していた昭顕世子一行もその諸城の戦況視察に赴く機会を与えられた。一行は8月22日に松山城の西南5里の地点に着き、宿営した。

鳳林大君
「兄上、毎晩のように明兵が城を出て夜襲してくるそうです」

昭顕世子
「洪承疇が敗残した野戦軍を率いて逃げこんだから、兵糧の消費量が多くなって困っているそうよ。それで杏山か塔山に移動しようとして出撃してくるのよ」。

鳳林大君
「そうですね。もともとの守備兵1万の1年間分の兵糧ならあるようですが、急に兵数が増えた上に、糧道は断たれましたし。それにしても、ここは前線過ぎて危ないです。砲弾が幕営のそばに飛んできました!」

昭顕世子
「えっ?!ほんとだわ、危ないわね…銃砲といえば我が朝鮮軍の銃兵もがんばっているようね」

鳳林大君
「は、はい。しかし、失策もあったりしましてなかなか苦労しているかと」

 仁祖実録1641年(仁祖19年)5月4日条によれば、錦州攻防戦のおり、星州軍に属する金得平の射撃は命中せず、また李士龍の射撃も当たらず(『丙子録』によれば40発余り撃って当たらなかったという)、清軍の監督官は激怒して李士龍を斬り、金得平を杖刑に処したという。
 あまりにも重過ぎる処罰のようであるが、仁祖実録の9月7日条にはこのような文章がある。

清人囲錦州、数与漢兵交戦、而漢兵尚強、九王請済師于汗、汗使八王、率騎赴之。清人疑我国砲手、戦不力、露刃脅之。是役也、漢兵死亡甚多、而中砲者十居七八、漢人自此恨我国益深。

 清軍からは手を抜いているんじゃないかと疑われ、刀を突きつけられて「督戦」され、明兵の戦死者の多くは(10のうち7、8)銃弾に当ってのものだったと書かれるほど活躍したら、そのせいで明人は朝鮮人をますます深く怨むようになったという……属国になるって辛いですねぇ…

 一行は9月12日まで松山近辺に留まって前線を視察し、18日に瀋陽に帰還した。
 ここで朝鮮に目を向けると、相変わらず平安道近海に明船が出没していた。

仁祖
「清人の詰問も怖いしなぁ。沿岸部を厳しく警備して明船の接近を清に報告しろ」

備辺司 役人
「はい。明船が出没しだして1ヶ月になりますが、もしやつらの糧食が尽きれば、上陸して掠奪をするかもしれません。多数の兵を展開し近づき難いことを見せつけ、密かに人を遣わして、ここに留まることが無益だと説明すればいいでしょう。今ちょうど都巡察使の沈演が行っておりますから、彼に状況を観察させ対応させましょう」

仁祖
「よし、そうしよう。それと平安道観察使の鄭太和に命じて密かに明船に糧食を送らせろ」

 12日後の9月22日、都巡察使沈演から明船が撤退したという報告がされた。これにより沿岸部に集結させていた兵を解散し、1千人だけを留めて警戒を続けることになった。

 瀋陽に話を戻すと、12月12日、鄭命寿が昭顕世子のもとを訪れた。

鄭命寿
「ねぇ、あなたたちここに来て5年になるけど、自力で生計を立てていないわよね。蒙古の王族や大臣たちは自分たちで耕作とかをして自給しているわよ。耕地をあげるから、来年からは生活物資を自給しなさいよ」

昭顕世子
「……食物など私たちの生活物資は、本国から送ってもらっているわね。たしかに、その調達輸送だけでもかなりの負担を民にかけているのに、さらにここでの耕作をさせるなんてとてもできないわ」

鄭命寿
「……」

 鄭は無言のまま帰ったが、翌日再びやってきた。

鄭命寿
「昨日の話だけどさ、耕作や放牧・草刈に適した場所を3つ決めてきたわ」

李景奭
「だ、だけど、耕作する労働者を大量に購入調達するのは簡単じゃないわよ」

鄭命寿
「労働者は明人を使えばいいわよ。あいつら農業になれているし、購入価格も安くなっているし」

昭顕世子
「え?ええーっ?」

鄭命寿
「ぜひやりなさいって♪」

 昭顕世子は鄭に押し切られたかたちで、自給自足を開始することになった。翌年3月4日、正式に沙河堡の田地が下げ渡され、購入した明人や、身代金を払って返還された朝鮮人捕虜たちを使役しての耕作が始まった。

鄭命寿
「そうそう、金尚憲たちの処分について伝えなきゃいけないことがあるから、後日、うちの役所に来てね」

 12月21日、役所に呼び出された昭顕世子に対して、龍骨大・鄭命寿らが、金尚憲らの処分について申し渡した。

英俄爾岱
「では、陛下のお言葉を伝えるぞ…金尚憲は死罪に処すべき重罪人だが、病気が重いと聞いている。他の4人も同様に病気を患っており苦しんでいるようだ。で、尚憲は老齢だが才智がある。最前線の錦州に送って功績を立てさせるか、義州に送って拘留するか、世子どのが選ばれよ、とのことだ」

昭顕世子
「まことに寛大な処置をいただきありがとうございます。陛下のご処置について私が何を申し上げることができましょうか」

鄭命寿
「殊勝な心がけね」

英俄爾岱
「わかった。陛下に報告し、新たなご指示をいただいてくるから、しばらく待て……では、あらためて陛下のお言葉を伝える。5人は義州にて抑留し、しばらく様子を見ろとのことだ」

 これにより、昭顕世子の北館に拘禁されていた金尚憲・調善僉蔡以恒・申得淵・朴の5人は翌日拘禁を解かれた。
 ……おい、朴はいつの間に拘禁されていたんだよ?

昭顕世子
「長い間、ご苦労様でした」

金尚憲
「世子さまからじかにお酒を賜るとは、感激でございます」

申得淵
「明日出発と聞きましたが」

鳳林大君
「はい。義州(朝鮮平安道北部の義州ではなく、錦州近辺の義州)で、抑留を続けるとのことです」

姜氏
「そんでもやー、今の拘禁よりはましな待遇になるらしいでー」

李景奭
「今回の寛大な処置については、鄭命寿がかなり尽力してくれました。彼もそれを自認しており位階の加増を望んでいるようですので、位階を加増するよう殿下に建議します」

昭顕世子
「そうね。位階加増なんて安いものね。さっそくやってちょうだい」

 翌日、金尚憲らは義州に向けて出発し23日に着いた。年が明けた1642年1月9日、その金から上疏が送られた。

備辺司
「金尚憲から上疏が来たそうですね」

仁祖
「うむ。死地を逃れて無事生還したことを喜ぶ内容だ。私も彼が無事生還したことを嬉しく思う。向こうでは物資も乏しく苦労するであろう。衣服や生活費を送ってやれ」

備辺司
「はい、そうします。それと李景奭 から今回の処置に功のあった鄭命寿に位階を加えてはどうか、という状啓がきています」

仁祖
「よろしい。鄭に位階を加えよ」

 これにより、翌10日には、鄭に「正憲階」という位階が加えられた。これは「正二位」の階位であるらしい。正二位といえば、六曹(吏曹・戸曹・礼曹・兵曹・刑曹・工曹)の長官である判書になれる階位である。

鄭命寿
「ただの奴隷だった私がここまで来るなんてねぇ♪コリアンドリームね♪……そうそう、陛下から伝言よ。2月3日に狩猟に出るので、世子殿と大君殿も同行してほしいって」

昭顕世子
「わかったわ」

 この年の正月には、蹴鞠を観戦するなど、昭顕世子がホンタイジに随従する行事が多くなった。ひとつには、最前線の錦州・松山の戦況がゆっくりではあるが優勢に進んでいたため、ホンタイジのほうに余裕が出てきたこともあるだろう。
 その松山では、洪承疇が籠城を続けていたが、援軍もなく兵糧も乏しくなってきた。そのため幾度と無く突出を試みたが失敗に終わり、閉塞感が漂ってきた。これをみた副将の夏承徳は寝返りを決意し、息子の夏舒を人質として清軍に送った。

ホーゲ
「ええ話やな。深夜に雲梯をかけて城壁を越えるで。さっそく準備をせぇ」

洪承疇
「なにっ、敵襲だと!防戦しろ!…ば、ばかな、内通者が出たのかっ?!」

 夏承徳の内通もあって清軍は勝利し、洪承疇のほか、巡撫の邱民仰、八總兵の王廷臣・曹変蛟・祖大楽、遊撃将軍の祖大名・大成らが捕虜となり、ついに松山は陥ちた。

ドルゴン
「ようやく陥落させることができたか。次は祖大寿の錦州だ」

祖大寿
「松山が陥ちたか…これで援軍も来るあてはなくなったな…」

 包囲中である松山・杏山・塔山・錦州の中で、1万以上の兵を擁しもっとも強大であった松山が落城したことで、ついに祖大寿は開城を決意し、将士官吏を引き連れて城門を出た。

范文程
「これで2回目のサレンダーねん♪今度はほんとうかしら?」

ドルゴン
前回は、養子を人質に出して降伏しておいて逃走したからなぁ…それにしても陛下はあの男をよほど気に入っておられるようだ」

 前回、祖大寿が逃走したにもかかわらず、人質になった養子の祖可法が殺されるどころか、正黄旗に配属されて任用され続け、さらに同時に降伏していた実子の沢潤・沢溥・沢洪も同様に任用され続けたたことは、ホンタイジが祖大寿を気に入っていた傍証になるだろうか。
 松山・錦州が落ちたことで、残った塔山・杏山も開城し、ついに清軍は全面勝利をおさめた。これで山海関以北の明拠点は寧遠城を残すのみとなった。
 5月、ホンタイジは、洪・祖ら降伏した将官を引見した。

ホンタイジ
「お前たちは我と干戈を交えたが、主のためにやったことであり、我の気にするところではない。我が勝利をおさめたのは天のおかげゆえ、お前たちにもまた恩を施すことにしたい。お前たちが我の恩を知りそれに報いるのなら、我に仕えて力を尽くしてくれ」

洪承疇    祖大寿
 「は、はいっ」

ホンタイジ
「うむ、そう恐縮せずに茶でも飲め。ところで承疇に訊ねたい。我が明の皇帝のやり方を見ていると、将帥が勇戦して捕らわれたり戦死したり、あるいは力尽きて降伏した場合、その妻子は誅殺されるか奴婢にされている。これは旧来の制度なのか?それとも新しい制度なのか?」

洪承疇
「…旧来のものではありません。近頃、廷臣たちが述べたところを奏上してから始まった制度です」

ホンタイジ
「そうか…君主は暗君で臣下は君主の目を蔽い、道理を歪めて多くの人々を殺しているのだな。将帥が捕らわれたり降伏しても、財貨を使ってその罪を贖うことができるというのに、どうして妻子をも殺したり奴婢にするのか…嘆かわしいことだ」

洪承疇
「……はい」

 中国社会においては、将帥はいわば随意契約のような感じで朝廷から「戦勝」を請け負った業者のようなもの(予算として支給される軍事費から「請負手数料」のようなかたちで自分の取り分を懐に入れる)であり、敗戦すれば「契約不履行」ということで自分や一族の身柄を処断されるか、契約不履行の罰金というか保釈金のようなかたちで財貨を支払って赦されるのが通例であった。むろん「請負手数料」をふんだくろうとする不正請求やあまりにもボリ過ぎる取り込みなどもあるわけで、その手口については『斜め上の雲』12で少し触れた。

 実を言えば、無断で前線を撤退遁走して寧遠城に逃げこみ、明軍を崩壊させた張本人といわれても仕方のない呉三桂も、父祖以来蓄えられた財貨を支払って罪を問われることを逃れたばかりか、かえって山海関以北の戦線司令官(遼西守備)に昇進してしまい(洪承疇や祖大寿といった上官や同僚に当る将官がごっそりいなくなってしまったせいでもあるが)、兵4万と民兵7、8万を擁して寧遠城に拠り侮れない勢力に成長していたのである。

ホンタイジ
「大寿、お前は呉三桂の叔父であったな。我が投降を勧告するよう勅書を出すゆえ、お前はそれを持って使者を彼のもとに送れ」

祖大寿
「三桂は撥ねっ返り者ですが妙に意固地なところもあるので、効果があるかどうかは分かりませんが…やってみます」

明軍将官
「呉三桂将軍、祖大寿さまから使者が来ました」

呉三桂
「ホンタイジの勅書を携えてきたようですね…どれどれ、投降勧告ですか…」

明軍将官
「いかがいたしましょう?」

呉三桂
「そうですね……黙殺しましょう」

 ホンタイジはこのような誘降を試みただけでなく、明との講和についてもアジゲを担当窓口にして交渉を始めていた。錦州・松山で全面勝利は得たものの、それ以上戦争を継続して成果を獲得することは困難であり、市場交易の復活を狙っての講和交渉を目論んだのである。流賊の横行に悩む明の崇禎帝のほうも兵部尚書の陳新甲を担当にしてひそかにその交渉を進めた。
 朝鮮のほうもそういった動きについても気にかけていたようであり、5月17日に一旦帰国した弐師の李景奭 に対して仁祖はこんな質問をした。

仁祖
「明と清が講和をするという話を聞いたが、信じられるのか?」

李景奭
「明将祖大寿は力尽きて降伏し、数万もの兵が一瞬にして殺されました。国内では流賊が蔓延り、宦官が権力を握っています。講和の話については知ることができませんが、中華の命運は衰えるしかないでしょう」

 だが、8月、密かに講和を進めていたことが明の廷臣たちに露見し、陳新甲は弾劾を受けて失職し、けっきょく獄死した。これにより、講和交渉も一頓挫するに至った。
 こうして、この1642年秋には、清明関係に奇妙な停滞感が漂うようになったが、清と朝鮮関係のほうはそうもいかなかった。10月6日、瀋陽の昭顕世子はホンタイジから密勅を受けて鳳凰城に向かった。その日は沙河堡に宿泊することにしたが、日暮れ時の薄暗くなってきたころ、不意に英俄爾岱がやってきた。

英俄爾岱
「世子殿、崔鳴吉・李顕英・李植、備辺司の有司堂上(常任委員)、司憲府と司諫院の長官、前平安観察使沈演・前兵使金応海・前宣川府使洪頣 性を鳳凰城に連行しろ。それと現任の平安道観察使・義州府尹も出頭させろ」

昭顕世子
「(い、いきなりどういうことよ?!)」


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