斜め上の雲 2

朝鮮戦争




 朝鮮戦争とは、なにか。
「朝鮮戦争とは、冷戦構造の成立による米帝の覇権侵略戦争である」
 という定義が、隣国のいわゆる進歩的学者たちのあいだで相当の市民権をもって通用した。
 あるいは、
「日帝の侵略、米ソの対立がもたらした民族分断であり、ウリナラを食いものにした特需で焼け野原の日本が復興した」
 ともいわれる。というような定義があるかとおもえば、積極的に韓国の立場をみとめようとする意見もある。
「北朝鮮は武力による韓半島統一をのぞんでいた。さらに北方のソ連は、北朝鮮に対し、援助をふやしつつあった。韓国はこれに対し、民族の統一という立場から北朝鮮に対し平和的な統一体制の構築をはかろうとした。が、北朝鮮は暴慢であくまでも武力による韓半島統一に固執し、侵略してきたため、韓国は独力でそれをみごとに排除した」
 前者にあっては韓国はあくまでも悲劇的な、大国の野望に翻弄される被害者のすがたであり、後者にあってはこれとはうってかわり、英姿さっそうと亀甲船にのる不滅の李舜臣のようである。ウリナラの歴史像を被害者か善玉かという、極端でしかとらえられないというのは、いまの韓国歴史学のぬきさしならぬ不自由さであり、その点のみからいえば、韓国歴史学は実証精神をよりすくなくしかもってないか、もとうにも持ちえない重要な欠陥が、宿命としてあるようにもおもえる。

 他の科学に、そのような決めつけかたはない。たとえばカプサイシンは善玉でES細胞は被害者であるというようなことはないであろう。そういうことは絶対ありえないという場所ではじめて科学というものが成立するのだが、ウリナラの歴史学の不幸は、むしろ逆に韓国は正義でまちがっていないと決めつける地点から成立してゆくというところにある。

 朝鮮戦争とはなにか。
 その定義づけを、この物語においてはそれをせねばならぬ必要が、わずかしかない。
 そのわずかな必要のために言うとすれば、善でも悪でもなく、世界の歴史のなかにおける朝鮮半島という地域の地政学的命題としてこのことを考えてゆかねばならない。

 ときに、韓国は二十世紀中盤にある。
 米ソはたがいに味方国を増やそうとうごき世界史はいわゆる冷戦のイデオロギーでうごいている。
 韓国という国は、アメリカの自由主義陣営の一国として、この時点から二年前に国家として誕生した。

「大韓民国」というのは、考えてみれば漫画として理解したほうが早い。
 すくなくとも、世界はそうみた。ほんの四十余年前まで路上に大小をながし、義州街道を一輪の車でゆき、世界じゅうのどの国にもないまげと独特の民族衣装を身につけていたこの国民が、いまはまがりなりにも、民主主義的な国会をもち、法律をもち、日米式の軍隊をもっている。
「奇跡だ」
 と、西洋人はいった。
 これを奇跡というなら、たねがいる。三十余年間統治した日本がたね元であることはたれもが認めざるをえなかった。

 明治維新後、国をあげて欧化してしまった日本と日本人は、特アの隣国からみれば笑止な、小面憎い存在としてしかみえなかった。
 しかし、当の日本と日本人は大まじめであった。西洋を真似て西洋の力を身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になるとおもっていた。日本のこのおのれの過去をかなぐりすてたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡が賭けられていた。
 西洋が興隆したそのエネルギー源はなにか、という点では、日本人はそれが帝国主義にあるとみた。帝国主義は西洋諸国の生命の源泉であると見、当然ながらそれをまねようとした。西洋の帝国主義はすでに年季を経、劫を経、複雑で老獪になり、かつては強盗であったものが商人の姿をとり、ときに変幻してヒューマニズムのすがたをさえ仮装するまで巧緻になっていたが、日本のそれはひどく大仰で、植民地を自国の国土としてあつかうというたてまえを本気でやってしまったため、収奪という点ではまったくそろばんにあわず、結果として骨折り損のくたびれもうけにみえる面がある。

 朝鮮半島も日本帝国の一部としてあつかわれ、鉄道や道路などのインフラが整備され、社会資本が蓄積された。むろん日本の利益のためにおこなわれた。正確にいえば、日本人となった朝鮮人の利益のためでもあった。
 帝国主義の本家である西洋のばあい、多分に植民地を家畜とみなして搾取する実用的(プラグマティック)な統治政策をとっていたが、日本は看板どおりにはゆかなかったものの、大まじめにかれらを同胞としてあつかった。たれが家畜のために学校を建て、固有の文字を教えるだろうか。
 古来、日本の帝国主義については議論がやかましいが、朝鮮、それに台湾の近代化の土台となったことについてはうたがいえない。「大韓民国」の成立もその果実のひとつであったということは考えられていい。

 そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。
 原因は、朝鮮にある。
 といっても、韓国や北朝鮮に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある。
 ゆらい、半島国家というものは維持がむずかしい。この点、ヨーロッパにおけるバルカン半島やアジアにおけるベトナム(安南)などがそれを証明しており、朝鮮半島じたいも五十数年前に日清戦争でそれを経験している。

 日本の敗戦後、米ソは朝鮮半島に進駐した。
「朝鮮民族の自主独立をみとめ、完全独立国にせよ」
 というのが、朝鮮人たちの関係諸国に対するいいぶんであり、米ソによる分断状況を解決するため、最高で五年間朝鮮半島の信託統治をおこなうとした米英ソ外相の声明に対してもはげしく反発した。
 国連では朝鮮全土での総選挙実施を決議したが、人口の南北比で不利とみたソ連はこれを拒否し、国連の臨時朝鮮委員会の北朝鮮入りを阻止した。
 これをみて、アメリカは南鮮に大韓民国を樹立、ソ連も北鮮に朝鮮民主主義人民共和国を樹立した。
 当然ながら、南北はたがいに朝鮮半島唯一の正統政権であることを主張し、国境ではこぜりあいもしばしばあった。

 話を、変えたい。
 どのように朝鮮戦争の開戦を説明すべきか、筆者はあれこれとまよっている。
 いっそ、兪成哲というこの当時北朝鮮の軍幹部の行動から察してゆくほうが、ひょっとすると早いかもしれない。
 兪成哲は北朝鮮軍作戦局長として朝鮮戦争にかかわり、一九五九年、粛清を受けソ連に追放されたのち、韓国日報に回顧録を掲載した人物である。
 一九五〇年四月下旬、兪は北朝鮮軍総参謀長の姜健から書類と地図をわたされた。
「兪局長、君が責任者としてこれを検討して朝鮮語に訳して仕上げてくれ」
 書類の表紙にはロシア語で「先制打撃作戦計画」と書かれている。
「地図を広げてもよいでしょうか」
「許可する」
 机の上にひろげられた地図は縦三メートル、横二メートルの大きさであり、「朝鮮人民軍先制打撃計画」と標題がしるされていて、各部隊の作戦行動や攻撃目標などがおおまかに書きこまれていた。
 兪がおどろき、ついに南朝鮮の解放ですか、と問うと、姜は声をひそめ、
「これは草案だが、すでに金首相もご覧になっている。二日でソウルを陥とし、三週間で釜山まで進撃、光復節(八月十五日)までには全土を解放したいとのご意向だ」
 といった。
 すでに二月には、金日成が南朝鮮解放にはさらに三個師団の増強と装備・軍需品の追加が必要であるとスターリンに要請し、スターリンもそれを受諾して軍需物資をおくっていた。また三月中旬には三十八度線五キロ以内の住民は退去させられており、開戦が近いというのはうすうす感じられたことではあった。
「ソ連の発案ですね」
 計画書はロシア語で書かれている。作戦局長としてはおもしろいはずもない。しかしソ連の軍事顧問団と軍事援助をたよる以外に南朝鮮を解放する方法はない。

 兪成哲作戦局長を作業責任者としたチームが、作戦に検討をくわえ、朝鮮語への翻訳作業を終えたのは一ヵ月後のことであった。
 完成した作戦計画書はすぐに首相金日成にわたされた。
「二ヵ月でかたをつける。アチソン声明によって美国は介入してこまい」
 計画書を一読した金日成は姜健総参謀長を見ていった。作戦の成否はアメリカの対応にかかっているといっていい。
「はい。地・空の戦力はともに南を圧倒しております。介入する気があっても間にあわないでしょう」
 総参謀長は即座に答えた。
「よろしい」
 首相は作戦計画書に裁可のサインをした。攻撃開始日は六月二十五日の午前四時とさだめられた。

 金日成は、謀略を重視した。
 しかも謀略は担当機関だけにまかせることをせず党の全精力をかたむけた。開戦にいたるまでは徹底して平和を模索するかのような言動をとるという点で、東側特有のやりかたであった。
 たとえば四月には北朝鮮各地で人民の自発的行動による平和擁護アピール署名運動がおこり、六月上旬には最高人民会議の常設委員会が「平和的祖国統一推進」と号して南北総選挙の実施を提案した。
 すべて偽装工作であった。この間、韓国軍の機能はねむったがごとくうごいていない。

 とはいえ、たれもが油断していたというわけではない。
 情報部の白善局長や金鐘泌中尉、粛軍による除隊後嘱託として情報局に勤務していた朴正煕元少佐は、北の動向をほぼつかんでさかんに警告をつづけていた。
 であるのに、政府の無反応はどうであろう。北の平和攻勢を額面どおり信じきっていたほどおろかではないであろうが、米軍の楽観的な観測に引きずられていたということはいえるかもしれない。
 ひとついえるのは、李承晩をはじめ政府の要人たちに覚悟が不足していたということである。

 はなしは粛軍まえにさかのぼる。
 韓国軍が連隊ごとに独立採算制をとり食いぶちをかせいでいることは以前にふれた。そのなかには米ソ軍政当局の合意のもとで成立した北との物々交換の交易もあった。アメリカ産の薬品や自動車タイヤなど軍需物資とされるものを輸出し、スケソウダラを輸入するというものであった。
 着任したばかりの第一師団長はこれをみて激怒した。
「国防上の利害をわかっているのか」
 しかも幹部による利益の着服や横流しがあり、そのうち赤化分子の手によってすくなからぬ資金が南労党の活動資金にあてられているという。
 これはもはや利敵行為ではないか、とかれはその非を李承晩大統領に直言した。
 面と向かって批判されたことで李承晩は逆上した。
 師団長は即刻解任され予備役に編入された。一種の火病といっていいかもしれない。

 また、米軍が持ちこんだバーやキャバレーに入りびたる将校らがふえ、あいかわらず日本式の軍紀による質素かつ峻厳な兵営生活を維持する下士官や兵たちの怨嗟の的となった。
 とうてい敵国を前面にかかえている覚悟があったとはいえないであろう。

  

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くるみ「さて、第2回。とりあえず元ネタの原文いってみよう」

じじぃ「『坂の上の雲』2巻の日清戦争開戦直前「日清戦争」じゃ。以下原文じゃ」


 戦争がはじまろうとしている。
 いわゆる日清戦争である。日本の近代史がはじめて経験したこの対外戦争を、この物語のなかにおける三人の伊予人も、当然ながらそれぞれの場所で経験してゆく。
 日清戦争とは、なにか。
「日清戦争とは、天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得戦争である」
 という定義が、第二次世界大戦あと、この国のいわゆる進歩的学者たちのあいだで相当の市民権をもって通用した。
 あるいは、
「朝鮮と中国に対し、長期に準備された天皇制国家の侵略政策の結末である」
 ともいわれる。というような定義があるかとおもえば、積極的に日本の立場をみとめようとする意見もある。
「清国は朝鮮を多年、属国視していた。さらに北方のロシアは、朝鮮に対し、野心を示しつつあった。日本はこれに対し、自国の安全という立場から朝鮮の中立を保ち、中立をたもつために朝鮮における日清の勢力均衡をはかろうとした。が、清国は暴慢であくまでも朝鮮に対するおのれの宗主権を固執しようとしたため、日本は武力に訴えてそれをみごとに排除した」
 前者にあっては日本はあくまでも奸悪な、悪のみに専念する犯罪者のすがたであり、後者にあってはこれとはうってかわり、英姿さっそうと白馬にまたがる正義の騎士のようである。国家像や人間像を悪玉か善玉かという、その両極端でしかとらえられないというのは、いまの歴史科学のぬきさしならぬ不自由さであり、その点のみからいえば、歴史科学は近代精神をよりすくなくしかもってないか、もとうにも持ちえない重要な欠陥が、宿命としてあるようにもおもえる。
 他の科学に、悪玉か善玉かというようなわけかたはない。たとえば水素は善玉で酸素は悪玉であるというようなことはないであろう。そういうことは絶対にないという場所ではじめて科学というものが成立するのだが、ある種の歴史学の不幸は、むしろ逆に悪玉と善玉とわける地点から成立してゆくというところにある。
 日清戦争とはなにか。
 その定義づけを、この物語においてはそれをせねばならぬ必要が、わずかしかない。
 そのわずかな必要のために言うとすれば、善でも悪でもなく、世界の歴史のなかにおける日本という国家の成長の度あいの問題としてこのことを考えてゆかねばならない。
 ときに、日本は十九世紀にある。
 列強はたがいに国家的利己心のみでうごき世界史はいわゆる帝国主義のエネルギーでうごいている。
 日本という国は、そういう列強をモデルにして、この時点から二十数年前に国家として誕生した。

(中略)

「明治日本」というのは、考えてみれば漫画として理解したほうが早い。
 すくなくとも、列強はそうみた。ほんの二十余年前まで腰に大小をはさみ、東海道を二本のすねで歩き、世界じゅうのどの国にもないまげと独特の民族衣装を身につけていたこの国民が、いまはまがりなりにも、西洋式の国会をもち、法律をもち、ドイツ式の陸軍とイギリス式の海軍をもっている。
「猿まね」
 と、西洋人はわらった。
 模倣を猿というなら、相互模倣によって発達したヨーロッパ各国民こそ老舗のふるい猿であるにちがいなかったが、しかし猿仲間でも新店の猿はわらいものになるのであろう。

(中略)

 いずれにしても、維新後国をあげて欧化してしまった日本と日本人は、先進国家からみれば漫画にみえ、アジアの隣国からみれば笑止な、小面憎い存在としてしかみえず、どちらの側からも愛情や好意はもたれなかった。
 しかし、当の日本と日本人だけは、大まじめであった。(中略) 西洋を真似て西洋の力を身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になるとおもっていた。日本のこのおのれの過去をかなぐりすてたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡が賭けられていた。
 西洋が興隆したそのエネルギー源はなにか、という点では、日本の国権論者はそれが帝国主義と植民地にあるとみた。(中略)帝国主義と自由と民権は渾然として西洋諸国の生命の源泉であると見、当然ながらそれをまねようとした。西洋の帝国主義はすでに年季を経、劫を経、複雑で老獪になり、かつては強盗であったものが商人の姿をとり、ときに変幻してヒューマニズムのすがたをさえ仮装するまで巧緻になっていたが、日本のそれは開業早々だけにひどくなまで、ぎごちなく、欲望がむきだしで、結果として醜悪な面がある。

 話を、変えたい。
 どのようにこの当時の日本やそのまわりの状態と状況を説明すべきか、筆者はあれこれとまよっている。
 いっそ、小村寿太郎というこの当時中国に派遣されていた外交官の言動から察してゆくほうが、ひょっとすると早いかもしれない。

(中略)

 そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。
 原因は、朝鮮にある。
 といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある。
 ゆらい、半島国家というものは維持がむずかしい。この点、ヨーロッパにおけるバルカン半島やアジアにおけるベトナム(安南)などがそれを証明しており、たまたまこの日清戦争の直前、ベトナムにおいてよく似た問題がおこっている。(後略)

(中略)

「朝鮮の自主性をみとめ、これを完全独立国にせよ」
 というのが、日本の清国そのほか関係諸国に対するいいぶんであり、これを多年、ひとつ念仏のようにいいつづけてきた。

(中略)

 川上は、諜報を重視した。
 しかも諜報は諜報屋だけにまかせることをせずかれの配下である参謀将校のなかからもっとも優秀な者をえらび、敵地に潜入させた。それらがいざ開戦のときには作戦を担当するという点で、他の国とのやりかたがちがっていた。
 たとえば明治十七年、清国が安南(ベトナム)の問題でフランスと戦うや、川上は、
「清国の軍隊の実情を調査せよ」
 と、おおくの参謀将校を現地に派遣した。(後略)
 すべてプロシャ式であった。この間、清国陸軍の機能はねむったがごとくうごいていない。



ベッキー「兪成哲については『悪魔祓いの戦後史』(稲垣武)を手本とし『朝鮮戦争』(児島襄)などを参考とした。本文にあるとおり、のち粛清を受けてソ連へ追放され、回顧録を韓国日報に連載した人物だ。ソ連軍事顧問団の関与については彼も書いているが、92年に旧ソ連の軍事資料の中から作戦計画の地図が発見され(地図の寸法はそこから拝借)、彼の記述が裏付けられたんだ。また、スターリンへの要請電報についてもそこで発見された」

くるみ「朝鮮戦争は北から仕掛けたっていうのは定説じゃないの?」

ベッキー「昔はそうでもなかったんだよ。左翼を中心にして、韓国が攻め込んだとか本気でいう連中が多かったんだよな」

ちよ「藤原彰・遠山茂樹らの書いた『昭和史』が典型的です」

ベッキー「社会党のイデオローグだった中川信夫は、90年代になって、兪成哲らの証言やソ連崩壊によって資料が出てきても、なお韓国の北侵説を唱えていたからな。筋金入りの左翼思想基地外信徒だよ」

芹沢「信託統治ってなんだ?」

ベッキー「ようは、「お前ら朝鮮人はまだまだ未熟だから主権を持たせられん。しばらくうちが面倒を見るぜ」ってことだよ。
 で、当然の如く朝鮮人は信託統治案に対して「朝鮮民族には統治能力がないというのか!」と全土で反対運動を起こす。ちなみに当時の写真を見ると、横断幕には「信託統治絶對反對」と旧字で書かれている。
 だが、北朝鮮や南労党など共産主義勢力は、ソ連の意向を汲んで途中から賛成に転じたわけだ。民族主義者にとってはそれも嫌だったろうな」

芹沢「しっかしよぉ、平和を模索するかのような偽装工作と日曜日夜明けの奇襲って、もろに北朝鮮らしいやり方だよな」

ちよ「遊撃隊、パルチザン国家という本質は今でも変わってないのですが」

ベッキー「こういった歴史に学べば、やつらがいかに信用できない連中かが分かるはずなんだが。話し合いなんて通じないんだ。向こうが話し合いに応じるときは、追い詰められて力の圧倒的な差を痛感したときか、なにか陽動作戦を企んでいるときだけだ」

くるみ「え……北朝鮮に軍需品を輸出して食糧を買っていた?何これ?」

ベッキー「スケソウダラの交易事件は49年の話だ。いわゆる「メンタイ事件」というやつで、李承晩大統領に直訴して解任された師団長というのは金錫源准将だ」

ちよ「金錫源は陸士卒業後北支戦線で戦い、山西で優勢な中国軍に全滅を賭して攻撃を敢行、勝利を収めて、さらに難攻の要塞を落としたことで金鵄勲章を授けられました。この「二等国民」が日本人を率いて中国軍を撃破したというニュースによって、朝鮮人志願兵が増えたといいます。
 また、情報局長白善は平壌出身、満州軍の軍人として、匪賊討伐で勇名を馳せ、戦後は友人ら3人で越南し、韓国軍に入隊、その基礎となりました。野戦軍を率いて麗水・順天の反乱軍を討ったあと、情報局長となって南労党の摘発で功績をあげました。当然朝鮮戦争でも野戦軍を率いて活躍しています。以後のはなしでも登場していただきます。
 なお、弟の白仁は兄より一足早く先に越南、同じく韓国軍を率いて反乱鎮圧・朝鮮戦争で活躍しました」

ベッキー「朴正煕については説明は不要だろう。粛軍で白善に摘発されたあとはすすんで捜査に協力し、除隊処分後に白に助けを求めて、嘱託扱いで情報局勤務となった。白善に善処を訴えたときの姿は卑屈ではなく堂々としており、白は胸を打たれたという」

ちよ「その嘱託時代に金鐘泌、張都暎ら、後年にともにクーデターを起こす人々との人脈ができました」

芹沢「しかし、なかなか朝鮮戦争がはじまんねぇなぁ」

姫子「はやく戦争になぁれ」

ベッキー くるみ 芹沢「キャラも台詞もちがう!」

ちよ「こ、これが桃月学園ですか!あなどれないです」

  

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