戦後朝鮮人の送還について 1



上原都 「今シリーズは、戦後の朝鮮人の送還について、主にGHQ指令のSCAPINを通して見てゆく予定よ。これまでにアップした『移入華人及朝鮮人労務者の取扱に関する件』と『昭和21年度第2予備金支出要求書朝鮮人送還費』とかとかぶるところも多くなりそうね」

神楽「そうか。内容的にはかなり関連してくるもんだよな」

綿貫響「え?「今シリーズ」って言ったわよね。単発モノじゃないの?」

上原都「そうよ。かなり長引きそうなので、何回かに分けてやるつもり」

綿貫響「だけど、この辺って『獄長日記』でも取り上げていたわよね?パクリになっちゃうんじゃない?」

上原都「その点はだいじょうぶよ。後で説明するかとは思うけど、獄長とはこういうやりとりをしているから」

▲現状

白鳥鈴音「いちおう許可はもらってるんだね。で、取り掛かってみたわけだー」

上原都「そういうこと。だから今回は獄長日記の引用紹介も多くなるわ。というか、いきなりしょっぱなっから獄長日記の引用よ。4月22日エントリーを見て」

獄長日記 朝鮮人集団移入労務者の帰国(一)

アジア歴史資料センターの『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』の3ページ目〜9ページ目と26ページ目〜27ページ目に、1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』という文書があります。

どちらが正式に流された文面かは不明ですが、ここでは、文字等読みやすさ等の観点から26ページ目〜27ページ目をテキストに起こす方向で。 ってことで、1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』。


厚生省勤労局長
厚生省健民局長
内務省管理局長
内務省警保局長

各地方長官殿


朝鮮人集団移入労務者等の緊急措置に関する件

一.関釜連絡船は近く運行の予定にあり。
朝鮮人集団移入労務者は、次の如く優先的に計画輸送をなす。
尚、石炭山等に於ける熟練労務者にして在留希望者は、在留を許容すること。
但、事業主に於て強制的に勧奨せざること。

(1) 輸送順位は概ね土建労務者を先にし、石炭山労務者を最後とし、地域的順位に付ては運輸省に於て決定の上、関係府県・統制会・東亜交通公社に連絡す。
(2) 所持品は携行し得る手荷物程度とし、有家族者の家族も同時に輸送す。
(3) 内地輸送中の弁当に付ては考究中なるも、可及的多量に携行せしめること。
(4) 釜山迄は必ず事業主側より引率者を附し、釜山に於て引渡のこと。
(5) 目下の処、輸送能力僅少(1日平均1,000名以内)なるを以て、輸送完了迄には相当長期間を要する見込に付、其の間動揺せしめざる様指導すること。
(6) 帰鮮者の世話は、地方興生会をして極力之に当らしむると共に、下関の宿泊施設には中央興生会経営の移入労働者教育施設を利用せしむる方針なること。

二.帰鮮せしむる迄は、現在の事業主をして引続き雇傭せしめ置き、給与は概ね従来通と為すべきも、8月15日以降差当り左の如く措置すること。

(一) 従前通就業する者に付ては事業主をして

(1) 賃金に付ては、賃金規則により従前通給与し得る如く計算を行はしめ置くこと。
(2) 賃金の支給に付ては、当座の小遣として必要なる程度の現金を本人に手渡し、残額は各人名儀の貯金となし、事業主に於て保管し置くこと。
(3) 右措置は、鮮内との通信杜絶に依る已むを得ざるものにして、将来帰鮮の際、貯金は必ず本人に渡す旨の周知徹底を図ること。

(二) 休廃止工場・事業所及操業工場・事業所の移入朝鮮人労務者にして、就業せざるに至りたるものに対しては、事業主は差当り標準報酬日額の6割以上の休業手当を支給し、宿舎食糧等に付従来通の取扱をなすこと。
 (今後の状勢に依り、右休業手当の支給に要する費用に就ては、国家補償の途を講ずることあるべきこと)

(三) 家族送金(補給金を含む)に就ては、別途指示す。

三.集団移入労務者にして、遊休の儘事業主に雇傭せられある者に対しては、地方庁に於て適宜道路工事・焼跡清掃其の他臨時作業に集団労力として稼働せしめ差支なきこと。
但し、此の場合は従来の事業主と労務者の関係は其儘とし、一轄之を使用し、稼働場所は概ね同府県内に止め、之が掌握困難に至るが如き方面への転用は差控へること。
尚、此の場合に於ける給与に付ては、昭和20年7月30日附勤発第848号、厚生省勤務局長及軍需省管理局長通牒「勤労協力を為す者の給与」に依らしむること。

四.一般既住朝鮮人の帰鮮に就ては、帰鮮可能の時機に至らば詳細指示するに付、それ迄現住地に於て平静に其の業務に従ひ待機する様指導すること。
尚、集団一般朝鮮人労務者に対しては、可及的従来の雇用主をして引続雇傭せしめ、食住等は従来通の取扱をなさしめ、就労先なき場合は可及的一轄(組又は飯場毎に)他に転換せしむる様指導すること。

以上。


内地輸送中の弁当にまで気を配る、悪辣な日帝。(笑)

実際、どのように実行されていくかはこれから見ていくとして、取りあえず給与の面が興味深いですな。
特に、二の(一)とか、三の「昭和20年7月30日附勤発第848号」やら「厚生省勤務局長及軍需省管理局長通牒「勤労協力を為す者の給与」」なんかは、非常に気になる点ではあります。
ちなみに、四で「一般既住朝鮮人」が「集団移入労務者」と明確に分けられている点も面白い。


綿貫響「これをもとにして集団移入労務者の送還計画が進められてゆくわけね」

上原都「ええ。その『警保局保発甲第3号』と同じものがアジ歴『昭和二十年・特高・各種雑纂綴(レファレンスコードA06030052000)』の中に綴じられているのよ。これは、表題だけじゃどこの文書かわからないけど、京都府北部、日本海に面した峰山町の峰山警察署の文書綴よ。まずは17ページ」

昭和20年9月22日
          財団法人京都府興生会
          会長 三好重夫
峰山支会長 殿   (峰山警察署 20年9月25日付けで査収印)

   朝鮮人集団移入労務者等の緊急措置の件
標記に関し別紙写の通其の筋より集団移入労務者等に対し通達有之候に就而貴支会指導員会を適宜開催し会員に対し趣旨の徹底を期せられ度
尚帰鮮希望者の住所、氏名、年令、乗車希望年月日(家族も同様列記すること)等折返し報告相成度
参考
別紙写添附すること


上原都「次の18・19ページが『別紙写』の『警保局保発甲第3号』よ。テキストは省略するわね」



綿貫響「で、峰山の場合は、興生会とかいう団体によって帰還希望が調査されたわけね」

白鳥鈴音「興生会って何ー?」

上原都「ゴメン。それについては後回しにするわ。そのときにこの史料にもまた触れるわね。今は、京都府興生会は9月22日付で『警保局保発甲第3号』に基き、興生会によって朝鮮人帰還の調査を行うよう指令を下し、25日に峰山署でそれが収受されて帰還希望の調査が行なわれたということを覚えておいて。それと、獄長日記の記述と関係ありそうな新聞記事があったわ」

1945年9月7日読売報知
応徴士から優先 内地在住半島人帰鮮計画決る
終戦に伴ひ内地在住半島出身者の帰鮮希望者については内鮮間の連絡船が差当り二隻の配船が可能となつたので当局では先づ卅万からある半島出身応徴士及び集団移民勤労者を優先的に計画輸送し逐次一般半島出身者(約百八十万)に及ぼすことに方針を決定、六日厚生省からその旨発表した
 具体的細目については逐次計画進行中であるが現在一ケ月三万程度の輸送能力しかないので応徴士にあつてもその業種その地域の指定輸送順位によらねばならない、申込は応徴士のある工場は統制会を通じ厚生省で一括配分して輸送することになつてゐるが一般の帰鮮希望者は相当期間がかゝるので当局では何分の発表あるまで現在地において平静に待機するやう希望してゐる
なほ九月一日から山口県仙崎、釜山間の連絡が開始されてゐる



上原都「次もアジ歴『戦災孤児等保護対策要綱〇引揚民事務所設置ニ関スル件(レファレンスコードA04018767800)』よ」

閣甲第438号 昭和20年9月20日

   内閣書記官長(印) 内閣書記官(印)

昭和20年9月20日
       内閣書記官長
  各省次官
  法制局長官
  情報局総裁    宛(各通)
  内閣調査局長官
  逓信院総裁

 一、戦災孤児等保護対策要綱
 一、引揚民事務所設置に関する件

右本日次官会議に於て別紙の通決定致候条此段通牒に及候

(戦災孤児等保護対策要綱案は省略)

  引揚民事務所設置に関する件  昭和20年9月20日次官会議決定

一、方針
  大東亜戦争の集結に伴ひ本州・九州・四国及北海道(以下内地と称す)以外の地域より内地に引揚げを為す者及内地より朝鮮又は台湾に引揚を為す者に対する応急保護の実施に当らしむる為関係府県に引揚事務所を設置せしむるものとす

二、要領
  (一)引揚民事務所(以下事務所と称す)は門司、下関其の他 厚生大臣の指定する 必要なる地に設置し其の他の地には必要に応じ事務所の出張所を設けしむるものとす

  (二)事務所は所在地所管の地方長官の管理に属し左に掲ぐる事項を掌るものとす

    (一)引揚民の接待、誘導其の他輔導援護に関する事項
    (二)食糧其の他生活必要物資の供与に関する事項
    (三)応急医療及助産に関する事項
    (四)宿舎の斡旋及提供其の他施設の設営に関する事項
    (五)輸送の連絡調整、荷物の保管其の他輸送に関する事項
    (六)其の他引揚民の応急保護に必要なる事項

  (三)事務所に事務所長及事務所員若干名を置き当該府県及関係各庁職員を以て之に充つるものとし之が為に必要に応じ府県職員の増配置を為すものとす

  (四)内務省、外務省、厚生省、農林省、商工省、運輸省、地方総監府、朝鮮総督府、台湾総督府、樺太庁其の他関係各庁及恩賜財団戦災援護会、財団法人中央興生会其の他の関係団体は事務連絡の為其の職員を事務所に派遣し事務所の運営に積極的に協力するものとす

  (五)本事務所の設置に要する経費に付ては国庫に於て特別の措置を講ずるものとす

参考
  臨時引揚民事務所設置機構案

一、事務所に概ね左の七班を置き其の事務を分掌せしむるものとす

 総務班   庶務、人事、会計に関する事務其の他他課の所管に関せざる事項
 輔導班   接待、誘導、引揚証明書の交付其の他生活相談に関する事項
 物資班   食糧其の他生活必要物資に関する事項
 医療班   医療及助産に関する事項
 施設班   宿舎の斡旋及提供其の他施設の設営に関する事項
 輸送班   輸送の統制、荷物の保管其の他輸送に関する事項
 帰鮮(台)班 帰還朝鮮人及台湾人の保護輔導に関する事項

二、各班の班長には高等官たる所員を以て之に充つるものとす




(3ページ目は戦災孤児等保護対策要綱案なので省略)





綿貫響「あれっ?どこかで見たような文章よ」

上原都「獄長日記の『朝鮮人集団移入労務者の帰国(四)』に載っている『引揚民事務所設置に関する件』と同じ文章なのよ。出処は違うし、向こうに載っているほうは会議での配付資料っぽいけど、こっちは次官会議の決定稿であるという違いがあるんだけどね」

白鳥鈴音「ふーん。それじゃここをテキストにするとき、向こうのコピペで済んだから楽だったんだろーね」

上原都「いいえ。コピペはせず、ちゃんと元史料を見て『写経』したわよ。『警保局保発甲第3号』と違い、配付資料と決定稿ということで別資料であり何か違いがあるかもと見たからね」

神楽「ったく、ご苦労な人だ。で、この引揚民事務所が海外日本人の引揚と内地在住の朝鮮人・台湾人らの送還にかかわったんだな」

上原都「『引揚援護の記録[1](引揚援護庁・厚生省)』によれば、9月18日に引揚送還の上陸港として舞鶴など9港が指定され、そこに引揚民事務所が置かれたとあるわ。引揚援護局ができるまでの短期間だけど実際に活動していたみたいね」

綿貫響「獄長日記といえば、こんな箇所もあったわよ」

獄長日記 朝鮮人集団移入労務者の帰国(二)

さて、そんなわけで今日もアジア歴史資料センターの『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』のテキスト起こしを。
今日は10ページ目からになるんですが、誰が誰に出した何日付けのもので、何で長野県の用紙なのか全く不明なので、割愛。
前回の1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』に沿わずに無統制に解雇して、解雇された朝鮮人が大挙として博多・下関に殺到して飲食にも窮する等、主旨が徹底されていない旨が書かれており、面白い史料ではあるんですが。


神楽「ふーん、朝鮮人の殺到についての話は省いたわけだ」

上原都「ええ、出自のよくわからないものみたいだし、妥当な判断といえるわね。だけどね、GHQ指令の中にその事態に関係ありそうなものがあったのよ」

SCAPIN139 朝鮮人が引揚を求めて九州及び南本州の一定地域に入ることを制限管理するための措置を日本政府が開始するよう指令した電話の確認無線電信

SCAPIN213 朝鮮人の日本からの送還

白鳥鈴音「長い表題だねぇ」

綿貫響「前者が『この通信(ZAX7046)は、10月13日、現在の混雑が軽減されるまで、送還を求めている朝鮮人が下関、福岡、仙崎、その他九州・本州南部の地域に入ることの制限・管理を開始される処置を指示した司令部1540による電話指令を確認する』か」

神楽「後者は、えーっと(カンペ見ながら)、難しいから、カンペそのまま出しちゃえ」

1.現在の混雑が軽減されるまで、送還を求めている朝鮮人が下関、福岡、仙崎、その他九州・本州南部の地域に入ることを制限・管理する処置が実施されると指令したZAX7046は、参照として司令部に無線連絡される。
2.司令部は朝鮮人が神戸・大阪・名古屋地域に押し寄せていることを知った。
3.1、2に示された、地域の混雑が軽減されるまで、日本政府が朝鮮人を現在居る地域に制限するための緊急措置を取ることは重要である。朝鮮人の送還の全体的な計画、上陸港の名簿作成、送出率は、数日のうちに司令部によって発せられる。その計画の受領と同時に、それに従って主題の人員の動きを管理すること


上原都「ようは、GHQから朝鮮人の殺到による混雑を朝鮮人の移動制限により管理処理しろっていう電話による指令があったということよ。それで、SCAPIN139はその電話指令を行なったことを確認する意味で出された電信。SCAPIN213のほうは具体的な指令内容を示しているわね」

白鳥鈴音「帰還を求める朝鮮人が下関や博多に殺到したのは事実っぽいね」

上原都「そうね。当時の新聞記事にも出ているわ」

1945年9月13日朝日(東京版)
関釜航路は大混雑
現在関釜航路は一般乗船券を発売せず計画輸送できるもののみ乗船をみとめてゐるが、一般旅行者が現地に行けばなんとかなるだろうとの考へから出港地附近に蝟集し、宿舎、食糧、衛生等の面でいちじるしく混雑を来してゐるので、運輸省では関釜航路経由の旅客に対し近く制限が解除されるまで旅行を差控えるやうのぞんでゐる



1945年9月14日読売報知
下関・帰鮮者洪水に悩む
三万人、駅前に蝟集
 公然の闇市場や病人続出
終戦とともに日本在住の朝鮮出身者二百万のうちには足もとから鳥がたつやうに帰鮮を急ぐ者が多くそれが全国から雪崩を打つて渡鮮基地下関に蝟集しはじめすでに三万人を突破しようとしてゐる、関釜連絡船は航行停止中と知りながら下関まで押しかけてくる帰鮮者はなほ日とともに激増し、さきほど来漸く関釜連絡船二隻の隔日就航をみたが、この程度の船腹では到底激増する帰鮮者を消化しきれるはずがなく、このため朝鮮人の数は一日一日膨張の一途をたどつてゐる、家と食に困惑しながら、何日とも知れぬ乗船の日を待つこれら朝鮮人の姿は戦争終結の生んだ一時的な混乱かもしれない、然し焼夷爆撃により全市の六割を焼失した下関市が罹災市民の収容さえ満足にできかねてゐるところへこの潮のやうな浮動人口の殺到である、ことにこの朝鮮人の間に最近病人や死亡人が現はれはじめてきたことと彼らの生活が関門およびその附近の住民の生活に影響を与へるに至つたことを認めざるを得ないとき、これは一方的、地方的な問題として片づけるよりやはり現在日本に在住する全朝鮮人対策のひとつとして、また終戦事務のうちで急を要する問題のひとつではないか
 下関市では彼らが戦時中日本につくしてくれた努力に酬いる感謝の気持で応対し、中央興生会下関興生館を中心に山口県民生課、下関市役所、下関警察署、下関駅等が協力、万端の世話をしてゐるが家も食も乏しく、しかも秩序と衛生思想に欠けた三万人の集団を永くこのままに放置することは由々しい人道問題といはなければならない興生会では彼らに駅前埋立地に在る四千人収容のバラツクを提供し、市内居住朝鮮出身者の住宅にも分宿させてゐるが、収容しきれぬ一万数千人は駅を中心に生活してゐる、構内待合室や通路は人と物で埋まり足の踏み場もないのみか処かまはぬ放尿や不潔物の悪臭が充満し、西日本の玄関も滅茶苦茶だ、そしてこれがいかに旅客の乗降を妨害し列車運転の支障となつてゐるかは測りしれない、駅前東四の広場も構内から流れ出た彼らに占領され、駅の玄関口にさへ俄造りの体の放列を敷いてゐる
さらに驚かざるを得ないのは駅前広場に展開した露天市場である、近在農家に買出しに出かけ出荷統制を紊すのみか、これを白日下公然とこの駅前の朝鮮式露天市場で闇取引してゐる
 梨三個十円、甘藷一円五十銭から三円まで、団子一つ五十銭。氷水一杯廿銭(但し子供は一銭、日本人は五十銭)薪の買出しに成功した者は“飯を炊いてあげます”と貼紙した世界に余り類をきかない珍商売をやつてゐる
滞在日が重なるにつれ下痢その他の病人が続出しだしたことは流行病季節を迎へて重大である、無一文の者を興生館では駅近くの分館に収容し現在七百名に及んでゐるが、それと知るや仮病人やとるに足らぬ軽症者が分館に押しかけ、それに分宿を引受けた家には家具の紛失や汚損事故が続発し苦情を訴へる応接もまた並々の苦労ではない、軒下に転び、炎天下の広場に数百名が頭を並べて平然と眠り呑ン気に何十日でも乗船日を待つゐるかの如くである
 このほど漸く帰鮮者輸送計画が樹てられ復員の軍人、軍属、応徴士を優先的に取扱ふことになつたが、これによると一般帰鮮者は到底年内に乗船の見込みがたたないことになる、現在下関滞在中のこの三万人を如何にするか、しかもこの三万人は刻々増加してゐるのだ、根本的解決策としては唯一つ、船腹の増発あるのみである(下関にて因幡特派員)



神楽「『一般旅行者が現地に行けばなんとかなるだろうとの考へから出港地附近に蝟集し』かぁ」

上原都「インターネットも携帯もない時代だから、一般人が現地の情報を正確に迅速に知ることは難しいわ。現地に行けば入手できるかもしれないって考えるのは10数年前までは当たり前といっていい思考なの。今でも甲子園の阪神戦で当日券があるかもしれないって甲子園に行って行列するでしょ。もっとも送還は徴用者を優先して一般人は待機するよう要望がでているんだけどねぇ…」

綿貫響「読売報知のほうはいろいろとおもしろい内容ね」

白鳥鈴音「『無一文の者を興生館では駅近くの分館に収容し現在七百名に及んでゐるが、それと知るや仮病人やとるに足らぬ軽症者が分館に押しかけ、それに分宿を引受けた家には家具の紛失や汚損事故が続発し苦情を訴へる応接もまた並々の苦労ではない』なんて、火事場泥棒みたいな連中もいたんだねぇ」

神楽「左下にある『“分家”を祝ふ愛と道義を』ってのもおもしろそうだぜ」

上原都「そっちもテキストに起こしてあるんだけど、本題には無関係だからエンコリにだけ
上げておいたわ。都厚生事業協会嘱託李英表の『朝鮮は大国に囲まれた小さい国家です、将来独立されるにしても隣国の道義と愛によらなければ自立自行は不可能なことは朝鮮民族誰しもがわかつてゆけることです、日本は今こそ愛と道義を彼等に与へなければなりません、これに対してわれわれは必ず報ゆるに同じ精神をもつてしませう』ってのがなかなか興味深いけどね」

白鳥鈴音「愛情とか道徳性を他者にのみ要求するってやつだね」

上原都「この厚生大臣談話も、朝鮮人が殺到した混雑状態に対して出されたものでしょうね」

1945年9月20日朝日(東京版)
帰鮮者は最優先 厚相が半島労務者へ感謝
厚生省では十九日次のやうな半島労務者の労苦を謝する松村厚相談話を発表した
 わが国重要産業に挺身中の朝鮮出身勤労者などの身の上については事情が事情だけに最も重要案件として日夜腐心してきた、幸ひに内鮮間の航路再び開始の運びとなり逐次帰鮮出来ることになつたので、この際改めて諸君に感謝の敬意を表したい、親愛なる妻子家族を残して遠く海を渡り酷暑を凌ぎ、よく乏しきに耐へ敢闘された諸君の挺身協力について私は感謝と感激の念をいよゝゝ深く心に銘ずるものである、内鮮間の航路開始と共に諸君の朝鮮への帰還は最優先的に取扱はれることとなりその輸送計画は着々進捗中であるが、何せ船舶の輸送力が乏しいため相当長期間に及ぶものと思はれる、諸君はそれゞゝ輸送日時が決定されるまで現在の職場にあつて工場事業場側の指示に従ひ待機せられんことを切望する


上原都「で、本題に戻すと、10月23日、日本政府はCLOを通じてこういう文書をGHQに提出したわ」

神楽「CLO?なんだそりゃ?」

上原都「正式名称は『Central Liaison Office』、日本語では終戦連絡中央事務局というわね。日本政府とGHQの間でGHQの指令や日本政府の対応について事務連絡・協議をおこなった政府機関よ」

綿貫響「なるほど…どういう内容なの?」

上原都「内地にいる朝鮮人の送還についての計画よ。冒頭の文章の2番目の段落で『10月13日の電話指令』について触れているでしょ」

CLO349 朝鮮人の送還

綿貫響「えーっと『10月15日から計画輸送を始めようとしてたけど、13日の電話指令によって延期された。日本政府は悪天候による日韓間のフェリー運航の停止によって引き起こされた港の混雑が、10月25日までにフェリー運航の増強・再開、朝鮮人の行動の管理などのあらゆる処置によって解消され、その日より予定を実行することを希望する』か」

上原都「ええ。次項以降は輸送計画についての内容よ。訳文だけあげておくわ」

1.朝鮮への帰還を望んでいる朝鮮人の数
  a) 在住朝鮮人 670,000
    (内地在住朝鮮人総数(1,668,000人)のおよそ40%)
  b) 集団移入労務者 336,000
  c) 復員軍人 37,700
  合計 1,043,700

2.既に引揚げた朝鮮人の数(9月初めまでの概算) 134,000

3.朝鮮への輸送を待っている朝鮮人 839,700

4.それらの朝鮮人は次の順番で送還されることになっている。
  a.復員軍人
  b.集団移入労務者
  c.その他在住朝鮮人
  前のパラグラフのcに入っている在住朝鮮人の輸送に関して、厚生省は彼らを集団として世話をする予定を準備する。
  寒い季節が早く来る地域にいる朝鮮人と、何らかの理由で早く引揚げなければならない朝鮮人に輸送の優先権を与えることを計画する。


白鳥鈴音「内地在住の朝鮮人総数は1,668,000人なんだ」

上原都「まぁ概数だけどね。『引揚援護の記録[1]』によれば、厚生省社会局の計算として、昭和19年末の在住総数1,911,307人、そのうち昭和20年9月25日現在の集団移入労務者243,513人を差し引いて一般在住者数は1,667,794人とみなし、そのうち40%(667,123人)が送還希望者とみなしているわ。さらに集団移入労務者数を足して送還の基本総数としたけど、昭和20年度の移入労務者数(移入承認数は50,000人)は加算されてないとも書いてるわね」

神楽「ここの数字と一致はしてないけど、だいたいは同じとみていいだろうな」

  一般在住者総数 送還希望者 集団移入労務者数
CLO349 1,668,000 670,000 336,000
引揚援護の記録 1,667,794 667,123 243,513

綿貫響「CLOのほうも厚生省社会局の計算が基礎になっているでしょうけどね。で、このCLOによると、8月15日から9月初めの間に134,000人が帰還したってことね」

上原都「ええ。計画輸送ではなく自主的な帰還とされているわね。このあたり、在日コリアン関係の書籍を調べるとおもしろいかもね」

神楽「どういうことだ?」

上原都「……『日本政府は、自国民の中国・朝鮮からの引揚に力を注ぎながら、朝鮮人の帰国にはじゅうぶんな対策を立てなかった』とか『朝鮮人は、在日本朝鮮人聯盟の指導のもとに自主的な方法で帰還事業を推進し、調達・借用した小船で玄界灘を渡ろうとして台風で難破したり、多分に故意的な爆沈のため1千人以上の犠牲者を出した浮島丸事件などの悲劇がおきた』とか書いているシトがいるのよ」

白鳥鈴音「それなんて朴慶植?」

神楽「…その他にもゆかいな人々が多いらしいけど…で、どういう理由でこの順番なんだ?」

上原都「日本政府としては、公の命令で動員した兵士を復員させるのが第一でしょ。それから、官斡旋・徴用など政府の関与によって内地にやってきた集団移入労務者、この2者は日本に生活基盤も無いしね。最後は本来自主的に渡航・在住した一般人、それも帰還を希望している人たちと」

綿貫響「たしか獄長日記に引用されていた史料でも順番について書いていたわ」

獄長日記 
朝鮮人集団移入労務者の帰国(二)

ってことで、13〜15ページ目がその別紙にあたる運輸省の鉄道総局から各鉄道局長宛の通牒となります。
ちなみに、これも33ページ目に比較的見やすい物がありますので、そちらの方をテキスト起こししておきます。
1945年(昭和20年)9月12日付『運業輸二発第20号』より。


鉄道総局業務局長

各局長殿


関釜並に博釜航路経由旅客輸送の件

(中略)

二.取扱範囲

復員軍人、軍属、集団移入労務者
輸送順位につきては、関係府県警察部と連絡

(中略)

で、現在の輸送能力じゃ追っつかないので、当分一般旅客は取扱を停止して、朝鮮半島出身の軍人・軍属・徴用者の集団復員輸送を優先するわけです。
この時点では、「一般既住朝鮮人」については何も支持無いわけですが、優先順位としちゃ当然でしょうね。

神楽「なるほど。戦争が終わったんだから、戦時に動員していた軍人や徴用者を帰還させるのが先決問題ってことか」

上原都「ええ。次は船舶・鉄道の輸送についてだけど、おもしろそうなので鉄道だけ見るわ。船舶についてはCLOコンテンツを見てね」

 b.鉄道
  1945年10月25日以前及び現在
  1.特別列車
  特別列車は1日当り以下の駅間を運行する
(駅) (列車数)
青森−下関 1
(北海道及び北陸地方の朝鮮人)
東京−博多 1
(東北及び関東地方の朝鮮人)
名古屋−博多 1
(中部及び近畿地方の朝鮮人)
中国及び九州地方の朝鮮人のために特別列車を必要に応じて運行する

  2.通常列車
  特別車両を通常列車に連結する。
  台風が山陽線と山陰線に与えた損害による鉄道運行の不確実のため、10月中旬以前に朝鮮人の特別な輸送は提供することが不可能だったと言えるかもしれない

綿貫響「特別列車は1日1便ね」

神楽「青森から下関へ行く列車が、どうして北陸在住の朝鮮人を乗せるんだ?」

上原都「それはね、青森を出た列車は、秋田−新潟−富山−大阪と日本海回りで走るからよ。新幹線も無い時代だし、東京経由にすると、東京と西日本を結ぶ大動脈の東海道線の混雑を招くしね」

白鳥鈴音「今もこのルートは、ブルートレイン『日本海』『トワイライトエクスプレス』が走っているよね。『白鳥』は無くなっちゃったけど」

綿貫響「中国・四国・九州からは特別列車は出ないのね。ま、当時は四国と本州は線路・道路では繋がってないから直通列車は無理だけど」

神楽「台風で山陽線と山陰線が損傷したせいで運転が不確実であり、そのため朝鮮人の特別輸送が提供できなかったかもってあるな」

上原都「当時の新聞を調べると、実際に台風と暴風雨のせいで山陽・山陰本線はかなりのダメージを受けて長期間不通になったみたいね」

1945年9月21日朝日(東京版)
交通機関運転状況
水害による各交通機関の被害復旧は二十日朝大阪地下鉄の梅田、淀屋橋間が開通したほか山陽本線は三原まで開通した、二十日午後二時現在不通箇所は左の通りであるが、今次の水害は予想外に被害甚大で山陰本線は二十三日頃に復旧する見込みであるが、山陽本線方面は呉線三原−須波間の鉄橋流出および本線本郷−河内間、白市−河内間のごときは十数ヶ所の土砂崩壊があり、山陽本線三原以西は客貨とも取扱停止中である
【省線】▲山陽本線=三原−須波間▲呉線=本郷−河内間△白市−河内間△瀬野−安芸中野間▲伯備線=豪渓−倉敷間△生山−上石見間▲津山線=全線▲置塩線=神辺−道上間▲姫新線=美作江見−勝間田間▲山陰本線=東八橋−御来屋間△松江−宍道間△都野津−下関間▲因美線=用ヶ瀬−美作河井間▲西成線=全線▲木次線=宍道−木次間△下久野−出雲八代間
【社線】阪神=本線鳴尾−梅田間▲国道線浜田−野田間▲山陽=姫路−西舞子間▲近畿日本=伊勢線全線▲三重交通=松阪線松阪−射和間▲西北線麻生田−阿下喜間



1945年9月22日朝日(東京版)
颱風で乗車券制限
東鉄では去る十七日から十八日にかけて本土を襲つた颱風により被害を生じたつぎの個所通過の乗車券および荷物の制限をつぎのやうに行つてゐる
 ◇山陽線三石以遠(復旧見込約一箇月)姫新線美作江見、勝間田間(同五日間)◇山陰線東八橋、御来屋間(同五日間)右不通区間を通過する乗車券と関釜連絡の乗車券は発売しない、また大阪以遠着および中継の荷物は受託を停止する


1945年9月25日読売報知
全通なほ一ケ月 中国地方の鉄道・颱風禍全貌
去る十七日広島を中心に中国地方を襲つた颱風は多数の人命を奪ひ農作物その他に多くの損失を与へたが、鉄道でも施設線路等に未曾有の被害を受けその全貌が廿四日鉄道局部長会議のため上京した加賀山広島鉄道局長からもたらされた
 それによると一番被害を蒙つたところは山陽本線の本郷、河内間、八本松、安芸、中野(ママ)間大ノ浦(ママ)玖波間、岩国、藤生間でそのほか山陰線、呉線、等管内各線それぞれ相当の被害を蒙り築堤の流失七万九千六百廿三立方メートル切取崩壊一万立方メートル、線路埋没四万立方メートル、道床流失五千立方メートル、橋梁流失は山陽本線だけで五ケ所、芸備線に数ケ所といつた工合でこれがため本州と九州の交通はほぼ杜絶の状態で目下復旧工作は山陽本線に主力を注ぎ東西呼応して進められてゐるが、全線開通はなほ一ケ月を要するものとみられてゐる
線区別被害情況及び開通見込は次の通りである
◇山陽本線=本郷−海田市、土砂崩壊(開通見込約一ケ月)大浦(ママ)−島田、土砂崩壊(開通見込廿七日中)
◇呉線=三原−須波間、沼田川橋桁三連落込(十月中に復旧)須波−矢野、土砂崩壊(今月廿五日開通見込)矢野、海田市間、橋脚二連流失(今月中復旧見込)
◇伯備線=中倉(ママ)−川面(ママ)、第七高梁川橋脚二連傾斜(廿五日中復旧)
◇津山線=野々口−牧山道床流失(同区間は廿五日より徒歩連絡、開通は十月十五日頃)
◇木次線=穴道−加茂、中(ママ)間土砂崩壊(開通九月廿五日)
◇福塩線=備後三川−府中町間第一蘆田川橋梁橋桁流失(復旧十月中)備後矢野−備後三川、土砂崩壊(廿五日中開通)
◇山口線=石見益田−横田間高津川橋桁流失(開通見込不明)地福−徳佐道床流失(廿五日開通)
◇山陰本線=都野津−波子、仮橋流失(復旧九月中)浜田−見長浜(ママ)、石見長浜−周布、浜田川橋台裏流失、周布川橋梁二連流失(十月十五日頃復旧)、三保三隅−岡見、三隅川橋脚流失(十月廿日復旧)
◇姫新線=美作江見−林野、橋脚流失(復旧九月中)林野−勝間田道床流失(復旧九月廿八日)東津山−津山橋脚流失(復旧九月中)津山−院庄第二吉井川橋台変状(復旧九月中)院庄−美作千代、第二吉井川橋桁流失(復旧十月中)
◇因美線=那岐−美作河井、隧道崩壊(九月廿五日頃開通)
◇美祢線=湯本(ママ)−渋木、音信川橋梁流失(十月十五日復旧)
◇芸備線=戸坂−井原、市(ママ)間築堤流失、橋桁流失数ケ所(復旧見込不明)
 ◇尼ケ崎線−尼ケ崎浸水(開通見込不明)
 ◇西成線−西九条−桜島浸水(開通見込不明)

*安芸、中野:安芸中野、大ノ浦・大浦:大野浦、中倉:井倉、川面:備中川面、加茂、中:加茂中、見長浜:石見長浜、湯本:長門湯本、井原、市:井原市


上原都「このときの台風は有名な枕崎台風よ。不通個所を図示するとこうなるわ」

不通個所(路線図は昭和20年7月発行の時刻表から引用)


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神楽「うわぁ、山陽本線・山陰本線がブチ切られて、東西の交通ができなくなったんだなぁ」

1945年10月4日朝日(東京版)
山陽線開通
【大鉄局発表】山陽、呉両線は本郷−安芸中野間、三原−須波間を除き三日より開通した、直通列車はおのゝゝ三原、須波で折返し運転されるが、輸送力に限りあるため尾道、下関間通過となる旅客は復員軍人、軍属、大陸よりの引揚邦人、帰鮮者ならびにとくに緊急を要する公務者に限りまた荷物は新聞、同原稿以外は扱はぬ
 なほ三原、須波間では田ノ浦に仮乗降場を設置したほか田ノ浦三原間は(三・一キロ)には自動車連絡の便あり、またこれによらぬ場合は徒歩卅分で連絡できる
 呉線六日から全面休止【門司発】山陽線は呉線須波、三原間徒歩で一応開通したが来る六日零時より十日二十四時まで連合軍呉地区進駐に伴ひ呉線が全面的に運転休止となるので旅客は注意を要する
 山陰線【松江発】山陰本線は都野津、波子間の鉄橋が復旧一日午後から浜田伊東が開通二日現在の不通箇所は周布−岡見間(九・二キロ)でこの間は周布−三保三隅間は自動車または三隅−岡見間は自動車と船によつて連絡してゐる


白鳥鈴音「こんな中でもどうにかして復員軍人や労務者の引揚送還の輸送を優先してやっているんだねぇ」

上原都「ええ。決して日本人引揚者や軍人が優先ってわけでもないようね」

1945年10月5日読売報知
山陽本線 復旧は中旬
西日本の水害による鉄道被害はその後復旧工作の進捗に伴ひ着々開通の運びとなつてゐるが、三日現在の復旧状況は次の通り
 山陽本線は東は本郷まで、西は柳井線経由広島を経由し安芸中野まで開通、本線全通は本郷、河内間は十日、八本松、安芸中野間が中旬復旧の予定となつてゐるので中旬以降とならう、呉線は須波、矢野間が復旧し現在三原、須波間に田ノ浦駅を仮設、田ノ浦、矢野間に一日四回往復の列車を運転中、海田市、矢野間が予定通り五日に開通すれば三原、田ノ浦間の徒歩或はバス連絡で山陽線は五日以後一応呉線柳井線経由東西の連絡が出来るわけである、山陰本線は浜田、石見長浜、周布間及び三保三隅、岡見間が中旬頃には復旧するが都野津、波子間が復旧し全線が開通するまでには今月一杯かゝらう、姫新線は美作江見林野間は今月中に復旧するが東津山から美作千代にかけての三ヶ所は十一月中旬になる予定
その他山口線、芸備線、美作線の開通は十月中旬頃、福塩線は十月末、三江線の石見簗瀬、粕淵、浜原間の二ヶ所は今月廿五日迄に復旧の予定、また岩徳線の柱野、玖珂間は十月中旬に復旧するが、岩国、技野(ママ)間の復旧見込は不明、その他の線路はすでに開通してゐる

*技野:柱野


綿貫響「いちおう、10月3日には呉線経由で山陽本線の運転は再開されたのね」

上原都「ええ。但し三原と田ノ浦(仮設駅)との間はバスもしくは徒歩連絡だけどね。でもその直後に暴風雨が襲来したの」

1945年10月10日朝日(東京)
機関車河中へ 近畿の鉄道被害
八日からの降雨のため近畿西部の鉄道は八日午後から九日未明にかけて浸水増水、土砂崩壊、列車脱線等で相当の被害あり山陽幹線は垂水以遠が不通となり、九日午前なほ降雨中のため開通見込は不明である、各線の被害箇所次の通り
 △山陽本線=垂水舞子間(土砂崩壊)明石舞子間(同)西明石明石間(軌条浸水)大久保西大久保間(築堤崩壊)△福知山線=三田駅構内(線路浸水)相野広野間(河川増水)藍本古市間(道床流出)谷川柏原間(土砂崩壊)福知山上川口間(河川増水)柏原駅構内(線路浸水)△加古川線=神野日岡間(線路浸水)△西成線=安治川口駅構内(線路浸水)△列車脱線=八日二十二時五分山陰線山家、綾部間で京都発八一五旅客列車が土砂崩壊箇所に乗上げ機関車および客車二輌が脱線転覆、機関車は河中に転落、機関士、機関士見習、機関助士見習が行方不明となつたが、旅客に死傷なし△八日二十二時ごろ尾道、松永間で岡山発三〇二旅客列車が土砂崩壊箇所に乗上げたが詳細不明
なほ颱風被害による山陽線の不通箇所のうち本郷、河内間が八日開通し、山陽本線は西高屋折返し運転中だが、一方呉線海田市、矢野間が五日開通し、仮設駅田ノ浦、海田市間は一日十二往復、三原、田ノ浦間の沼田川橋梁は十輌のバスを使用してバス連絡を行つてゐる


不通個所(路線図は昭和20年7月発行の時刻表から引用)


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白鳥鈴音「せっかく広島方面が台風の被害から復旧したのに、その直後に水害で明石のほうがダメになってしまったんだー」

上原都「ええ。それで山陽本線はストップ、送還朝鮮人の輸送もまたストップよ」

1945年10月14日朝日(大阪最終版)
山陽線西明石→大久保間十九日復旧 山陰線松江、湯町間依然不通
十三日午後四時現在の鉄道不通個所は次の通り
【大阪鉄道局管内】△山陽線、西明石−大久保(十九日完全復旧見込み、この間バス、トラツク連絡、約四粁)△山陰線 松江−湯町△福知山線 宝塚−下滝△篠山線 八上−福住△姫新線 東嘴崎(ママ)−播磨新宮、美作千代−院庄△加古川線 野村−鍛屋(ママ)および加古川−小野町間を除く全線▲西成線 安治川口−桜島
【広島鉄道局管内】△山陽線 安芸中野−瀬野、大野浦−玖珂△山陰線 三保三隅−石見津田△呉線 三原−須波、矢野−海田市△伯備線 方谷−井倉△置塩線 備後三川−上戸手△津山線 牧山−野々口△岩徳線 岩国−玖珂△可部線 可部−古市橋△山口線 石見益田−石見横田△美祢線 於福−伊佐△芸備線 中三田−安芸矢口△三江線 川平−浜原
【新潟、名古屋鉄道局管内】△信越線 川中島−長野△高山線 坂上−猪谷△飯田線 浦川−天龍峡△水郡線 全線△身延線 全線△大糸南線 全線
【四国鉄道局管内】△予讃線 観音寺−豊浜、北伊予−浅海、伊予三芳−伊予桜井、松山−伊予大洲、多度津−多喜浜 内子線全線 土讃線 浅海以遠、阿波川口−西宇
【私鉄】△京阪神神戸線 武庫川鉄橋徒歩連絡△阪神本線 野田−尼崎、西灘−三宮△国道線 野田−北杭瀬△武庫川線 全線△近畿日本 伊賀神戸−阿保△山陽 須磨寺−高砂△神有 長田−鈴蘭台を除く全線△赤穂鉄道全線△別府鉄道全線

山陽線明石附近を除き全通
山陽線本郷−安芸中野間は十三日午後から開通、これにより長らく不通であつた山陽線は西明石−大久保間(約四キロ)は十四日始発からトラックで連絡することになつた
 なほ大久保以西の列車は大体時刻表通り運行する予定であるが混雑防止のため復員の軍人、軍属、定期券所持者、引揚邦人その他緊急要務者を除く乗客および荷物の取扱はしない


下関附近旅客扱停止
天候その他の都合で二万人以上の大陸行旅客が乗船不能で下関に滞在してゐるが、鉄道では連合軍鉄道輸送司令部(R・T・O)の指示にもとづき十三日から当分の間下関、門司、博多、仙崎着の一般旅客の取扱ひを停止することになつた、但し同地在住のものは差支へない
 なほ大陸行旅客は現在集団に限り取扱つてゐるので、一般客は乗船地へ行かず現住地で待機するやう鉄道では望んでゐる

*東嘴崎:東觜崎、鍛屋:鍛冶屋


神楽「自動車連絡をしている時点で『全通』っていわないと思うんだけどなぁ」

綿貫響「最後の段落は、軍人や集団移入労務者のような団体だけを輸送していることを指すと見ていいわよね」

1945年10月17日朝日(大阪最終版)
山陽本線完通
久しく不通であつた山陽線西明石―大久保間は十六日午後五時より開通、山陽線は下関まで全通を見た、但し九四五列車(十二時二十二分大阪発姫路行)九三〇列車(姫路発、大阪着七時四十三分)は単線運転のため当分の間運転をとりやめ、福知山線広野−三田間も十六日午後開通、但し三田−宝塚間は依然不通、十六日現在の不通状況左の如し
【大阪鉄道局管内】山陰線三保三隅−岡見、福知山線宝塚−三田姫新線院庄−美作千代、加古川線小野町−粟生、谷川−久下村篠山線八上−福住
【広島鉄道局管内】岩徳線岩国−玖珂、高水−周防久保、置塩線上戸手−備後三川、芸備線中三田−安芸矢口、山口線石見益田−石見横田、美祢線於福−伊佐、可部線古市橋−可部、三江線平(ママ)−浜原、呉線三原−須波、矢野−海田市(自動車連絡)
【四国鉄道局管内】△予讃線松山−伊予大洲、内子線全線、土讃線阿波川口−西宇
【新潟、名古屋鉄道局管内】飯山線越後外丸−上境、身延線全線高山線猪谷−坂上、篠井線明科−篠ノ井、大糸南線穂高以遠
 神有電 神有電鉄の水害不通箇所のうち十六日には神有線鈴蘭台−谷上間、三木線鈴蘭台−木幡間が開通した、その他は次の通り開通する予定
 谷上−大池(二十四日)▽大池−有馬−田尾寺(十七日)田尾寺−二郎(十八日)その他未定

*平:川平


白鳥鈴音「やっと全通だー」

上原都「ま、単線運行なんだけどね。複線運行が復旧するのは18日になってからなの」

1945年10月18日毎日(大阪)
山陽線けふから複線全通
十六日夕刻下り単線運転で全通した山陽本線西明石−大久保間の復旧工事は進捗、十八日午前中に複線全通の見込みとなつた


白鳥鈴音「もう記事はあげないけど、山陰本線の三保三隅−岡見間は23日、呉線の三原・須波間の復旧は25日だってー」

綿貫響「で、このCLO文書を受けて、GHQは送還計画の提出や海外の日本人引揚・日本在住の非日本人送還を担当する組織の設置を指示するのね」

上原都「ええ。中央で一元的な管理運営を行なう組織を設置し……ん、神楽さん、どうしたの?」

神楽「取り扱う史料が多くてさ、ちょっと疲れたんだよ…」

上原都「…ふー、仕方ないわねぇ。官制・法令的な大枠の史料についてざっと見ておきたかったんだけど、今回はここでお開きにするわね。
 今回取り上げた史料や獄長日記で取り扱われた史料の一覧はこっちにまとめたわ」

白鳥鈴音「どうせなら獄長日記みたいにきれいにまとめるか、もっと期待感を煽って締めてほしいよねー」


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